Ep.74 彼女は再び彼にせがむ
タナトスの両手に握り締められた短剣クシフォスとサイフォス。刀身に刻まれた独特な装飾は、暗闇の中でも艶かしく怪しい輝きを放っていた。
「いくよ。七死霊門、裂傷門――」
タナトスは短剣を地面に突き立てると叫ぶ。二本の刃は彼女声に呼応するが如く怪しい輝きを放つと、巨大な扉がその姿を……現さないのであった。
「……あれ? おかしいなぁ、呪術はちゃんと発動してるはずなのに……」
自信満々な妹の姿を見守っていたアイテルは、呆気に取られたような表情で口を開いた。
「あなた、もしかして……お父様から祝詞の事、聞いていないの?」
「え? お父さん、私の祝詞は解けたって言ってたよ」
首を傾げて何度も地面に刃を突き立てるタナトスに、アイテルは大袈裟な溜め息をついたのであった。
「はぁ―……お父様が掛けていたのは身体の成長を遅らせる祝詞。七死霊門を抑制している祝詞は私が掛けているんだから、自由に扱えるワケないでしょう?」
「そうなの?! アイテル姉さん、それなら早くその祝詞を解除して!」
アイテルはさらに大きく溜め息を吐いた。姉を急かすようにタナトスは騒ぎ立てる。我慢の限界に達したアイテルは、珍しく声を荒げた。
「……あなたねぇ……いいッ?! その祝詞が解けたら七死霊門は自由にあなたに干渉出来るの。そうなればどうなるか、いくらものわかりの悪いあなたでもわかるでしょうッ?! 私の祝詞がその力を押さえ付ける為の最後の防壁で、タナトスにとって唯一無二の命綱なのッ! ほんっとにこの子は、こっちの気持ちも知らないで――」
「で、でもさぁ……」
初めて目にする姉の本気の怒気。タナトスはそれでも負けじとごねてみたが、姉の凄みに負けて渋々口を閉じた。
「まったく……祝詞を解除しなくても今まで通りの使い方なら七死霊門は扱えるわよ。ほら、彼処にいる半端不死者に手助けして貰いなさい」
アイテルは頭を抱えて激しい稲光が走る方を指差した。
「あ……レバさんだ!」
ブードゥーと交戦を続けるレヴァナントに、タナトスはようやく気がついた。喜びも束の間、彼女は何かに気がついて項垂れるのであった。
「でもだめだよ。私、呪術の印持っていない……」
「……その短剣、もしかしてリーパーの宝庫で手に入れたモノ?」
タナトスが地面に突き立てた短剣を指したアイテルは、それを見せろと云わんばかりに視線で訴えた。
「うん。お母さんから新しい死柱にしなさいって貰ったんだけど……」
抜き身の短剣を手に取ると、座り込む姉の元へ持ってゆくタナトス。アイテルは短剣に触れることなく、神妙な面持ちでそれを見つめた。
「……印ならここにあるじゃない。あなた、この装飾に見覚えない?」
「見覚えって、綺麗だなって思うけど……あっ! もしかしてこれって」
姉の助言にタナトスは何かに気がついた。アイテルは黙ったまま頷き返すと、懐から呪術が記された札を取り出して見せる。二本の短剣に刻み込まれる装飾は、アイテルが持った呪符と同じような模様をしている。
「これって……なんの意味だっけ?」
目を細めて呪符と睨み合っていたタナトスは照れたように笑う。呆れたアイテルがすぐに答えた。
「呪印の祝詞でしょ、まったくこの子ったら……」
「じ、冗談だよっ? わざと聞いたんだから!」
白々しく笑い流そうとするタナトス。
「この祝詞が装飾されているって事は此方が呪印で、もう一本は呪術の媒介。そうなると使い方は恐らく……」
「なるほどっ! これをレバさんに渡せば、印が着くんだ。それなら呪術が使える!」
「ちょっと、待ちなさい、話を最後まで聞き――」
アイテルの制止を振り切るタナトスは、レヴァナント達の戦いを見ていたキルビートに向かって駆け出した。
「道化師さーんっ、私を彼処まで飛ばしてー!」
「彼処ってまさか、あの闘争の中へかい?! ……いや、きっと何か考えがあるんだね。わかった、バンシー君とミネルウァさんを頼んだよ!」
キルビートの魔法がタナトスを包む。早合点する妹を止めようと叫び続けるアイテルの声は彼女に届かないのであった。
◆
レヴァナントを窮地から救ったミナーヴァは、彼と共にブードゥーと交戦を続けていた。
「相変わらずえげつない威力の魔法だな。だけど、相手も相当に手強いぜ」
「ええ。姿は少し違うけれど、奴の事は城で一度交戦しているからよく知っているわ」
ミナーヴァの強烈な雷撃により燃え上がる敵を見据えて、二人は呟いていたのであった。辺りに漂う焼け焦げた腐臭に顔を歪めてレヴァナントは尋ねる。
