Ep.82 北の盗賊
すっかりと日の落ちた夜道を進む馬車は、その速度を緩めていた。うたた寝をするレヴァナントがその変化に気がついて起きる少し前、隣で声が聞こえる。
「そろそろ湿地を抜けて開けた平野に着きます。今日はこの辺りで一晩過ごしましょうか」
手綱を握る御者の男は一息つくように大きく息を吐いた。うつろなレヴァナントは思わず寝入ってしまったことに軽く謝ると、彼の提案を受け入れるように言葉を返す。
「見てください。あそこに開けた場所があります、野営の支度をしましょう」
御者は手綱を叩く。馬車は林を進み、やがて草木の枯れ果てた広い場所へと止まった。馬へ労いの食べ物を出す御者にレヴァナントは欠伸を噛み殺しながら声を掛ける。
「悪い、つい寝入っちまった。何か手伝える事はあるかい?」
「いいえ、お疲れの事情はミネルウァ様から聞いていますよ」
御者は手早く荷を下ろし始めていた。寝ぼけた頭を叩いてレヴァナントは手伝おうと告げる。
「それでは火の支度をお願いしてもいいですか? 私は食事の支度をしますので」
「ああ、それならお安いご用だ!」
レヴァナントは手近な枯れ枝を集める。簡単に組み上げた石造りのかまどにそれを入れると、火打の代わりに薬莢を叩いた。
「……うぅん、レバさんついたぁ?」
大きな音に起き上がるタナトスは寝ぼけたままに辺りを見回した。呆れた二人は顔を見合わせるとどちらともなく笑うのであった。
「飯の支度だよ、お前も手伝えよな?」
レヴァナントの言葉に寝ぼけたタナトスは馬車を降りる。宵を迎えた広野に静けさを忘れる程に騒がしさが広がってゆく。
◆
「お二人とも無事で本当に良かった。いやぁ、今夜はお酒が旨いなぁ!」
「おいおい、また飲み過ぎるのだけは勘弁してくれよな?」
以前飲み過ぎで出発が遅れた事がある御者の男に、レヴァナントは苦笑いで諭す。上機嫌の御者を余所目にレヴァナントは進められた果実酒をチビチビと口へ運ぶ。非常食と呼ぶにはあまりに豪勢な食事に、タナトスは手を休めず舌鼓をうっていた。
「どれも美味しい! あ、レバさん食べないならそれ頂戴?」
「……お前、一日で食料全部食い付くすつもりか?」
レヴァナントの前に並ぶ串焼きを両手で掴むと幸せそうに口へと運ぶタナトス。下船前に軽い食事を済ませたはずであるが、彼女の食欲は止まることを知らないようである。
「ほらほら、レヴァナントさんももっと食べて!」
そう言っておもむろに料理を手渡されるレヴァナント。久しぶりの穏やかな夕食と、楽しそうな二人の表情に思わず小さな笑みを溢した。
「ほらタナトスさんも一杯どうぞ!」
「果実酒ってそんなに美味しいの? 頂きまーす!」
「ちょっと待てッ! 子供に酒飲ませるなよな?!」
酔いの廻る御者を慌てて止めるレヴァナントは呆れた顔でグラスを奪う。そのやり取りを見て不服そうなタナトスが文句を述べる。
「私もう子供じゃないよっ、もうすぐ17歳になるんだから!」
賑やかな宴は宵の静けさを忘れさせるかのように、しばらく続いたのである。騒がしい二人に挟まれるレヴァナントは疲れたように天を仰いぐのであった。
◆◆
灰だらけに変わった釜戸の中に残り火が燻っている。燃えかすをつつくレヴァナントは藍深くなった夜空を見上げていた。
「まったく……散々食い散らかした挙げ句、片付けは人任せかよ」
レヴァナントは宴の後片付けをしながら呟く。御者の男は大きなイビキをかいて馬車に寄りかかって寝てしまった。馬車の中ではタナトスが時折寝言を呟きながら熟睡している。
「いい性格してる奴らだ」
苦言を溢したレヴァナントであったが、その表情は穏やであった。思い起こせば西国から始まった旅はもうすぐ一年もの月日が経とうとしている。冷え込み始めた夜風に当たりながら、彼はこれまでの旅路を思い出す。様々な出会いに支えられた長いようであっという間の旅、思い浮かぶ顔ぶれにレヴァナントは目を閉じる。
「レイス……」
最後に浮かんでいたのは幼い妹の姿で、逸る気持ちを押さえるように大きく息を吐いた。
「……ッ!」
息遣いのような僅かな物音にレヴァナントはすぐに反応した。立ち上がると同時に周囲に意識を向ける。夜更けと共に研ぎ澄まされた不死者の感覚は、明らかに何かの気配を感じ取っていた。
