一対の獣④
目覚めたときに最初に目に入ったのは、見覚えのある天井。ギルド《モノコリ》の近くにある診療所の天井だった。
何だか長い夢のような、走馬灯でも見ていた気分だ。頭がくらくらする。
つまり俺は…帰ってきたのか?
「獲物は!?」
「痛ぁ!」
ベッドから飛び起きると、その勢いで何かが足にぶつかった。今の声は…まさか。
「うう…鼻痛い」
姫サマだった。いやまて、何で姫サマがここにいる?
「姫サマ…なんでここに?」
「あ…」
俺の顔を見るなり、姫サマは何かが決壊したかのように、ボロボロと大量の涙を流した。本当にもう、ボロボロと。
「う…もう…目…覚めない…かと…!!」
激しく涙をこぼす姫サマの様子に、俺は何も言葉を返せなかった。ひとしきり泣き終わると、鼻をグズグズ言わせながらも俺のほうをにらみつける……何で!?
「ウソつき」
ますます意味が分からない。いや、もしかして…そういうことか。
「命なんて賭けないって言ったのに」
恨みがましい目で、姫サマはなおも俺をにらみつける。なるほど確かに、結果的には「頃合いを見て逃げる」という約束を破ったことにはなるか。
「いやぁ、思ったより《原初の獣》が強くてですね…。引き際を見誤りました」
つい頭に血が上って逃げることを忘れてた、とは言わないほうがいいだろう。ますます怒られるに違いない。
「あの…それで、何で姫サマがここに? 《原初の獣》や古都イーディスについてウィグリッド家に報告できたんですか?」
「それなんですが…無理でした」
無理?
「《原初の獣》も古都イーディスも、取り合ってすらもらえませんでした。馬鹿なことを言うな、と」
「…そりゃなんとも」
理由は大体想像できる。本当に姫サマの報告を信じていないわけではないだろう。ウィグリッド家は姫サマの未来視の神授の存在を知っている。その裏付けがされたとあれば、《原初の獣》のことも信じるはずだ。
つまり、ウィグリッド家は《原初の獣》や古都イーディスの情報を独占するつもりなのだろう。そのほうが自分たちの利益になると思って。商人としては、まあ当たり前の話だ。
もし姫サマが勝手に情報を公開したとしても、ウィグリッドの名前なしでは信用を得られないだろうしな。
「だから、縁を切ってきました」
「…失礼、なんて?」
「ウィグリッド家との縁を切りました。もう私はアゲハ=ウィグリッドではなく、ただのアゲハです」
何で? 確かに《原初の獣》の存在を知らんぷりされたのは腹が立つだろうが、少し早計ではないだろうか。
「考えあってのことです。それで…報酬ですが」
ああ、忘れてた。確か成功報酬として金貨をもらう約束だった。
「とりあえず、手持ちのお金は…これだけ」
そう言って俺のベッドの上に置かれたのは、銅貨が一枚だった。
「ほとんどはバドゥ車の中の荷物に入っていたので…でも! 残りの報酬は必ずお支払いします。いずれ…出世払いで」
気まずそうに目を反らす姫サマ。
まあ、そうなるよな。ウィグリッド家の財産に頼れなくなったなら、ただの少女に大量の金貨なんて用意できるはずがない。
「いや、まあいいですよそれはどうでも。そんなことより、一文無しの宿無しになるわけでしょう? 何か考えでもあるんですか?」
その言葉を待っていたかのように、姫サマは目を爛々と輝かせる。何そのドヤ顔?
「当然です。何もかもがうまくいくはずの、妙案があるので!」
一瞬得意げな顔を見せたあと、何やら神妙な顔をする姫サマ。そのまま俺の顔を見つめて、言葉を続ける。
「ひとつ、お願いがあります」