Ep.79 私達の呪術
夜明け前の空は濃淡な藍色で塗り潰されていた。初めて見る異国の夜空は他のどの国とも違う神秘的で崇高な輝きを放つ。
明け方前に目を覚ましたレヴァナントは静かに屋敷を出ると、眼下に望む東国を一人眺める。
「……すげぇな」
藍色の空に輝く無数の光の帯はキラキラと輝きを放っていて、彼は思わず独り言ちたのであった。星の光とも違う不思議な光の粒達は滑らかな曲線を描いている。
じっと眺めるだけで吸い込まれるような錯覚を覚える光景に、レヴァナントは岩場に腰を下ろして見いっていた。
「不思議な夜空でしょ?」
後ろから語り掛ける聞きなれた声に、振り返る事もなく彼は答えた。
「もう起きてたのか? まだ夜明け前だぞ」
「レバさんこそ、早起きにしては早すぎるよ?」
そう言って微笑むタナトスは彼のすぐ側に立つと、空を指差して口を開いたのであった。
「あの光はね、命が流れているんだって」
「命が……流れる?」
レヴァナントは夜空を見上げたまま彼女に尋ねた。
「……うん。東国には古くから色んな神様がいて、夜は命を運ぶ神様達が次の朝に新しい命を吹込む為の準備をしているんだって。昔お母さんが教えてくれたんだ」
同じように空を見つめながら彼女は続けた。
「昨日失くなった命を夜空が運んで、次の日の朝が命を引き継ぐ。なんだかレバさんの不死や私の呪術みたいだよね」
彼女の話を聴きながら曖昧に相槌を返すレヴァナントは流れる光をぼんやりと見ていたのであった。
「レバさん、もしかして一人で出ていくつもりだった?」
レヴァナントは驚いたような顔で彼女を見て答える。
「……お前の親父さんの話を聞いてから、発つつもりだ」
「妹さんの行方に手掛かりは?」
彼女の問いかけに頭を振って答える。
「……妹を養子に取ってくれた先は南の大国という事だけ。とにかく南へ向かってみるさ」
溜め息にも似た短い息を吐くと、まだ冷えた夜に呼吸は白い余韻を残していた。
「ねぇ、妹さんの事聞いてもいいかな?」
そう言ってタナトスは隣に座る。伺うように顔を覗き込む彼女に、今度は溜め息とは違う短い息をついてレヴァナントは口を開くのであった。
◆
いつになく饒舌な自分に驚きながらも、レヴァナントは妹について語っていた。隣に座るタナトスは相槌をうちながら、頷いてみたり時に笑って彼の話を聞いていた。
「泣き虫なクセに負けず嫌いで、9も歳上の俺によく背伸びして張り合ってきてさ。自分の背丈が俺より低いってだけで半日泣いて怒ってたんだぜ?」
「アハハッ、でも背が低くて悔しい気持ちは私もわかるなぁ」
彼女の何気ない相槌が、彼にはとても心地よかった。
「ちょうどついこの間までのお前位の背丈だったか……」
「何それっ? 余計にレイスちゃんの気持ちわかるなぁ」
他愛のない言葉を幾つも交わしているうちに空にはゆっくりと青が伸びてきていた。深呼吸するレヴァナントの身体には透き通った空気が入ってゆく。明るく変化して行く空に、気持ちも変わっていくような不思議な高揚を覚える。ようやく伸びた一筋の朝焼けは二人を包み込むように輝いたのであった。
「……よし。決めた、私も一緒にレイスちゃんを探しに行くよ」
朝陽を浴びたタナトスは優しく微笑む。
「いいや、お前は東国に残れ。終焉王はお前の力も狙っていた、このままギオジンに残ったほうが安全だ」
眩しそうに手をかざすレヴァナントは首を横に振って答えるが、心の何処かで彼女が食い下がる事は無いとわかっていた。
「いいえ、私も一緒に行くよ? 私だってレイスちゃんにも会ってみたいし、それに……」
タナトスは何かを探すように腰元へ手を伸ばす。取り出したソレを抜くと彼に見せたのであった。
「これは……」
刀身のない短剣の柄を受け取ると、レヴァナントは昨日を思い出すかのように左の胸辺りに手をやった。
「呪印はまだレバさんの中に有るみたい。やっぱり私達はまだ相棒関係みたいだね!」
「お前……」
屈託ない笑顔を見せたタナトスにレヴァナンの言葉は途絶えた。紡いだ表情で見る彼女は愉しそうに笑っている。
「……全部仕組んでたのか? まったくとんでもない奴だな」
「そんな事知らないよ?」
彼女はわざととぼけて続けた。
「レバさんはさ、ずっと私の……ううん、皆の事をいつも気に掛けてくれてたよね。私ね、ずっと伝えたかったんだ。ありがとうって……それでね、最近少しわかった気がしたの」
タナトスは立ち上がると朝陽を背にして笑う。
「皆がレバさんを頼るのは、レバさんは不死身だからとかじゃなくて、いつも誰かの事を気にかけてるから。だから皆、そんなレバさんを信じてるんだよ?」
拙い言葉で彼女は続けたのであった。その姿にレヴァナントはただ茫然と聞いてしまう。
「不死身のレバさんはとっても強い。だけどそれよりももっと強いのは、きっと他人を想うレバさん自身なんだよ。だから皆そうゆうレバさんに頼っちゃう、だってカッコいいもん」
「なに言ってんだか……」
レヴァナントはわざと視線を逃がして聞いていた。
「ありがとうって、私も、ミーネちゃんも、道化師さんも皆が思ってる。だから、少しは返したい。私達にも頼ってほしい。もしも辛かったら話してよ、今度は私が気に掛けるから」
朝焼けはいつしか大きな光の帯を一体に降ろす。その偉大な姿に目が眩むようにしてレヴァナントは瞳を閉じていた。
「私達はまだ相棒のままだよ。私の修行も、レバさんの目的も達成していない。一緒にレイスちゃんを探しに行こう!」
笑顔を向ける彼女に顔を背けるレヴァナントは、しばらく何も答えず黙ったまま朝焼けを見つめていた。短い沈黙の後に彼は息をついて口を開く。
「……不死身の他に、もっと厄介な呪いを掛けてくれたもんだな」
「リーパーの……ううん、私達の呪術は規格外だよ? さあ、そうと決まれば早く朝ごはん食べて旅の支度しなくちゃっ!」
すっかり上がった太陽に照らされる石畳、立ち上がったタナトスは屋敷へ駆け出した。すぐに振り返る彼女はレヴァナントを手招く。呆れ笑いを浮かべレヴァナントはそれを追いかけるのであった。