「野生の動物じゃ無さそうだな。三人……いや、後ろからも二人か……」
暗闇の続く森の奥からこちらを見る視線には、隠しきれない殺気が込められている。レヴァナントは急いで二人に向けて叫んだ。
「二人共、早く起きろッ」
彼の言葉は虚しく木霊する。二人はレヴァナントの呼び掛けに僅かに返事をするものの、まだ寝入ったまま動かない。一方で闇の広がる木々の奥からは、風を切る音が聞こえた。
「クソッ!」
反射的に銃口を向けたレヴァナントは飛翔する何かを打ち落とす。数発の発砲音で御者の男はようやく目を覚ますと、いきなり頭を押さえ込まれた。
「身を低くして馬車の後ろへッ、タナトスを頼んだ」
そう言って再び飛び出したレヴァナントに飛礫が襲う。意思を持ったように飛び回る岩をひたすらに打ち落としてゆく。完璧に撃墜させる彼の背後から、また別の何かが襲い来る。
「今度は何だよ?!」
再び迎撃を試みたレヴァナントであったが、今度は弾丸をすり抜けた。衝撃がレヴァナントを襲うが、既に不死となった彼の傷は即座に治る。
「これは、水の弾……? てことは魔法か?!」
いつの間にか馬車を取り囲むように五人の男が森の奥から現れていた。緊急事態に悲鳴をあげる御者の男はすっかり酔いが覚めたらしく、馬車を動かそうと慌てていた。
「王都の兵士……ではないか」
兵士とは違う男達の見た目に既視感を覚えたレヴァナント。しかし今は現状を乗り切る策に頭を巡らせる。
「仕方ねぇな……親父さんから貰った呪剣、試し斬りにはちょうどいいか」
肩掛けにした柄を左手で掴むとゆっくりと抜く。鞘に納められていた状態よりも意外に軽い剣を真っ直ぐに構える。剣はレヴァナントの不死の力と呼応するかの如く不気味な威圧感を放った。
「すげぇ、何だよこれ……」
刀身を露にした瞬間、一斉に悲鳴のような鳴き声が響き渡った。馬車の前で休んでいた馬達も立ち上がると、御者の握る手綱を無理矢理ちぎり逃げ出してゆくのであった。次々と起こる異様な光景の原因に、当事者であるレヴァナントだけは気づいていた。
「瞋の剣か。とんでもねぇ業物渡してくれたもんだ」
漆黒の夜空と同化する頭は揺らめきながら辺りを睨み付ける。レヴァナントの背後から伸びた九つの大蛇は牙を剥き出して威嚇していた。
「レバさん凄いっ、そんなの出せたの?!」
いつの間にか目の覚めていたタナトスが馬車を降りて空を見上げている。高揚とも違う、内から滲み出るような黒い感情を押さえるようにレヴァナントは構えた。
「悪いが加減の仕方がわからない。それでも向かってくるなら、確実に死ぬぜ?」
五人の男達は巨大な怪物を前に震え上がる。交戦の意思を根こそぎ折られた彼等は口々に助けを乞うのであった。
◆◆◆
「わ、悪かったッ、俺達の敗けだ。どうか命だけはぁ……」
一人の男が地面に擦り付けるように頭を下げると、他の輩も次々と同じように降参の意思を示した。
「お前ら何者だ? なぜ俺達を狙っていた、ネストリアの兵士から頼まれたのか?」
切っ先を向けたままレヴァナントは尋ねる。頭を下げる男達の頭上で大蛇はいまだにその牙を剥く。
「お、俺達はこの辺りを狩り場にしているただの野盗だよ。いつもの様に獲物を探し歩いていたら、ちょうどあんたらの馬車が見えて……すまねぇ悪かったよっ、この通りだ……」
懇願する男達に眉根を寄せたレヴァナントは、黙ったまま剣を納めた。それと同時に大蛇も姿を消してゆくのである。
「お、おい……ひょっとしたらこの人なら……」
「……ああ、確かにな……」
何やらゴニョゴニョと話し合う男達は大きく頷き合うと、一斉にレヴァナントの前に並ぶ。突然の彼等の行動に身構えるレヴァナントは再び柄に手を掛けた。
「あんたの力量を見込んで頼みがある。俺達、野盗を助けてはくれないか?!」
「は、はぁ?」
野盗の五人はレヴァナントに深く頭を下げた。困惑する彼を他所に男達は騒ぎ始めたのである。
「大蛇のアニキッ! 頼むよ、俺達に力を貸してくれ――」
レヴァナントの手をとる野盗の姿に、タナトスは後ろで一人笑って見ていた。




