Ep.89 食文化は多様性
フィロドロン街中に佇む古びた酒場は、灼熱の太陽から逃げ込んだ客達で賑わっていた。来るもの拒まずと云わんばかりに適当に並べられたテーブルと椅子は、いかにも国境の街といった様子である。
「本っ当に、ごめんなさい! 私ってこうゆうドジする事が多くって……」
重苦しい甲冑を纏ったティナは申し訳なさそうに何度も頭を下げる。苦笑いのレヴァナントはまたもやそれを宥めたのであった。
「もういいって、俺達なにもご馳走にあやかる謂われもないし……なぁ、タナトス?」
「そうだよティナちゃん。ここの支払いはレバさんにドーンと任せて大丈夫だからっ!」
適当な事をぬかすタナトスにレヴァナントは軽く睨む。
「し、しかし、それでは……あ、そうだ! さっき、あなた人探しをしているって言ってたよね? 私に何か手伝える事はあるかしら」
「本当か? それは助かるよ、なら【聖血カテドラル】って場所を知らないか?」
待ってましたとばかりに身を乗り出すレヴァナントは、妹へと繋がる唯一の手掛かりを口にした。心当たりを探すようにあちこち見上げて、ティナは何度もその名称を呟く。
『――はい、おまちどおさまッ。熱いうちに召し上がりな!』
突飛な声に二人はビクリと体を揺らす。目の前のテーブルに突然置かれた大皿に目を丸くして驚いた。
「うわぁ、美味しそうっ」
待ってましたとタナトスは、黒々とした塊肉が刺さる山盛りの串に手を伸ばす。一口噛ると、嬉しそうに唸り声をあげたのであった。
「いつの間に注文したんだよ、まったくお前ってヤツは……」
「コレ、この店で一番人気なんだってさ。ここに書いてあるよっ、確かにすっごく美味しい。ほらレバさんも食べてみなよ?」
テーブルの片隅に置かれた品書を指差してタナトスは言う。そこに記された【ゴルイアス串焼き】という文字にレヴァナントは眉を寄せて首を傾げたものの、素直に一口噛ってみた。思いの外さっぱりとしたその味に「旨いな」と洩らした。食べ続ける彼女は対面に座るティナにもそれを進める。
「い、いや、遠慮しておくわ。私、ゴルイアスはちょっと苦手で……」
ティナは歪めた笑顔で答える。その仕草に不信感を覚えたレヴァナントは、何の肉なのかと尋ねるのであった。
「そ、そうね……南国にはよく居るのよ……良く湿ってるから、その……巨大……蛙」
「――うぇッ! か、カエルぅ……?!」
【ゴルイアス】という巨大な蛙は南の国特有の固有種であり、全域に生息している。食料の乏しかった古代から食用にされてはいたが、現在のこの国ではあまり好まれる食べ物ではないようであった。
「へぇー、蛙ってこんなに美味しいんだね!」
構わず口に運ぶタナトスを二人は黙って遠い目で見つめた。
「お前の適応力は、ある意味見習わなきゃいけないな……いや、やっぱり無理だ」
レヴァナントは食道を汲み上げてくる嗚咽を堪えるのであった。
◆
「聖血カテドラルだっけ?……残念だけど、私にはその場所に心当たりはないわ」
「そ、そうか……」
ティナはしばらく考えた後に答えた。残念そうにそれを受け入れるレヴァナントに、彼女は続ける。
「ねぇ、何か書くものはある?」
隣で串焼きを食べ続けるタナトスの肩を叩くレヴァナント。頷いた彼女は床に置いていた荷袋から筆と藁紙を取り出してティナへ手渡す。ティナはサラサラとその紙に何かを描いてゆく。どこかで見たようなその形に、レヴァナントは北と南を繋いだ大陸だと気がついた。
「このデュランドールでは大きく分けて二つの区域があるのは知っている?」
「いや、南の事はほとんど知らない」
素直に答えたレヴァナントは続けてくれと頷く。
「そう、じゃあ分かりやすく話すわね。ここが現在地。そしてここからこの辺りまでが【第一区域】」
墨で描いた南の陸地を型どった図形に大きな円を書き足す。ティナはその円の中に、さらに1/3位の小さな囲いを描いて続けた。
「この中が所謂【第二区域】よ。この中には上級騎士とこの国の政に携わる人物しか立ち入ることはできないの。私が知っているここまでの区域で該当する場所は聞いたことがない」
ティナは二人の理解を確認するように視線を合わせた。頷くレヴァナントと首を傾げるタナトス。この国のどこかにあるはずの聖血カテドラルは何処にも存在しない。そんな失望が頭を過る中、ティナはまた話を続けたのであった。
「大聖堂っていうのは騎士にとって優先保護の対象なの。大概の騎士ならば、全ての場所と名前くらいは把握しているものよ。それでも、もし、騎士が知り得ない大聖堂があるとすれば……」
ティナは第二区と呼んだ円の中にさらに小さな円を描くと、トントンと指でそれを叩いた。
「この【特区】にあるとしか考えられない」
彼女の言葉にレヴァナントは身を乗り出した。デュランドールの大陸中央、その区域は簡易な手書き地図の中で殊更に小さい。
「聖血カテドラルはこの場所にあるのか?!」
レヴァナントの言葉にティナは首を横に振って答える。
「わからない。しかし、ここへ行けるのはこの国でも本当に僅かな選ばれた人物だけ。実際に存在するのかすらも怪しい噂話だけどね」
再び溜め息を溢すレヴァナントを不思議な顔で見るタナトス。いつの間にか大皿に盛られた串焼きはほとんど無くなっていた。
「……だけど、この場所について詳しい人物を私は一人だけ知っている」
「ほ、本当かッ?! ソイツは一体何処にいるんだ、すぐにでも会って詳しく話を聞きたい!」
すがるようなレヴァナントに、大きく頷いてティナは答える。
「もちろん、恩返しも兼ねて会わせてあげる。私の師匠にね」
ティナはそう言って胸を叩くのであった。