ポジティブ娘の恋騒動
「好きです!!!!!」
ベティ・ミッチェルによるクライド・スコットへの告白の場面を見ても、周囲の人間は『ああ、またか』と思うくらいで何の感動もない。
おお~! とリアクションを取るのは三回目の告白まで。それ以降は、皆『はいはい、いつものね』という感想に変わる。
それほどまでにこの告白劇は日常的なものであった。
──この告白名物女こと、ベティは城に勤めて二年目の今年二十歳を迎える娘で、二つ年上のクライドに片想いをして一年目のメイドである。
ベティはそこそこ名の通る商会の末娘だ。
兄と姉が一人ずついる。
穏やかでやや世間知らずの両親とは違い、素晴らしい商才を持つ長男と、これまた誰に似たのかとびきりの美人の長女の妹として生まれたベティは、特出するところがないと認識されている平平凡凡な末っ子だ。
あの兄姉を持ちながらも、特に目立った才能も美貌も持っていない三番目──これが、世間のベティに対する評価である。
しかし、そんな性根をひん曲げそうな世間の評価とは真逆に、のんびりのほほんな両親、しっかり者の兄、美貌の姉、孫に甘過ぎる祖父母、優しい使用人達に末っ子らしく多大な愛情をたっぷりと注がれ、ベティは真っ直ぐに育った。
ベティの兄の顔は平凡だったが頭が良くて優しい真面目な人物である。
しかし、そのせいか学生時代はとんと人気のない男だった。
だが、卒業して仕事で大きな成果をいくつも上げるようになってから爆発的にモテだした。
されど、どんな美女に誘惑されようとも兄は学生時代から付き合っていた恋人と結婚した。
兄のそういう一途で誠実なところも人気が出た理由の一つなのだと言ったのはベティの美人の姉だ。そんな姉は城仕えをして僅か三か月で王の覚えめでたい文官に見初められて、猛烈なアプローチを受けて今では二児の母である。
姉が結婚すると決まった時、数多の男達が枕を濡らしたという話はあまりにも有名な話だ。
祖母は孫達に祖父と出会った頃の話を嬉しそうに語って祖父の耳を真っ赤に染め、ベティの母と父は親に決められた結婚だったが、幼馴染として育ち愛を育んだと聞く。
こんな話を聞けば、ベティだって憧れる。
好きな人との結婚に。
愛し愛され、家族のような幸せな家庭を築きたい。
そして、願わくは祖母のように孫達に惚気話をする可愛いおばあちゃんになりたい。
恋に夢見る少女ベティは、こんな感じでちょっぴり不純な理由の元、城仕えをすることを決めた。
──そこでベティが出逢ったのが彼、クライド・スコットである。
クライドは代々騎士を生業とするスコット家の次男で、王都を警備する警護騎士隊に籍を置いている人物だ。
城仕え初日で城内で迷子になって半べそになっているところを助けてもらったことをきっかけに、少しずつ話すようになり、いつの間にか好きになっていた。
そして。
恋心に気付いてからベティはクライドに、『いけいけどんどん押せ押せ好き好き攻撃』をしている。『引くことも大事だ』とアドバイスされたりもしたが、ベティに駆け引きなんて無理なのだから仕方がない。
そんな猪突猛進と書いてベティと読む娘は、今日も今日とて昼休憩の合間に突撃だ。
「クライドさーん!!!」
「またお前か」
「はい! また私です! ベティです! 好きです! これ食べてください!」
「……なんだそれ」
「クッキーです! 一生懸命作りました!!!」
調理場の端を使わせてもらって作ったクッキーの包みを差し出しながら言うと、クライドは「ふうん」と言って受け取って包みを開けて、中のクッキーを一つ口に入れる。
「どうですか!?」
「まあまあ」
「!」
クライドの『まあまあ』は『美味しい』と同義語だ。
ベティはクライドの反応に嬉しさを全面に出して喜ぶ。
最初に会った時の彼は、爽やかで優しい騎士然とした男だった。
ところが、接する内に徐々に敬語をやめ、作り笑顔だったクライドはだんだんと素を出すようになった。
ベティは彼が自分に素を見せてくれることが嬉しくって堪らない。
そんな風に思っていたある日。
クライドが騎士仲間達とベティについて話している場面に偶然、遭遇した。
クライドに、ベティのことを「お前、ベティちゃんとどうなってんだよ」と言うのはクライドと一番仲が良く、女性に人気の高いオニールだ。
オニールはベティに優しい。クライドの好きな食べ物を教えてくれたのも彼だ。
「あんだけ『好き好き』って言われるなんて男冥利に尽きるじゃないか」
「だよなあ、クライドもほだされちゃってない?」
「分かる。ベティちゃんって顔は普通だけど、なんか動きが可愛いんだよな~。俺、あの子見るとガキの頃飼ってた犬思い出す」
「確かに犬っぽいな……いや、それよりもだ。どうなの? クライド」
わっくわくしながら盗み聞きするベティは、クライドの言葉を待った。
「別に」
クライドの素っ気ない言葉に、「恥ずかしがっているのかしら?」と呟くベティ。
その後ろにいる仕事仲間のスアレスは「強……」と思わず声が零れ出た。
……そう、何を隠そう(隠せない)。
ベティはメンタルが鋼で、超絶ポジティブな娘だった。
「取り敢えず付き合えばいいのに」と、言うのはオニール。
(そうだそうだ、付き合ってやれ!)
