Ep.73 種の器
激しい耳鳴りの後にレヴァナントの意識は戻った。薄目に写る景色は土煙に巻かれ、一体何処にいるのかも解らない。何故自分は地面を這いつくばっているのか、状況を理解するまで僅かに時間がかかった。
「クソッ……なんだよこれ……そうだッ、アイテル、ステラ、無事か?!」
レヴァナントの呼び掛けに返事はない。依然として静まる気配のない粉塵の嵐は、爆発の破壊力を物語っていた。
「何処にいるステラッ? 返事をしろッアイテル?!」
祈祷士ステラの【剥がし】により、バステトの体内から取り除かれたブードゥーの種。呪士アイテルの封印呪術によって一度は封じ込められたのだが、ブードゥーは術を破り外へ出た。
そして……
レヴァナントは土煙の中で人影を見つけた。彼の目にはそれが誰のものかすぐにわかった。
「バステトかッ! お前、無事なのか――」
レヴァナントの駆け寄ろうとした足が止まる。
「そんな……ウソだろ……」
ブードゥーに身体を開かれたバステトはすでに絶命していた。身体の中央から扉のように引き裂かれた胴体、内部の赤黒い臓物からは僅かに血が流れ続けていたのであった。
「うぅ……ゲェッ……カハッ……」
汲み上げる猛烈な吐き気にレヴァナントは思わず膝に手をついた。数多くの死線を越えてきた彼でも堪えられないような程、バステトの遺体は凄惨な姿をしていたのである。
「……ちくしょう、どうなってやがるんだ」
口元を拭い、立ち上がるレヴァナントの目に再び不可思議な光景が写る。
『オォォォォ……』
「なんだ……バステトなのか……?」
引き裂かれた胴体はひとりでに動く。さらに開かれてゆくバステトの遺体は、裏返しのように内部をさらして再び止まる。剥き出しになった頭蓋骨の口から、断末魔のような叫び声が漏れだしていた。
「――馬鹿ッ、何してるの。早く離れなさいッ!」
聞き覚えのある声にハッと気がついたレヴァナントは、目の前の不気味な存在からすぐに離れ声の方へ駆け出した。視線の切れ目に写る土煙は不可思議な動きを見せると、バステトの遺体へと渦巻いたのであった。
「アイテル、無事だったのか?!」
「無事な訳ないでしょ? 私達はあんたみたいに不死身じゃないのよ」
脇腹の傷を抑えながらアイテルは皮肉に笑った。
「良かった、レヴァナントさんも無事だったんですね」
「ステラ、一体何がどうなってるんだ?!」
砂埃を払いながらステラは眉を寄せた。
「私にも解りません。ブードゥーは確かに剥がせた、そしてアイテルの呪縛も完璧だったはずなのに……」
ステラはそう言ってアイテルの傷口に布を当てる。止血を続けるアイテルは苦痛に表情を歪めながら口を開いた。
「アイツ、呪縛壷の中で呪詛返しを仕掛けてきたのよ。まったく舐めた真似してくれるじゃない」
口元は笑っているものの、彼女の激しい怒りが瞳に表れている。
「ブードゥーの野郎が暴れたとして、なんで自分の身体を殺す必要があるんだよ?!」
レヴァナントは先程見たバステトの凄惨な死を思い返していた。ブードゥーの種の器、バステトの身体はその力によって無惨に引き裂かれていた。
「それは……おそらく、ああいう事でしょう」
ステラは遠く離れた土煙を指した。いつの間にか煙は一点に集まり、そのシルエットを少しずつ覗かせていたのであった。
◆
「身体の所有権を奪う為って事ね……」
止血を終えたアイテルは立ち上がると、不気味な存在を見据えた。ようやく収まった土煙に、辺りの様子がはっきりと解るようになる。先程まで居たはずの社は粉々に吹き飛ばされ、周りにはその瓦礫だけ残していた。空はすでに日が落ちて暗くなっている。
「伝説のネクロマンサー【ブードゥー】ねぇ……呪士に呪詛返しなんて生意気なんじゃない?」
鼻を鳴らすアイテルは何枚か札を取り出すと空へと放り出した。
