Ep.85 カルキノス
キャンザァへの奇襲をかける少し前、レヴァナントは廃教会の中で盗賊達へ指示を出していた。
「不死身の唯一の弱点は異形の身体だ。ただし、完全な異形の姿に変わればそれだけ敵も強くなる」
盗賊達は彼の話に半信半疑といった顔で聞いていた。とても理解し難い内容ではあるものの、実際に不死を目の当たりにした数名の盗賊達がいる事実がある。
「異形って例えばどんなのってんだよ?」
ステゴロも嘲笑しながら彼に尋ねた。それでもレヴァナントは真剣な眼差しで答える。
「人間サイズの奴もいれば、山みたいにデカイ奴もいた。強さだけでいえばどちらも化け物じみてる。とても生身で敵う相手じゃない」
初めは笑っていた盗賊達であったが、レヴァナントの鬼気迫るような迫力にいつしか真顔に変わっていた。ようやく聞く耳を持った野盗達に話を続けようとするレヴァナントに、タナトスが耳打ちする。
「……レバさん、レバさん。いつも通り私の呪術でやっつければいいんじゃないの?」
「……馬鹿言うな。もしもステゴロが西で七死霊門を見てたらどうする。アイツの盗賊団を皆殺しにしたなんて知れたら、今度は俺達が敵になるだろ」
レヴァナントの言葉に「ああ!」と納得するタナトス。二人が過去にステゴロから金貨を奪い、彼の束ねた盗賊集団を壊滅させた事実はまだバレていないのであった。
「要するに、俺達は何をすればいいんだっ?!」
こそこそ話す二人に向かってステゴロは声を荒げた。取り巻きの野盗達もすがるような目付きでレヴァナントを見つめている。
「要するに……あんたらには残骸を狩り尽くしてほしい。本体は俺が殺る」
レヴァナントは剣を軽く掲げて見せると、薄ら笑いで言い放つのであった。
◆
野盗のアジト、岩肌に掘られた洞窟でレヴァナントは銃を構えて睨み合っていた。薄明かりの奥で近づいてくるキャンザァはおよそ人のそれではない両腕を自慢げに叩き鳴らして叫んでいる。
「大口叩いた割には大したことねぇなぁ。その貧弱な蛇で一体どうやって俺様を倒すんだぁ?」
レヴァナントの視界にようやくその全貌が映る。キャンザァの異形の両手、甲殻類を思わせる巨大な爪を何度も鳴らしていた。
「……何が出てくるかと思えば、ただの蟹腕じゃねぇか?」
「減らず口より命乞いでもするんだな? 悪いがさっきの借りは倍じゃあすまねぇぞ」
巨大なを開くとキャンザァは一気に間合いを詰める。初撃を躱し銃を放つレヴァナントの足が何かに掬い上げられると、二撃目の爪で地面に叩きつけられた。
「馬鹿がッ、俺様の外殻はそんなケチな銃弾じゃあ傷もつけられねぇぞ?!」
土煙が洞窟内に広がると、衝撃によって壁の岩肌は亀裂を刻む。
「……その長い手足もやっば、ただの蟹じゃねぇか。これなら俺一人でも余裕かもしれねぇな」
キャンザァの蟹爪は押し上げられる。土煙の中から現れた巨大な黒蛇と、剣を構えたレヴァナントは土の混じった唾を吐き捨てた。
「ほほぅ? 今ので潰れなかったのは誉めてやる」
「あいにくお前よりもずっと強い種持ち達と、何度も戦ってるんでね」
黒い大蛇は牙を剥き外敵を見据える。剛健な殻爪を大きく開くキャンザァはニタリと不適に笑うのであった。
◆◆
「……お前、俺様がどうしてわざわざこんなちんけな盗賊集団の塒にいるか解るか?」
キャンザァは突然辺りを見回して口を開いた。
「さあな。日陰者だから暗いところが性分にあってんじゃねぇか?」
皮肉に笑うレヴァナントは、言葉とは裏腹に警戒を解かずにいい放つ。
「つまらねぇ冗談だな。……なら教えてやるよ、俺の転生変換術でなァッ?!」
レヴァナントは剣を強く握りしめる。呼応するかのように飛び出す巨大な九つの黒蛇頭が、最大の警戒心を掻き立てるように牙を向いた。
「後悔するなよ? 神水守蟹ッ――」
キャンザァが叫ぶと同時に激しい地鳴りが起こると、視界は暗闇に包まれた。レヴァナントの黒蛇は主人を守るように覆い被さる、暗闇が洞窟の落石と気がつくまでしばらくかかったのである。
「――お前も同じ種持ちなら、まさかこんなもんじゃ死なねえよなぁッ?!」
唐突に広がる夜空の下、巨大な影がレヴァナントを見下ろした。月明かりが都合よくそれを照らすと、不気味な怪物は全容を露にするのであった。
「まさか、本当に正体が巨大蟹とはな……通りで固い身体な訳だ」
森の木々を遥かに凌ぐ巨大な身体。大きな蟹のような怪物は重音を放つと、両の鋏を何度も鳴らす。
「神水守蟹の外殻は金剛石よりも固い。そのちんけな蛇ごと叩き潰してやろうッ」
キャンザァの野太い高笑いは夜の森に響いたのであった。
◆◆◆
巨大蟹は長い数本の手足を持ち上げると、地団駄を踏むように打ち付けた。蛇頭と視界を共有するレヴァナントは危なげなくそれを避け続けた。
「――おおい、さっきの威勢はどうしたッ?!」
野太いキャンザァの声が夜の空に響く。抵抗するレヴァナントの銃弾は固い殻で容易く弾かれる。
「くそ、本当に固ぇなッ」
銃での応戦を諦め呪剣を突き立てる。しかし、先程同様に外殻は傷一つ残らないのであった。
「無駄だッ、この森で大量の石灰と甲虫を吸収した神水守蟹の殻は誰も砕けねぇぞぉ」
キャンザァは長い時間をかけて森で種の求める殻を手に入れていた。強固な爪を躱しながらレヴァナントはバステトの話を思い出していたのであった。
(種は求めるモノを与えればより強力に変わる――)
レヴァナントの黒蛇が巨大蟹に牙を突き立てる。当然の如く弾き返された。
(クソ……せめてミナーヴァの魔法みたいな威力があれば……)
蟹爪は徐々にレヴァナントを追い詰める。頬を掠める一撃に赤い筋が伝う。
(……いや、やってみる価値はあるか)
レヴァナントは頬の血を拭うと銃に手を伸ばしたのであった。