オニールの言葉にベティは叫んだ。心の中で。
「なんでだめなんだ?」と、言うのは同僚A(名前忘れた)。
(そうだそうだ、なんでなんで!)
「あっ、もしかして。お前、淑やかな女が好きとか?」
「……」
無言は肯定である、と兄が言っていたことがあるのをベティは、ふと思い出す。
頭の良い兄が言うのだから間違いはないだろう。
なんてこった!!!
ベティは、残念なことに淑やかではない。
はっきり言って、いや控えめに言ったって真逆である。
「ベ、ベティ?」
隣のスアレスが、ベティの肩に気遣うように手を置いてその場から離れる為にこっそり引っ張る。
ああ、さすがにへこんでしまったに違いない。
スアレスは、慰めの言葉が咄嗟に思い浮かばずに眉を下げる。
「スアレス」
「う、うん、何?」
「『お淑やかな子』ってどんな子!?」
「……何この子。メンタル鬼強くて逆に引くわ……」
スアレスはまたまた思ったままに言葉が飛び出した。
そして思った──この子はお淑やかな子にはなれない、と。
◇
彼の好みの女の子が自分とは真逆だと知ってもめげないベティは、淑やかと言われている先輩である女性の観察をすることにした。
仕事の合間にメモをするベティにスアレスは「もう諦めたら?」と半ば呆れたように言うが、嫌だ。
簡単に諦められる訳がない。
だって好きなんだもの!
先輩はベティと何もかもが違った。
まず、笑い方が違う。口を大きく開けて笑わない。あと、声の大きさが違う。それに立ち居振る舞いも違う。ついでに雰囲気だって全然違う。
しかも、先輩は顔もお淑やかっぽい。
そしてベティが淑やかだと思う行動を取ると、同僚達はぎょっとした顔で「何か変なものでも食べた?」と聞いたり「具合でも悪いの?」と心配する。
……失礼過ぎやしないか?
「えっ? 今の私、最高にお淑やかじゃない?」
ベティが尋ねると、同僚達は顔を見合わせ口を開く──
「ベティがすると違和感が凄いっていうか。ねえ?」
「ええ。似合わないわ。あなたは元気なところが可愛いのに」
「男の為に自分を変えるって古くない?」
「で、でも、見慣れてないからかも知れませんよ」
さて。上記の話し合い(?)の結果。
上から四番目の意見を尊重することになり、ベティの『お淑やか大作戦』は続行となった。
「はあ、早くクライドさんに会いに行きたいなあ」
しょぼくれて机に突っ伏すベティを同僚達は止める。
「だめだよ!」
「そうね、だめよ。完璧に振舞えるまで会ってはいけないわ!」
「だめったらだめ」
「そ、そうですよ……?」
こうして『お淑やか大作戦』ならぬ『押してだめなら引いてみやがれ大作戦』は幕を上げた。
ちなみに前者の作戦がベティのもので、後者が同僚達のものである。
要は、恋の駆け引きを知らないベティへの手助けだ。
もちろんベティは同僚達の作戦を知らない。
◇
「はうぅん」
悩ましい溜め息を吐きながら、調理場の端でお菓子作りに勤むのは絶賛『お淑やか』を目指すベティである。
今のベティは正直言って、『お淑やか大作戦』なんてどうでもいいから彼に会いたい。
でも、親身になってくれている同僚達にそんなことは言えない。
会いたいけれど、彼の好みの女の子になるまでは会わない方がいいと強くアドバイスをされ、こっそり遠くから見ているが……そろそろ会話したいし、近くでクライドの顔を見たい。
だって、もうかれこれ三週間も彼と話していない。
十八の時に出逢ってから、もうすぐ二年。
好きになってから一年は、毎日毎日顔を見に行っていた。
クライドは面倒臭そうにしつつも、いつもベティの話に耳を傾けてくれたっけ……。
でも、今はそれを四百八十時間以上も我慢して、気を紛らわせる為にお菓子作りに専念している。
そのおかげでレパートリーが三つほど増えたが、食べてほしい人には食べてもらえない。
残念無念。
◇
「あっ、ベティちゃん!」
しょんぼりしながら作ったオレンジパイを持って調理場から出たところでクライドの友人のオニールに出くわした。
「あら、オニールさん。こんにちは」
