回帰派②
「バシャリ」と、顔にかけられた水の音と冷たさで目が覚めた。
姉さんに会ったせいか、昔の夢を見ていたみたいだ。しばらくここがどこか分からなかったが、全身の痛みがよみがえると、自分が置かれた状況もまた思い出せた。
暗い部屋で逆さ宙づりにされ、全身を痛めつけられている。
右手の薬指と小指、それと左手の中指の爪を剥がされ、逃げられないように片足を折られているようだ。右目付近が腫れているせいか、視界が狭い。
身に付けていた《狩人の宝刀》は没収されたらしい。《蜃気楼の槍》やそのほかの装備も同様に。狩人装束も脱がされ、上半身は裸だ。
「やあ」
目の前に立っていたのは、黒い長髪に切れ長の目が強気で冷徹な印象を与える長身の女性。年齢は二十代後半から三十代前半といったところか。
腰には、黒塗りの鞘に納められた《狩人の宝刀》を下げている。
回帰派の《狩人》の証だ。
確か、仲間の《狩人》からはサァミラ首領と呼ばれていた。
首領、という呼び方が彼らの間でどういう位置づけなのかは分からないが、周囲の反応を見るに人を使う立場にいるらしい。
「食べるかい?」
サァミラは、自身の食べかけの干し肉をこちらに差し出してきた。
「…いやぁ、食欲ないもんで」
「ハハ、まあ拷問されてたからね。そりゃそうか」
実に気安く、宙づりの俺に話しかけてくる。
「そろそろ話してくれないか? キミの素性についてさ」
「いやいや、だから話してるじゃないですか。嘘を付く理由なんてないですよ」
何度も話した内容を繰り返す。
「貧乏暮らしのC級《狩人》、ジョンストン。ゴミ拾いの小汚ねぇガキに案内させて、密猟で一儲けしてました。それでアドンに収穫を換金しに来たら、このザマです」
「ああ、そうだったそうだった」
サァミラは興味なさそうに聞き流す。
「ここが回帰派に陥落されたってのは知らなかったんですよ。ギルドには報告しないので、見逃してくれませんかね?」
「ハッハッハ」
感情のこもっていない笑い声に、なんとも言えない薄気味悪さを覚える。
「ここはいい街だね。美味しいものもたくさんある。都ではなかなか手に入らないものもね。全く先人の努力には痛み入るよ」
近くのテーブルには、アドンで収穫したのであろう果物が置かれている。略奪品だろう。
「なら街を潰さなきゃよかったのに。住人殺しちゃ収穫も減りますよ?」
「おいおい人聞きが悪いなぁ…私たちが殺したのは“カミガリ”だけさ。霧の塔を壊した結果、獣化した人間もいたけどね。まあそれも、適者生存というものだよ」
カミガリとは、回帰派がギルド所属の《狩人》を呼ぶときの蔑称だ。
彼らいわく、カミガリは生きるべきでないものを生かし、殺すべきでないものを殺す。自然の摂理に反する不自然な存在であり、最も憎むべき存在だという。
「益あるものは生かす。害あるものは殺す。人も獣も変わりはしない」
サァミラは宙づりになった俺の目をのぞき込み、至近距離でささやくように言った。
「おかしいと思わないかい? 神に選ばれない人間を生かすために、選ばれた人間が死んでいく現状を」
この女は、霧による秩序のことを言っているのだろう。神気への適正がない人間が霧によって生かされている現状が気に入らないようだ。
「どんな世界であっても、生き残る人間と死ぬ人間はいる。でもそれを決めるべきは人間じゃない。自然…世界そのものであるべきだ」
つまり、神気適正のない人間は死ね、と言っているらしい。
「残酷に思うだろうが、そうじゃない。神気は資源だ…限りがある。あんな霧の塔なんて下らないもので無尽蔵に消費してしまえば、近い将来神気は枯渇してしまうだろう」
興が乗ってきた様子で、サァミラは熱を持って語りだす。
神気の枯渇問題に関しては事実だ。よく先生に愚痴られたから俺もよく知っている。
「つまり、だ。今いる人間を助けるか、未来の人間を助けるかということさ。中央と我々の違いはね。そして救える人間の数は、私たちのほうが多い」
演説は一通り終わったらしい。邪魔したら不機嫌になりそうだから黙っていたが、内容はどうでもいい。
この女も、本心で言っているわけではないだろう。ただ、俺の反応を見たいだけだ。
「…ご高説をどうも。でもそりゃ話す相手を間違えてませんかね? 俺は密猟者にまで落ちぶれた、たかがC級《狩人》ですよ」
「いいや、キミにで合っているよ。メルトリウス=ウォルフくん?」