Ep.91 密区域
「レバさんはティナちゃんの師匠って人知ってるの?」
タナトスは不思議そうな顔で尋ねる。信じられないといった表情でレヴァナントはそれに答えた。
「【戦王アーレウス】って名前を知らない奴の方が珍しいだろ。先の大戦で一番有名な戦士だよ」
「へぇー。アイテル姉さんなら知ってたのかな?」
考えてみれば当時の彼女は戦争に参加するような年齢ではない。戦地で名を馳せた英雄の名を知らないのも至極当然なのである。勝手に納得するレヴァナントは分かりやすく彼女に説明し始めた。
「南の主力部隊には、そのアーレウスって化物みたいな奴が先陣をきって活躍してたんだよ。俺の居た西の軍隊ですらその名を聞けば迷わず逃げろと言われたもんだ。ほら、西で世話になったブックマン中佐……いや、船長か。あんな屈強な軍人でさえアーレウスとの交戦は避けていたんだぜ?」
「ああ、あの船長さんか!」
重厚戦艦グロワールを操る退役軍人ブックマン。二人が思い浮かべたその人は、筋骨隆々のいかにも屈強そうな海の男の姿。
「生身で西の重装備兵器と渡り合い、大剣一本で北の魔法や東の異能をブッた斬ったそうだ。それ以外にも幾つか逸話もあるが……とにかくとんでもない人物だな」
「へぇー……そんな強い人がいるんだね」
自分から尋ねた割にすでにタナトスの関心は離れているようで、生返事で夜空を見ていた。
「そんなに期待してるとガッカリするかもしれないよ? 今はただの隠居オジさんだから」
先を進むティナは悪戯に笑って言った。
「ようやく到着よ。二人ともお腹は空いてる?」
ティナの問い掛けに「平気だ」と応えようとしたレヴァナントに、タナトスが恨めしそうな目で首を振って口を挟む。
「お昼に食べて以来だから、お腹空いちゃったよ」
「お前、最近ホント食ってばっかだな?」
「仕方ないじゃん、お腹空くのなんて当たり前の事だよ」
また言い争いが始まりそうになるのをティナは宥めた。目前に見えた山小屋のような家屋を指し示すと彼女は言う。
「あそこが師匠の家よ。きっとこの時間なら夕食くらい用意しているでしょ、遠慮なくご馳走になりましょう」
すっかりティナと打ち解けたタナトスは嬉しそうに頷く。つい今しがた出会った南の騎士と、聖血カテドラルについて知り得るかもしれない大戦の英雄……レヴァナントはこの出会い運が良いと思いつつも、僅かに警戒していたのであった。
◆
近くで見れば見るほどその家屋はお世辞にも広いとは云えない程、こぢんまりとしている。山小屋のように見えた木製扉の覗き窓から橙の光が溢れている。ティナは扉を叩いて中へ向かって声を投げたのであった。
「師匠、只今戻りました。ティデイナです!」
『――おう。開いてるから適当に入れ』
向こうから男の声と思われる低い声が帰ってくると、彼女は扉を開いた。人一人が住むには充分といった広さの部屋の真ん中に、背を向けて座る人影が映る。
「師匠、お元気そうでなによりです」
「まぁ、ぼちぼちってとこだけどな。歳には勝てんよ……そんなお前はまだ49席から上がってないんだって?」
「ウッ……そ、それは……」
背を向けたまま話す男は言葉を詰まらせるティナを笑うと、豪快に酒を煽る。口にした酒の余韻を楽しむように、男は深く息をついた。
「それで? おまえが連れてきた後の二人組は何者だ?」
ティナの後で機会を伺っていた二人に気がついていたのか、男は振り返ることもなく尋ねる。
「じ、実は師匠に少し相談がありまして……可能であればこの二人に【特区】の話を聞かせてあげてほしいんです」
「……特区だと?」
男はその言葉に反応を示すと、酒瓶を置きゆっくりと立ちあがった。
「状況がわかない。まずは詳しく話せよ、馬鹿弟子?」
振り向く男、【戦王アーレウス】は鋭い眼光で三人を見据える。ほんの一瞬感じとった男の殺気に、レヴァナントの心拍は跳ね上がるのであった。
◆◆
外観からある程度想像は出来ていたが、この山小屋のような家は中もかなり朽ちてきている。促されるままに腰を下ろした二人。少し動いただけでも軋む床に、タナトスは面白がって何度も鳴らしていた。
「おい、タナトス止めろって」
「……おいおい、古い家なんだから穴開けるなよ?」
「ごめんなさい、ギシギシするのが面白くって」
戦王アーレウスの圧に緊張するレヴァナントを他所に、タナトスはいつもの通りにとぼけている。
「それで……うちの馬鹿弟子が迷惑掛けたって所まではティナの話で理解できた。だが何故お前らは特区に向かいたい? 見たところこの国の者でも無いんだろ」
「あんたの弟子にも尋ねたんだが、聖血カテドラルって場所を探してるんだ。ティナは心当たりがないと言ったが、その特区とやらになら可能性はあると」
鋭い眼光で睨むアーレウスは小さく舌を打つ。
「馬鹿弟子め、余計な事を……仮にそんな大聖堂が有ったとして、お前はそこに何しに向かうつもりだ?」
アーレウスの圧がより強まった気がする。レヴァナントは目の前に感じる危険な殺気を堪えながら答えた。
「……人を探している」
「どんな奴を探してる?」
一瞬言葉を詰まらせるレヴァナントであったが、覚悟を決めたようにアーレウスを睨み返し答える。
「……俺の妹だ。幼い頃そこへ引き取られたって事以外、今は行方も知らない」
彼の答えにアーレウスは表情も変えずに黙ってしまうが、不思議と先程まで感じた殺気は消えていた。
「フゥー……確かな手掛かりはずいぶん昔の話だけかよ。まぁいい……お前、名前はなんて言う?」
「レヴァナント・バンシー。あんたの事は嫌って程に知っている、あの戦王に対して失礼極まりない事は重々に承知だ。だけど頼むッ、特区について教えてくれないか?」
再び大きな溜め息を着く戦王アーレウス。懇願するように必死に頭を下げるレヴァナントに一瞥をくれると、やれやれと口を開く。
「無理だな。特区は南国にとって最高機密の区域。常識的に考えて他国のどこの馬の骨とも知らない奴に教えられるわけがない」
「確かにそうかもしれない、だがッ――」
「――くどい。それ以上はただの幼稚な我が儘だ、お前にだって理解できるだろう?」
項垂れるレヴァナントを心配そうに見るティナは、口を挟もうと動いた。
「だがまぁ……出来の悪い弟子の責任を師が取るのも、常識的に考えれば普通の事だ。そこでだ……」
ティナが言葉を発する前に師匠は続ける。思いがけない彼の言葉に顔をあげるレヴァナントに、戦王は悪戯に口元を弛ませた。
「レヴァナント、俺と戦え。お前が見事俺に決定打を与えられたら、特区について教えてやるよ」
「そっ、そんな師匠っ、いくらなんでもそれは無茶苦茶ですッ――」
堪らず騒ぎだしたティナを見て、アーレウスはまた何か思い付いたように笑う。
「そうだティナ、お前もせっかく修行に来たんだろ? レヴァナントと共闘でいい、久しぶりに実戦の稽古つけてやるぜ」
殺気は消えたもののアーレウスから放たれる圧迫感は尋常ではなかった。身震いする左手を掴んで止めるレヴァナントは大きく頷いて条件を呑むのであった。