先輩と同僚仕込みで、外面というものを手に入れたベティは控えめに、それでいて儚げに微笑みながら頭をぺこりと下げた。
「え? んん? ……ベティちゃん? 何、その話し方? どうしたの? 何か変なもんでも食った?」
オニールが言う言葉は、ここ最近ベティが言われている台詞である。辛。
「いえ、その……少々込み入った事情がありまして。それで、今までの(元気いっぱい押せ押せな)私のことはお忘れいただけると嬉しいのですが……よろしいでしょうか?」
「『今までのベティちゃん』じゃなくなったってこと……?」
オニールは、今まで気安く話していたベティの口調に顔を引き攣らせる。
「ええ、そうです。オニールさんにはこれまでご協力をしていただいたのに、こんなことを言って申し訳ありません」
「えーっと、つまり? もう俺の協力っていらない感じ?」
「はい、今は(メイド仲間と立てた作戦を実行し、今までの自分とは)違う人に(なろうかと絶賛努力中なので)」
「えー……マジでかー……」
この時、二人の会話には齟齬が生まれていた──オニールは、ベティの言葉を『今は違う人に恋をしている』と受け取ってしまった。
◆◆◆
「好きです!!!!!」
一年間、飽きもせず毎日毎日愛の告白をされてみろ。
それはもう、こちらにだって『情』が生まれる──つまり、愛情だ。
粗暴で気の利いたことも言えないことに加え、家も継げない次男坊に愛の告白なんて最初は揶揄われているのだと思っていたくらいにはクライドという男は捻くれ者である。
クライドはできる兄と比べられ、結果を出しても『できて当然』と言われて育ったスペアの男だ。
体が丈夫なことしか長所がないと本気で思っているクライドは、自分を好きだと言って駆けてくる二つ年下の女の子にいつも優しい言葉をかけられずにいる。
一番最初に会った頃の感じを続けていれば良かったのに、周囲の──特に騎士仲間達のゲスいにやにや顔に耐えられずに素っ気なくしてしまってから、ベティに優しくできなくなってしまったのだ。
分かりやすく言うならば、クライドは『見た目は二十二歳、中身は十四歳』だった。
「今日はパウンドケーキを作りました!」
息を切らして、可愛らしいラッピングの包みを渡されたクライドは、わざと眉間に皺を作って上がりそうになる口角をぐっと下げる。
「今日のは胡桃と干し葡萄を混ぜ込みました!」
美味しいと言わねば! と、思ってもにこにこ笑うベティの後ろにいる野次馬共の目に負けて、「まあまあ」と言ってしまう。
明日こそは。
と、思うだけの繰り返しの毎日は、ベティの「好きです!」によって、なあなあになっているのだが、クライドはそのことに気が付いていなかった。
そんな素直でない態度を続けていたある日。
クライドは友人のオニールに「取り敢えず付き合えばいいのに」と言われ、眉を顰めた。
取り敢えずって、何だ。なんて失礼な……と思っての嫌悪の気持ちが顔に出たのだ。
そのクライドの表情を勘違いしたアンドレは「なんでだめなんだ?」と、言ってくるのでクライドの眉間はついに山脈と化した。
「あっ、もしかして。お前、淑やかな女が好きとか?」
全く的外れなことを言うアンドレを、クライドは睨む。
(ベティは元気なところが良いのに、馬鹿か)
と、この時思ったことを言えば、あの勘違いは生まれることはなかったのだが、人生とはいつもままならない。
しかし『だから人生なのだ』と、かのケンドリック神も言っていた(うろ覚え)。
つまり。
クライドはこの騎士仲間達との他愛もない話をした日から、愛しのベティに会えなくなった。
◇
「……はあ」
まるで世界の終わりの前日のような溜め息を吐くのは、中身が十四歳の男ことクライドである。
もう三週間も、ベティと会っていない。
ついに愛想を尽かされたことは明確な事実だった。
当たり前だ、クライドが女だったのならば絶対にクライドは選ばない。
面白みのないクライドよりも優しい男を選ぶ。
そして、その予想は見事に当たってしまう。
「あー……あのさ、さっきベティちゃんに会ったんだけど」
言いにくそうに頭をぽりぽり掻くオニールに、クライドは嫌なものを感じた。
