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出る杭は打たれるけど出過ぎたら認められる――3

 秀さんとの勝負は、昼営業と夜営業のあいだに行われることになった。


 昼営業のあと、俺は休憩のために自分の部屋に戻ってきていた。


「参ったなあ……」


 椅子に腰掛けて、深々と溜息をつく。


 許してほしい。秀さんと勝負することになるなんて、思ってもみなかったのだから。


 とてつもなく面倒くさいことになった。憂鬱すぎて頭が痛くなる。


「けど、秀さんの気持ちもわかるんだよな」


 秀さんこと倉橋秀康(くらはし ひでやす)さんは、聞くところによると逸材らしい。


 高校卒業とともに修行をはじめた秀さんは、わずか四年で向板にまでなった。その腕前を見込まれて、厳さんから特に目を掛けられていたそうだ。


「それなのに、ぽっとでの俺が厳さんに気に入られたんだ。恨めしく思うのも無理はない。認めることなんてできるはずがないよ」


 ガリガリと頭を掻いて、再び溜息。


「先輩たちとは仲良くしていきたかったのに……完全にこじれちゃったじゃないか」


 暗い展望に、俺は肩を落とす。


 コンコン


 そのとき、ノックの音が聞こえた。


「哲くん。お邪魔してもいいですか?」


 訪問者は彩芽らしい。


 心配をかけないように平静を取り繕って、俺は応じる。


「ああ。大丈夫だよ」

「失礼します」


 ドアを開けた彩芽はお盆を手にしていた。お盆に載せられているのは、湯気を立てる湯飲みと、落雁(らくがん)が盛られた小皿だ。


「お仕事おつかれさまです。お茶とお菓子はいかがですか?」

「ありがとう。助かるよ」

「いえいえ」


 彩芽がふんわりと微笑み、湯飲みと小皿を俺の前に差し出した。


 湯飲みに注がれているのはほうじ茶だ。フーフーと冷まして一口すすると、優しい苦みが口に広がり、香ばしさが鼻へと抜けていく。


 落ち着く味わいにホッと一息ついていると、彩芽がまじまじと俺を見つめてきた。


 小豆(あずき)色の愛らしい瞳に見つめられて、否応(いやおう)なしに鼓動が速くなる。


「ど、どうしたの? 俺の顔、なんかついてる?」

「そういうわけではないのですが……なにか嫌なことでもあったんですか?」

「えっ?」


 図星をつかれて目を見開いた。


 俺の反応によって疑念が確信に変わったらしく、「やっぱりですか」と、彩芽が眉を下げる。


「いつもより暗い顔をしていましたので、もしかしたらと思ったんです」

「よくわかったね。俺、そんなにわかりやすい顔してた?」

「哲くんがわかりやすいというか……その……わたしが、いつも……」


 彩芽がふいと視線を逸らし、ゴニョゴニョと口ごもる。どういうわけか、彼女の頬は赤らんでいた。


 おかしな様子に首を傾げていると、仕切り直すように、コホン、と彩芽が咳払いする。


「それはさておき、よろしければお話を聞かせてもらえませんか? 困ったことがあったのなら、力になりたいんです」


 彩芽の顔つきは真剣で、その言葉が心からのものだと伝わってきた。拝みたくなるほどの優しさだ。


 行き詰まっていた俺は、彩芽の厚意に甘えることにした。


「実は――」


 俺は事情を打ち明ける。


 厳さんから調理に加わるよう言われたこと。


 秀さんと数名の先輩が、それに反対したこと。


 秀さんとその先輩たちが、俺に不満を抱いていること。


 腕試しとして、秀さんと料理対決することになったこと。


 時折相槌(あいづち)を挟みつつ、彩芽は俺の話に耳を傾けていた。


「なるほど。そのようなことがあったんですね」

「ああ。本当に困ったものだよ」


 本日何度目かもわからない溜息をつく。


「バイトをはじめたばかりなのに、こんなピンチに(おちい)るなんて……先が思いやられるなあ」

「いえ。それは違います」


 彩芽が首を横に振った。


「これはピンチではありません。チャンスですよ」

「へ?」


 思いも寄らない発言だった。彩芽がなにを言っているのか理解できず、思考が数秒間停止する。


 俺がポカンとしていると、生徒に教えを()く先生みたいに、彩芽が人差し指を立てた。


「秀さんと先輩たちは、哲くんに不満を抱いていた。だから、おじいちゃんの話に反対した。そうですね?」

「あ、ああ」

「では、考えてみてください。もし、秀さんたちが反対しなかったら、どうなっていたでしょうか?」

「それは……なんの問題もなく、俺が調理に加わっていたんじゃない?」

「そうですね。ただし、秀さんたちの不満が残ったままで、です」


 彩芽が神妙な面持ちをする。


 その言葉が意味することに気づき、俺はハッとした。


「納得していないのだったら、俺が調理に加わっていることに、秀さんたちの不満はドンドン溜まっていくはず……」

「はい。不満が溜まるのがよくないなんてこと、説明するまでもないですよね」


 彩芽が表情を曇らせた。


 不満は溜まれば溜まるほどどす黒くなっていくものだ。刃傷沙汰(にんじょうざた)の引き金になることも珍しくない。万に一つもないとは思うが、秀さんたちが俺に危害を加えていた可能性は、ゼロではないのだ。


 背筋を冷たいものが走り、俺はブルリと身震いする。


「ですが、今回のケースでは不満が露わになりました。加えて、対決に負けたら哲くんを認めると、秀さんたちは約束しています。哲くんが勝てば、秀さんたちと折り合いをつけられるうえに、調理に携わるに値する人物だと認めてもらえるんです」


 彩芽が頬を緩める。


「ほらね? ピンチじゃなくて、チャンスでしょう?」


 曇天から光が差し込んでくるようだった。悩みも迷いも憂鬱さも、彩芽の笑顔に浄化されるみたいに晴れていく。


 そうか。難しいことは考えなくていいんだ。不運を嘆く必要はないんだ。


 俺はただ、秀さんとの勝負に全力を注げばいいんだ。


 沈んでいた自分の顔に、笑みが浮かぶのがわかった。


「ありがとう、彩芽。おかげで肩の荷が下りたよ」

「ふふっ。お力になれたのならよかったです」


 嬉しそうに目を細めた彩芽が、両手で俺の手を包み込む。柔らかくて滑らかな肌と、優しい温もりに、俺はドキリとしてしまう。


 彩芽が微笑んだ。


「応援しています。心から」


 まるで、勝利の女神の(ごと)く。

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