Ep.81 大きな大陸
晴天のもと、日差しの熱を照り返す波は穏やかに揺れる。東国製の一隻の旧式小型船は大海に浮かんでいた。時代遅れの駆動音はキイキイと不安な音を奏で、とても誉められたものではない速度で進む。
船首の横に腰を掛けるレヴァナントはじっと先を見据えていた。時折大きく揺れる小型船は上下に激しく揺れるが、彼は構うことなく身を任せていたのであった。
「ふぁぁ……まだ着いてないのかぁ」
気の抜けた大きな欠伸に続いて、寝ぼけたような声が聞こえた。
「いくらなんでも寝すぎだろ……6時間は寝てたぞ?」
薄い青紫の乱れた髪を撫で付けながら照れたように彼女は笑うと、船首に座るレヴァナントの方へと歩み寄って隣に腰をおろした。
「さっき船員が言っていた。あと1時間程で着くそうだ」
「うぅっ……ん! 流石に長かったね」
大きく伸びをするタナトスに、呆れ顔のレヴァナントは言いかけて止める。今朝の早起きが彼女にとってどれほど大変な出来事であったのか……乗船直後に熟睡する彼女を見て、レヴァナントは胸のうちで密やかに礼を呟いていた。
「レバさんはずっと起きてたの? 考え事?」
「ああ、少しな……」
タナトスは彼の顔を覗き込む。レヴァナントの考えている事は予想がついていたが、あえてその名は口にしなかった。
「……聖血カテドラル。それが|妹レイスを養子に取った施設の名前だ」
「なぁんだっ! 名前がわかってるならすぐに見つけられそうだね」
楽観する彼女にレヴァナントは頭を振る。
「名前だけさ、南の大陸の何処に在るのかまではわからない。それに……今でもそこにレイスがいる保証は何もない」
そう言って遠くの海に視線を逃がす彼に、また明るい声色でタナトスは告げた。
「きっと大丈夫だよ。レイスちゃんは南の国の何処かにいるはず、私達が探していればきっと見つけられる」
「……そうだな。お前の言う通り、俺達次第か……よし、降りる前に軽く何か腹にいれとくか!」
レヴァナントは言い聞かせるように頷いて立ち上がると、ブリッジに向かって歩きだした。彼を追いかけるようにタナトスは駆け寄る。太陽は少しづつ西の空へと傾いて行くのであった。
◆
「――助かったよ。エレボスさん達に宜しく伝えてくれ」
船を降りたレヴァナントは甲板に立つ小型船の船長に告げる。船は大きく蛇行すると、元来た海路へと帰って行く。
「すっかり日が落ちてきたな……さてと、俺達も向かうか」
小さくなってゆく船に手を振るタナトスに声を掛ける。彼女は大きな鞄を背負い頷いた。
「南へ向かう関所に向かうんだよね? えぇっと、なんて所だっけ……」
鞄に手を突っ込み何かを探すタナトス。南国へ繋がる関所がある街までの簡素な地図を取り出すと、レヴァナントへそれを渡した。
「王都からずっと南だな……この地図だと距離感がわからないが、これ……歩いて向かうのは厳しいだろ」
ミナーヴァの書き記した街は、北国大陸の中央にある王都のほぼ真下。一つ、二つは山を越えなければ辿り着かないように見えた。
「一度ネストリアに戻る? 馬車か何かで行けないのかな……」
タナトスは船着き場の辺りを見渡す。街から離れた淋しい森には馬車はおろか人影すら見当たらない。
「いや、ネストリアは駄目だ。恐らく俺は脱獄者扱い、袋叩きが落ちだろう」
ミナーヴァが話していた五賢人との密約は、レヴァナントには別の意図を感じさせていたのである。
「そんなことないよ! 北の偉い人たちはちゃんと取引するって言ってたよ?」
「うわべではな……とにかく、今は危険を犯してまでは戻ることはない」
二人が騒ぐ声よりも大きな物音が聞こえると、レヴァナントはタナトスを屈ませ草むらへと身を潜めた。
「……どうしたの?」
「シッ……何かが近づいてる。このまま身を隠すぞ」
息を殺す二人の視界に大きな影が映る。
『――あれぇ、おかしいなぁ。遅れちゃったのかな?』
