雪原を往く③
ウェイリー雪原を進み続けて一週間。俺たちは……飢えていた。
「いない…いない…いない」
周囲を散策して、呪詛を吐きながら獲物を探す姫サマの姿は実に悲痛だ。
それというのも、雪原の様子がおかしいことに原因がある。
生物が全くといっていいほどいない。
雪原である以上元々豊かな生態系でないのは確かだが、それでも全く生物を見かけないのは異常事態だ。今は穏やかな季節のはずなのに、激しい雪まで吹雪いていて視界も悪く、進むのにも時間がかかってしまっていた。
道中の食糧確保ができないのは想定外で、まさに必死で食糧を探している。
「あんまり声出さないほうがいいですよ。獲物を探すのも俺たちに任せて大人しくしていてください。余計にお腹減るので」
「そうは…言っても…何かしていないと…気が紛れないです」
さっきから、姫サマのお腹がグーグーと悲鳴を上げている。俺とジョルジュの食糧を節約して姫サマに渡してやり繰りしているが、そろそろ限界が近い。
ジョルジュは広範囲を探索するため別行動中だ。周囲は吹雪のせいで視界が悪いが、辛うじてジョルジュの姿は確認できる。
そのとき、近くで「チュン」と小さな鳴き声が聞こえた。亡者のように差し出した姫サマの腕に、何かが止まっている。どうやら、小鳥のようだ。
「あっ…」
「ピュチュイ」
あの小鳥の名前はドルルス。温度をわずかに操作する神授を持つ神獣で、確か渡り鳥だったはずだ。まだ子供のようで、目も満足に開いていない。おそらく群れからはぐれ、こちらを親だと思って近づいてきたのだろう。
口ばしで腕をつついて、懐っこく身体を摺り寄せてくる。
「ふふ…可愛い」
つまりは、簡単に狩れる。
「ヒュッ!」と、横一閃。俺が腰から抜いたナイフは小鳥の首を両断した。鳴き声を上げるヒマもなく、小鳥は一瞬で絶命する。
「…へ?」
目の前で何が起きたのか分からない様子で、首の離れた小鳥を腕に乗せたまま放心する姫サマ。俺はそれをひとまず放っておいて、小鳥をつまみ上げて、調理のために羽をむしる。
「ちょ…何するんですかぁぁ!!!!」
「いやいや、しょうがないでしょ? そろそろ何か食べなきゃ死にますんで」
「う…うぅ」
恨めしそうにこちらを見て涙を浮かべながらも、じょじょに小鳥から鳥肉になっていく手元のものを見て、姫サマはよだれをダラダラと垂らす。忙しいな。
俺はそれに目を合わせず、黙々と鳥を調理していく。
羽をむしり終えて丸裸にしたら、雪でかまどを作って雪よけにする。
かまどの中に空間を作り、火打石で火種に点火し、火を起こす。しばらくそこに鳥肉を置いて火を通せば、焼き鳥の完成だ。
「ほら、食べないと」
ナイフに刺した焼き鳥を、姫サマに差し出す。
姫サマは少しだけ葛藤したあと、焼き鳥をつまみ、口に放り込んだ。
「うぅ…おいひぃ」
姫サマは涙目になりながら、噛みしめるように口を動かす。俺はそれを横目に、また肉を火に当てていた。
「はい、もうひとつ」
「いただきます…アナタたちは食べないんですか?」
自分だけ食べていることに引け目があるのか、口をモグモグさせながらも姫サマは申し訳なさそうに問いかける。
「俺たちは《狩人》ですからね。空腹には慣れてるので大丈夫」
空腹には違いないが、耐えられるという意味で大丈夫。今、空腹よりも重要なのは神気を回復することだろう。
ひとまずは、鳥の残骸である羽や骨をかじってその場をしのぐ。もちろん空腹は満たされないが、わずかながら神気だけは回復できるはずだ。
「やはり…妙だな」
偵察に向かっていたジョルジュがこちらに戻ってくる。俺が無言で鳥の羽をわたすと、ジョルジュもまた無言で羽を受け取ってムシャムシャとしゃぶり始めた。
「地上にはほとんど生き物がいない。空を渡り鳥が飛んでいるだけだ」
ますます吹雪いてきた。視界が悪くなっている。
少し進むと、吹雪のなかに何かの影が見えた。影の形から見るに四足獣。サイズも人の倍ほどで大きい。
「俺が見てくる。ここで待て」
その正体を見極めるため、ジョルジュが慎重に影に近づく。吹雪の中に入ると、ジョルジュもまた影へと変わり、やがて見えなくなった。
待つこと、しばらく。
吹雪の中から、何かの音がかすかに聞こえてくる。影は見えない。やむなく、こちらも声をかけてみる。
「ジョルジュ! どうした!」
返事はない。代わりに、遠くから叫び声のようなものが聞こえてくる。内容はハッキリとは聞こえなかったが……。
「今の声は?」
姫サマが、おびえた様子で問いかける。
「ハッキリとは聞き取れませんでした。でも…」
言えば、不安をあおらずにはいられないだろう。それでも、口に出さずにはいられなかった。
「逃げろ……と聞こえました」
それ以降、吹雪からはジョルジュの声も、悲鳴も何も聞こえなくなった。