「捕まえるのは少し解らせてからにしてあげるわ。【囮沙髑髏】出てきなさいッ!」
アイテル投げた呪札は粉々燃え尽きると、地鳴りのような激しい揺れが辺りに広がる。揺れと共に裂ける地面から無数の白骨がアイテルの元へと集まると、巨大な一つの髑髏と変わるのであった。
「これはッ、北で見た呪術――」
「気を付けてアイテル。敵は呪詛返しまで扱えるネクロマンサー、相当手強いわよ」
アイテルを掌にのせた髑髏は片方の拳を振り上げると、社の残骸諸とも凪払ったのであった。
「呪士に喧嘩を売ろうなんて上等じゃない?」
強烈な突風が辺りに巻き起こる。社の瓦礫が飛ぶ様子にステラが慌てて騒いでいたが、激情したアイテルにはまるで届いていないようである。
「すげえな、規模だけなら七死霊門にも匹敵するんじゃねえか……?」
強烈な一撃にレヴァナントは思わず洩らす。同時にタナトスが姉について語っていた、【トップクラスの呪士】という言葉を思い出していた。
「チッ……」
当のアイテルは不満そうに舌打ちする。視線の先には髑髏の拳が、ブードゥーのすんでの所で止められていたのであった。
「……このくらいじゃビクともしないか」
掌を戻す髑髏は次の手を繰り出すべく構えた。その時沈黙していたバステトの遺体は動き出したのであった。
◆◆
バステトの遺体はすでにその姿形を完全に変わっていた。裏返しの皮膚が滑りとした全身を覆い、その顔は剥き出しの頭蓋骨。落ち窪んだ両目は黒く深い輝きを放っている。静かに両手を合わせたブードゥーの周りに、アイテルの呪術と同じ様に何かが集まってゆくのであった。
「……フン、そんな事まで張り合うつもり?」
アイテルは皮肉と裏腹に、目前に迫るブードゥーの術に警戒していた。囮沙髑髏と同じくブードゥーは辺りの死肉を呼び起こし、巨人のような肉の塊を作り出していった。
『……久しぶりだねアイテル・リーパー』
ブードゥーの剥き出しの口元から聞いた事のある声が漏れる。その声に反応したのはアイテルだけでは無かった。
「この声……やっぱりこれも全部、てめぇの仕業かッ!?」
「レヴァナントさん? 一体あの声は……?」
ステラは顔色を変えた二人に確かな動揺を感じた。
「ステラ、あなたは下がっていなさい。……いきなり親玉の登場みたいよ」
アイテルは再び幾つもの呪札を取り出す。彼女の表情から対峙している相手が誰なのか、ステラにもようやく合点がいったのである。
「まさか、終焉王……」
「アイテルッ、俺も加勢する! そのデカいのは任せたぜ」
レヴァナントはブードゥーの本体に向かって飛び出した。
「言われなくてもわかってるわよッ!」
アイテルは髑髏の肩へと飛び移ると、呪札を構える。
『まぁ待ちたまへ……せっかくの機会だ少し話さないかい?』
ブードゥーから聞こえる声に臨戦態勢の二人は動きを止めた。二人は無意識に終焉王によって強制的に制止させられていたのである。
『先程、偵察に向かわせていた別の種から報告があったのだよ。私の探していた扉をようやく見つかったとね』
終焉王の声にアイテルの眉はピクリと動く。
「扉……? まさか、あなたの狙いは……」
『そうだよアイテル。探していたモノはやはりリーパーが隠していた……私が東国に来た目的はそれだけさ、君たちと争う事にもう意味はない』
ブードゥーは芝居がかった様に両手を挙げた。
「争うつもりはないだと? 俺にはてめぇに聞きたい事が山ってほどあるんだよッ!」
『……反逆者か。良いところに目を付けたものだ。確かにかの種ならば八門の怨霊に相応しいだろうね、だが既にそこの祈祷士の力で真相は知ったのだろう?』
「てめえ……やっぱり妹に何かしやがったのかッ?!」
「黙ってなさい、レヴァナントッ! 今は私が聞いてるの。終焉王、あなたの狙いは宝庫に眠る扉。私はまんまと嵌められてその不死者をここまで連れて来たってワケね?」