拍子抜けするほど惚けた声が聞こえる。ネストリアの紋章を掲げた一台の馬車は、荒い森の道を掻き分けて進んできた。
「レバさん、あれって……」
手綱を握る男を見て二人は顔を見合わせた。そんな二人をようやく見つけた御者の男は慌てて馬車を止めた。
「レヴァナントさん、無事で良かった!」
「もしかして、俺達がここに来ること知っていたのか?」
御者の男は再会を喜ぶと、二人の持つ地図と似たような一枚の紙切れを取り出した。
「ミネルウァ様から内々に指令が来たんですよ。レヴァナントさん、タナトスさんのお二人を国境の街フィロドロンまで送ってほしいとね」
「まったく、流石は国選魔導士様だ。何もかも段取りが良いな」
「流石はミーネちゃんだね!」
喜ぶタナトスを見て御者の男は首を傾げると、レヴァナントに耳打ちする。
「……レヴァナントさん、こちらのお美しい女性はどちら様でしょうか? それにタナトスさんの姿が見えないような……」
「なに言ってんだ? 目の前のコイツがタナトスだよ」
「――ええッ?!」
記憶の中の小さな女の子とは異なる、成長したタナトスの容姿に御者は目を丸くして驚いたのであった。
◆◆
二人を乗せた馬車は国境の街フィロドロンへと走り出していた。縦長の馬車の中には何やら荷物が詰め込まれており、どうやってもタナトス一人しか座れない。レヴァナントは仕方なく御者の隣にすわるのであった。
「御者さん、ミナーヴァから内々にって事はやっぱりそうゆう事なんだろ?」
「そ、それは……」
レヴァナントの問いかけに御者は困ったように言葉を濁していた。馬車に積まれた食料や物資を見たレヴァナントは察していたのである。言葉を選ぶように御者は語り始めた。
「王都襲撃の首謀者について……五賢人様達からは明確に国民への言及はしていません。しかし、あの晩居合わせた誰かから不死者の話が漏れたようで……」
「仕方ないさ、俺は容疑者で脱獄囚だしな。実際のところ、ネストリア王が亡くなった原因は俺の暴走だからな」
溜め息混じりに呟くレヴァナントに御者は言葉を詰まらせる。
「それに国家転覆を目論む一味の中にネストリア王の子息が居たなんて知れたら、それこそ暴動になりかねない。五賢人も言及しない方が何かと都合はいいんだろう」
「そんな……やはりオルクス王子が関わっていたんですね……」
二人は互いに黙ったまま遠く先を見据えたのであった。
「――大丈夫だよ、黄色い人がレバさんは無罪にするって約束してくれたから!」
荷車の小窓から顔を出したタナトスは、二人の後ろから突然言いはなった。思わず驚く二人に馬車はバランスを崩してにわかに蛇行する。いつから二人の会話を聞いていたのか、タナトスは何度も同じような言葉を繰り返した。
「わかった、わかったッ!……ったく、ビックリさせんなよな? 一体いつから顔出してたんだよ」
「び、ビックリしたぁ……黄色い人って、界雷のトール様の事ですか?」
タナトスの言う黄色い人とはミナーヴァの師であり、五賢人の一人界雷のトールの事であると御者はレヴァナントに説明する。そして付け加えるように口を開いた。
「トール様もきっと味方になってくれるはずだ……もとよりミネルウァ様や私達はレヴァナントさんを信用しています。きっと疑いは晴れるはずですよ!」
御者はどこか自分にも言い聞かせるように声を張りあげていた。似つかわない御者の助言に苦笑いのレヴァナント答える。
「それは、どうもありがとな……それより関所まではどのくらいで着きそうなんだ?」
使命感に燃えるように鼻息を荒くさせる御者は得意気に答えた。
「順調に走ればまる3日くらいです! あ、心配は要りませんよ? 充分な食料は用意してあるので、途中の街へ立ち寄らなくとも2日くらいなら野営で過ごせますから」
「うへぇ……またそんなにかかるのかよ……広すぎだろ、北国は……」
得意満面の御者と正反対に、レヴァナントは大きな溜め息をつくのであった。