「ベティちゃん、お前のこと諦めたっぽい」
──どうして嫌な予感というものほど当たるのか。
クライドは目の前が真っ暗になった。
どうしたって、後悔は先に立ってくれない。
愚かな人間はいつだって後から悔やむ。
どうしてあの時ああ言わなかったのか、こう言わなかったのか、と。
いつだって大切なものだと知るのは失ってから。
でも人生なんてそんなものだ。
それから一年前の無味乾燥な日々に舞い戻ったクライドは、仕事や訓練に精を出した。
気を抜けば過ぎ去りし眩い奇跡みたいな日々が脳裏に掠るので、それはもう一心不乱に雑念を振り払う僧のように、己の責務と向き合うこと一週間。
クライドの背景にはどんよりとした靄がかかっていた。
そんな暗い男がいれば、周囲の仲間も心配を通り越してうんざりしてくる。
……じめじめじめじめじめじめじめと、うっとうしい。
その様子を『女々しい』などど言ったりはしない。
彼女達はか弱い見た目の割に案外図太く強いのだ。心だけなら男よりも強い時だって少なくない。
「お前はとりあえず、ベティちゃんにきっぱりすっぱり振られてこい」
オニールの言葉にアンドレや他の同僚達も無言で力強く頷く。
とりあえずで、きっぱりすっぱり?
そんなことになって果たして自分はその後、息をしているのだろうかとクライドは思った。
想像するだけで死んでしまいそうだ。
「無理だ、死ぬ」
クライドが言うと、「死ぬか馬鹿」と呆れた声で返事が返って来た。
馬鹿なもんか。こんなに苦しいのに……と思うクライドに優しい人間はこの場にはいなかった。
◇
「クライドさん……ご御機嫌よう」
本気を出した仲間達にお膳立てされたクライドは、偶然を装ってベティと一月ぶりの顔合わせを果たしていた。
声を聞くのも一月ぶりだ。
心無しか少しばかり痩せた気がするベティは、やっぱり可愛い。
小鹿色の癖毛と、夕焼け色のどんぐり眼が愛おしい。
だが。やっぱり、態度が違う。『ご御機嫌よう』なんて初めて言われた。
心の準備はしてきたつもりなのに、どこかで期待していたようだ。
当のベティは内心『今の私、最高にお淑やかだったぜ~~☆ hooooo!!!!』という状態なのだが、心というものは他人には見ることができない。だから、言葉がある。
「ベティ……その、なんだ……久しぶり、だな」
「はい、そうですね」
「あ、ああ」
会話終了──
【完】
──ナンチャッテ。
今まで会話が続いていたのはベティのおかげだと気付いたクライドは今度こそ死にたくなった。
でも、だからこそ。もう失うものはないと何処か吹っ切れたのかも知れない。
「ベティ!」
勇気を振り絞り、中身が十四歳の青年は自分の気持ちを言葉にした。
◆◆◆
「クライドさーん!」
「ベティ」
決して格好良いとは言えないしどろもどろな告白の後、無事、二人の交際は始まった。
「今日はケークサレです! 赤パプリカとカボチャ、ブロッコリーとハムと愛情をたっぷり入れてみました」
「ありがとう、美味そうだ。……嬉しいよ、本当に」
「えへへ」
断面図が美しい塩味のケーキを受け取りながら礼を言うと、ベティは花が咲いたように笑顔になった。
素直になったクライドは、以前とは比べ物にならないほどベティの自慢の恋人になった。
好き好き言っていたベティがちょっと恥ずかしくなるほどに、クライドが甘いのだ。
どうやらクライドの内なる十四歳の少年がぐんっと成長したらしいのだが、それはベティのあずかり知らぬものである。
幸せそうなほやほやカップルの後ろではベティの同僚兼友人達が、うんうんと訳知り顔で頷いている。
「まったくよー! あの一年間は一体何だったんだ、お前等」
とオニールが口を尖らせる。
しかし、ベティは思う。
ベティがクライドに好きだと言い続けていた一年間は無駄ではない、と。
かくして『お淑やか大作戦』ならぬ『押してだめなら引いてみやがれ大作戦』はこれにて幕を閉じた。
そして余談だが、後にこの作戦で何組かのカップルが誕生するのだが……それはまた別の話である。
というわけで。今度こそ、めでたしめでたし。
【完】