Ep.90 夕刻の約束
日没と共に閉められるその扉は、数十人がかりでようやく動く。幾年もの雨ざらしにより錆びだらけの鉄扉は悲鳴にも似た不快な音を立てた。レヴァナントはそれを訝しげに見つめていたのであった。
「ティナちゃん遅いねぇ……」
つまらそうに足元の石を転がすタナトス。溜め息でそれに返すレヴァナントは完全に沈んで消えゆく陽光を見送る。また今夜も不死身に戻る時間がやってくるのだ。
「もう少ししたら来るだろ」
「はやく来ないかなぁー……」
酒場を出る前、二人はティナと約束を交わしていた。
『夕刻に国境線で待っていて』
騎士の仕事があると言い残して去っていった彼女を、言われた通りに待っていたのである。妹へと繋がる手掛かりになり得るかもしれないティナの言葉を全て信用はできないが、他にすがるものがない彼等は待つ事しか出来なかった。
「――おぉーいっ! 待たせてごめんね」
二人は遠くから近づいてくる声に気がつくと振り向く。重たい金属の摩れる音と共に、全身鎧を着込んだ彼女は現れた。
「悪いわね、少し引き留められてしまって……」
「いや、問題ない。それよりその【師匠】とやらはすぐ近くにいるのか?」
息を切らす彼女にレヴァナントは急かすように尋ねる。何度か頷いて答えるティナは指差して口を開く。
「ええ、師匠の移住先まではすぐにつくわ。今日は修行も兼ねてこの街に来ていたからね」
レヴァナントはホッとしたように口元を緩ませる。歩き出そうとした瞬間、突如として奇声が聞こえた。
『剛剣騎士パーシバルッ、決闘を申し上げる!』
声の聞こえた方には槍を構えた男が立っていた。雄叫びのような叫び声を何度もあげて、その男は近づいてくる。
「はぁ……次から次へと、今日は本当にタイミングが悪すぎ」
「おい、一体なんなんだアイツは?」
突然の来訪者に状況を呑み込めないレヴァナントは言う。溜め息混じりにティナはそれに答えた。
「騎士にはね、決闘って言う面倒臭い規則があるのよ。目上の騎士を倒すことで自らの力を証明するの。決闘に勝利した場合、序列を繰り上げする事が出来る。まぁ、力量が拮抗している下級騎士には重宝される規則なんだけどね」
兜を脱いだティナは肩をすくめて見せる。今にも飛びかからんと奇声を発する敵に目もくれない彼女は、両手をあげて叫んだ。
「その決闘、悪いけど拒否させてもらう。私闘での抜剣を師から固く禁じられている」
腰から下がる剣の柄から離すように、彼女の両手は天を仰いでいる。その姿に固まる槍の男は一瞬たじろいだが、すぐにまた怒鳴り付けるように口を開いた。
「ふざけんなぁッ! 俺は貴殿を倒して、念願の上級にッ――」
槍を構えた男は激昂して走りだした。その姿を不快そうな表情で見るティナは、仕方ないといった表情で片手を柄に伸ばそうとした。
「やめとけ、こっちは今取り込んでる」
低く強いその声に槍男の足は止まる。突然目の前に現れた巨大何かに、男は震えながら後ずさるのであった。
「俺達は急いでる、わかったら黙って消えろ……いいか、絶対に邪魔すんなよ?」
ティナの後ろで剣を抜いたレヴァナントは吐き捨てる。背後から伸びた巨大な黒蛇は大きな口を開けて牙をちらつかせていた。
「ひ、ひいぃぃ、命だ、だっ、けばぁ――」
悲鳴をあげる槍男は、三人を背にして逃げてゆくのであった。
「すごい、もしかしてそれって北の魔法? レヴァナント、あなた一体何者なの!?」
ティナは目を丸くしてレヴァナントを見た。何故だか得意気なタナトスがそれに答える。
「不し……いや、ただのレバさんだよ」
レヴァナントの視線に気がついたタナトスは、言い直して少し口を尖らせた。彼女の説明に理解の出来ないティナに、レヴァナントは口を開いた。
「なんて事ないさ。ただの元傭兵だよ……さぁ、早くお前の師匠とやらのいる場所へ案内してくれ」
催促するように言葉を切ったレヴァナントに、ティナは肩をすくめると詮索を止め歩きだした。二人は彼女の後をついて行くのであった
◆
国境線を区切る大きな壁沿いをしばらく進むと、やがて途中で道は途切れた。生い茂った木々が行く手を阻むのであったが、小型のランタンを掲げたティナは構わず進んで行く。獣道ともいえない鬱蒼とした森を黙って着いていく二人は、先を進む小さな灯りを見失わないように目を凝らす。
「もう少しでつくわ」
振り返るティナは後を遅れる二人を待って足を止める。
「だいぶ街から離れたが……こんな森の中に本当に住んでる奴なんているのか?」
「うちの師匠はちょっと変わった人なんでね。こんな何もない森の奥で隠居生活してるの」
怪訝そうな顔でレヴァナントは先を見る。真っ暗な森はまだまだ続いていた。
「ねぇ、レバさんってば――」
「うん? どうかしたか……ってお前ッ、なに捕まえてんだよ?!」
タナトスに呼ばれ振り返ると、彼女は巨大な蛙を両手で持ち上げていた。
「ティナちゃん、この子が昼間の串焼き?」
「え、ええ……そ、そうよ。タナトス、よく素手で掴めるわね」
ランタンの灯りに照らされた巨大蛙の体はヌルり光っている。ひきつった表情のティナは後ずさるのであった。レヴァナントが早く放してこいと荒げると、渋々といった様子で蛙を逃がす。
「結構可愛いんだね……次は食べちゃうの躊躇しちゃいそうだな」
呆れるレヴァナントに、青ざめるティナ。二人にはタナトスの可愛いの基準がまったく理解出来ないのだった。
「あ、ほら。灯りが見えた! もう少しで着くわ」
気を取り直したティナが森の奥を指した。僅かだが確かに橙色の小さな光が見て取れる。
「師匠は家はあそこ。もしかしたら二人とも、うちの師匠の事を知っているかもしれないわよ?」
「ティナの師匠ってのは、そんなに名のある人物なのか?」
鼻を鳴らして頷きティナは答える。
「とっくに引退してるけど……現役の頃の通名は【戦王アーレウス】。デュランドールきっての伝説級騎士よ」
首を傾げるタナトスは「誰?」と漏らす。レヴァナントは聞き覚えのあるその名前に、思わず聞き返すのであった。