「タナトスはともかく、お前までギオジンに来てたのは驚いた。まさか、五賢人の命令で俺を捕らえに来たんじゃないよな? だけど、正直今は助かった」
「冗談が言える位の余裕はあるみたいね。今のあの子を見たらもっと驚くわよ? それより、今は気を抜いている暇はないわ」
二人の視界には煙に包まれたシルエットが動きだしていた。黒焦げの表皮が全て剥がれ落ちるとブードゥーは再びその異形を露にする。
『良い魔法だ。……しかしながら、不死にはまったくの無意味だ』
ブードゥーは身体から再び死肉で作られた歪な腕が生やすと、二人を目掛けてその怪腕を伸ばした。
「ミナーヴァ、不死者の弱点は異形のあの身体だッ! 壊し続ければいずれ必ず限界がくる」
レヴァナントは手近な瓦礫の破片を手に取ると、ブードゥーの攻撃に身構えた。
「レヴァナント待ちなさいッ! 奴の攻撃をまともに受けてはいけない――」
ミナーヴァの助言が彼に届く前に、ブードゥーの怪腕はレヴァナントの握り締めた瓦礫を掴む。その瞬間、激しい爆発がレヴァナントを襲った。
「――痛ぅッ、くそッ!」
爆発により弾け飛んだレヴァナントの両腕は不死の力により元へ戻る。ブードゥーが追撃の怪腕を伸ばそうと構えた一瞬に、ミナーヴァの雷撃がそれを阻んだ。
『なるほど……不死を盾に、魔法を剣に立ち向かうか』
「ミナーヴァッ! 攻撃の手を止めるなッ」
体勢を立て直したレヴァナントは、ブードゥーに向かい飛び出す。
『このまま君達を滅ぼしてもいいが、私の目的は既に変わっている。……ここは死肉の屍に相手をして貰うとしよう』
ブードゥーは何かを唱える。再び激しい爆発が辺りを飲み込むと、すでに飛び出していたレヴァナントは衝撃に弾かれた。
「――レヴァナントッ!」
吹き飛ばされる彼に意識が向いたミナーヴァに、死角の上空から巨大な拳が降り注ぐ。
『私は扉の鍵を手に入れるとしよう……』
ブードゥーの術によって再び現れた屍の巨人は、二人の逃げ場を無くすように拳を振るい続けたのであった。
◆◆
「ミナーヴァ、大丈夫か?!」
「ええ、何とかね。あんな隠し球があるなんて……城で戦った時よりもずっと厄介になってる」
ブードゥーによって作り出された屍巨人の猛攻をなんとか掻い潜った二人は、絶望的な状況に追い込まれていた。
「本体はまたアイテルを狙うつもりだ、早くこのデカブツをなんとかしねぇと」
レヴァナントは暴れまわる屍の怪物を見据えながらミナーヴァに呟いた。
「どうにかして俺があの化物を引き付ける。その間にミナーヴァはアイテルの処へ向かってくれ。お前の速さなら、奴よりも早くたどりつける」
「馬鹿言わないで。あんな怪物を、あなた一人でどうやって……」
決死の策に反対するミナーヴァに、彼は自嘲気味に笑って答えた。
「俺もあの化物と同じ不死身だ。心配なんてもんは不要だぜ?」
「レヴァナント、あなたって人は」
レヴァナントの瞳は覚悟を物語っていた。黙って頷いたミナーヴァはせめてもと一言告げる。
「……絶対に死なないでね。あの子も、私達もあなたを失いたくはない」
「……。知っての通りそう簡単には死ねない身体でね、いくらでも甦ってやるさ。ミナーヴァ、頼んだぞ」
レヴァナントの背後から再び黒蛇がひしめき合う。屍の怪物を見つめた彼は、ミナーヴァへ合図を叫んだ。
「3つ数えたら行くぜ、1……2……3ッ!」
両足に力を込めて踏み込むレヴァナントの眼前に、突然光の束が集まった。彼にはそれがキルビートの魔法だと気付く間もなく、光の束は形を作り始めた。
「痛ッてぇッ!」
「痛ったぁっ!」
いきなり現れた障害物におもいっきり頭をぶつけた彼はその場に悶え転ぶ。同時に頭を押さえて蹲る少女も、小さく唸り声を上げていた。
「大丈夫ッ? これはキルビートの魔法……?」
近くで見ていたミナーヴァには、彼が動いた瞬間目の前に現れた魔法が見えていた。ミナーヴァは蹲る少女に駆け寄る。
「痛いなぁ……レバさん急に走り出さないでよ」
彼女はまだ頭を撫でて口を尖らせた。聞き覚えのあるその声に、レヴァナントは目を見開いた。
「お前……その姿……もしかして……」
大きく頷いた彼女は、レヴァナントの見知った姿よりもずっと大人に変わっていた。唐突な出来事に次の言葉が見つからない彼に、彼女は初めて出会った夜と同じような満面の笑みで告げる。
「レバさん。また、私の為に死んでください!」
深く頭を下げた後、タナトスはその手を差し出した。呪われた不死者レヴァナントと呪いを掛けられた呪士タナトス。二人は再び巡り逢うのであった。




