転がる獣⑦
逃げて、逃げて、逃げ続ける。
ギガンテの凄まじい突進力の前には、いかなる障害物もないも同然。何かを壁にして避難することもできない。
ひたすら逃げ続けて、距離をとるほかない。
「グゴォォォ!!!」
咆哮を上げながら、転がり続けるギガンテ。その速度の前に、いかに《狩人》といえどいつまでも逃げ続けるのは無理だ。
いよいよ、ギガンテの姿が背後まで迫っているのを気配で感じる。振り返ったその瞬間に、ひき殺されるだろう。
「……しゃーなしか!」
弓を取り、構える。だがその目的はギガンテへの攻撃ではない。
矢を向けるのは進行方向、つまり大橋の方向だ。
「ビュッ」という音とともに放たれた矢が、大橋の付近の地面に突き刺さる。
「《番の矢》!」
もう一方の矢は弓へ番えることなく手に持って神気を込める。そして対となった矢は引かれあい、俺の身体を一瞬で大橋の付近へと移動させる。
ひとまず難は逃れたが、本来はギガンテへの攻撃に使う予定だった狩猟武器だ。二セット分しか用意できなかったのに、ここで逃走用に消費してしまったのは手痛い。
振り返り、ギガンテの位置を確認する。多少は距離をとれたはずだ。しかし、そこにいるはずのギガンテの姿は確認できなかった。
どこへ行った?
「ウッソでしょ、おいおいおい!」
その答えは、地面をこちらに向かって移動してくる巨大な影が示していた。
ギガンテが、空中を飛んでいる。
斜面を利用して勢いをつけ、こちらを飛び越していったらしい。
「まずい!」
「ドスゥゥゥン」と、一帯に地震が起こるほどの衝撃が響き、ギガンテが地面に着地する。俺の進行方向、大橋との間に。
道を塞がれた。いよいよ逃げ場がない……!
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
絶体絶命かと思われたそのとき、聞き覚えのある声が周囲に響いた。その叫び声がゴンゾウじいさんだと気付くと同時に、その影は俺の横を駆け抜けていった。
愛用の狩猟武器《蜃気楼の槍》を構え、スクリームに乗ってギガンテに向かって突撃していく。
「じいさん!!」
いくらなんでも自殺行為だ。そう思ってじいさんに大声で警告しようとするが……そのとき、じいさんの持つ狩猟武器が蒼い輝きを放った。
「くそ! それはダメだじいさん! 死ぬぞ!」
神授を使う気だ。
あの槍は、ゴンゾウじいさんがA級《狩人》時代に使っていた狩猟武器のはずだ。当然、消費する神気量はケタ違いだろう。今のゴンゾウじいさんが使えば、一瞬で神気切れをおこすに違いない。
「《蜃気楼の槍》」
ゴンゾウじいさんは、先ほどの叫び声とは打って変わって、落ち着いた声で狩猟武器の名を呼ぶ。
すると、その周囲に薄っすらと、ゴンゾウじいさんに似た影のようなものが発生した。
影もまた、槍を構えている。
「グァァァ!」
その様子にただならぬものを感じたのか、ギガンテはゴンゾウじいさんの方を振り返り、敵意を露わにする。
そして巨大な顎を持ち上げると……凄まじい勢いでゴンゾウじいさんに顎を叩きつけた。
「ぬんっ」
しかしゴンゾウじいさんはスクリームを巧みに操り、ギガンテの攻撃を難なく躱す。見事な腕前だ。
そのとき、ゴンゾウじいさんの周囲の影がその場から離れた。数は、二つ。その二つの影は、ほぼ同時に持っている槍を逆手に持ち替えた。あれは、槍投げの構えだろう。
「撃ていっ!」
ゴンゾウじいさんがそう叫ぶと、二つの影はそれに呼応して槍を凄まじい力で投擲する。その瞬間、先ほどまで朧気だった槍が確かな実体となったように見えた。
二つの槍は、勢いを保ったままギガンテの身体へと深く突き刺さる。ゴンゾウじいさんに注意が向いていたギガンテは、神授を発動する間もなかったようだ。
「グギャアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
大きなダメージを受けたギガンテが苦しみの咆哮を上げる。
「小僧! 時間は稼いだぞ!」
そういうゴンゾウじいさんの身体は、すでにわずかながら獣化している。神気が尽きたのだろう。限界だ。
だが、助かった。どうやら俺は、あのじいさんに命を救われたらしい。
「ありがとうじいさん! 十分だ! 逃げてくれ!」
そして俺は…大橋の方向へ向かって再度走り出す。
逃げるためではない。狩るために。
「ガァァァァァ!!」
その場から逃げ去るゴンゾウじいさんと俺を見たギガンテは、標的を俺に切り替えたようだ。あれに比べれば、容易い獲物だと思ったのだろう。それでいい。
いよいよ大橋に到達した俺は、橋の欄干を持ちながらギガンテの方向を振り返った。その目と鼻の先には、大口を開けるギガンテが迫る。
いいぞ、ここで追いつかれるのは予定通りだ。
「今だ! 橋を切れ!」
向こう岸に待機しているゴミ拾いに合図を出す。こんなこともあろうかと周囲に待機させていたうちの二人だ。
二人はその合図に戸惑いながらも、言われるがままに橋を支える巨大な大繩に斧で切りこみを入れた。
支えを失った橋はギガンテの重量に耐え切れず、そのまま崩壊する。俺とギガンテも、当然そのまま落下していく。
下にあるのは、深く流れの速い大河だ。
「ガァ!?」
ギガンテにとっても、全く予想外の状況だろう。それこそ、神授を発動する余裕もないほどに。
「今!」
そのスキを突いて、《番の矢》を放つ。その矢は、ギガンテの眉間に突き刺さった。狙い通り。この矢のダメージはわずかだが、それでいい。本当の狙いは別だ。
「バシャアン!」と大きな音とともに水しぶきが上がり、俺とギガンテが河に落下する。水中に沈んだギガンテは、慌てた様子で口にたまった空気を吐き出した。
重量のあるギガンテにとって、水中は大の苦手だ。俺に敵意を向ける余裕もなく、水面に向かって全力で泳いでいく。
その様子を俺は、水中でそのまま観察している。まだだ、まだベストなタイミングではない。待つんだ。
「ブワァ!」
ギガンテが水面に上がり、大きく息を吐く。
息を吐いた。つまり、この瞬間であればギガンテの神授は発動できない。
「ここだ!!!」
弓に《番の矢》を番え、放つ。
矢は凄まじい勢いで一直線に目的地へ向かって飛んでいく。目的地は当然、先ほどギガンテの眉間に突き刺した対の矢だ。
《番の矢》は、対の矢のある場所に向けて障害物を無視して一直線に飛ぶ神授を持つ。水の抵抗も無視できる。
「グギャアアアアアアアア!!!」
眉間に矢が突き刺さったギガンテは、巨大な咆哮を上げる。どうやら十分にダメージはあったらしい。その証拠に、頭の角が蒼く輝きだした。神獣の最後の命の輝きだ。
「グルァ!」
咆哮を上げたギガンテは、身を翻しその場から離れようとする。
俺はそれを追おうとはしなかった。ギガンテの頭上から宝刀を携え、飛び降りてくるジョルジュの姿が見えたからだ。
「逃がすかよ」
落下してきたジョルジュは、ギガンテとすれ違いざま宝刀を抜く。落下の勢いも載せたその蒼き一閃は、そのままギガンテの角を両断した。