『そう言うなよ。君だって我々の種を盗む為、私の依頼……ネストリア襲撃の加担したのであろう?』
睨み合うアイテルとブードゥー、レヴァナントは汲み上げる怒りに今にも飛び出さんと両足に力を入れている。
『……ほう、【大百足】が遣られたか。なるほど、ユクス・リーパーの仕業か……やはり、リーパーの血は必要かもしれないな』
「ユクス、母さん……? 何を言って――」
母の名前を口走る終焉王に取り乱すアイテルが一瞬気を緩めた瞬間、ブードゥーの作り出した死肉の巨人は髑髏の首根に手を掛けたのであった。
『前言撤回だ、アイテル。君には扉を開く為、種の器になってもらう事にするよ――』
ブードゥーの視線が苦しむアイテルを捉えた刹那、剥き出しの頭蓋骨は高く跳ね上がる。
『……ん? これは……』
「――お前は絶対に、許さねぇッ!」
レヴァナントの振り抜いた刃が、ブードゥーの首を切り裂くのであった。
レヴァナントの刃はブードゥーの剥き出しの頭蓋骨を跳ね上げた。僅かに緩んだ死肉の巨人から逃れたアイテルの髑髏は、体勢を立て直すと拳を繰り出すべく振り抜いた。
『半端な力をそこまで使いこなすとは……さすがは反逆者と言ったところか』
ブードゥーの頭部は空中で口を動かすと、身体へ向かって急速に向きを変えた。しかし、身体が治りきるその前にレヴァナントの背後から伸びる黒い蛇頭は隙だらけの胴体へと追撃を続けていたのであった。
「レイスも、バステトも、てめえなんかの勝手な都合に巻き込むんじゃねぇッ!」
レヴァナントの猛攻にブードゥーの胴体は用意に引き裂かれた。
「珍しく意見があうじゃない。私もそう思うわ」
アイテルが呪札を燃やすと、髑髏の両手に大鎌が姿を表す。予備動作のなく振り下ろされた髑髏の大鎌は、肉塊の巨人を真っ二つに切断した。
『……良い連携だな。しかし』
ブードゥーの頭部に切り裂かれた身体が集まる。すぐにその身体は再生を始めると、レヴァナントの黒蛇を一つを掴み軽々と投げ飛ばした。
「ガハァッ……」
吹き飛ばされたレヴァナントは地面に激しく叩きつけられる。彼を心配する素振りも見せないアイテルは、そのままもう一度大鎌を振り下ろした。
『次は君だ』
「なっ……」
髑髏の大鎌を軽々と止めたブードゥーは、巨人を髑髏へと突進させる。肉塊は髑髏を捕まえると、再び先刻のように光を放ち弾けた。
「アイテルッ!」
傍らで二人の戦いを見守っていたステラは、無惨に落ちてゆくアイテルの元へと駆け出した。
『祈祷士には用はない。君は退場願おう』
ブードゥーの標的がステラへと変わる。その瞬間、黒蛇の頭がブードゥーの伸ばした手に噛みついた。
「よそ見してんなよ? お前の相手は不死身だぜ」
『……愚かだな』
レヴァナントは再びブードゥーに斬りかかるが、用意に受け流されるのであった。
「ステラ! アイテルを頼むッ」
体勢を立て直すレヴァナントはそう言ってまた飛び出したのであった。
◆◆◆
「アイテルッ! 大丈夫?!」
「う、……ステラ、駄目よ出てきちゃ」
巨人の大爆発に見回れたアイテルは見るからに衰弱していた。間一髪森の木々をクッションにして助かった彼女だが、身体中から大量の血が流れている。
「無理に話さなくていいのよ。一先ずこの場は退いて、加勢を……」
抱き抱えるステラの手をアイテルは弱々しく掴むとかすれ声で口を開いた。
「馬鹿言わないの。アイツを放っておいたらあの子が……私なら平気よ、あの子の為にも絶対に死ぬわけにはいかないの。それに……取って置きの秘策はもう呼んである」
「そんな、それなら尚更今は……」
アイテルはステラの抑止を振りほどくと、よろけながら立ち上がった。ふらふらの足元を確かめながら再びブードゥーの元へと向かおうとしている。
「わかった、それなら私も戦う。ブードゥーを剥がせるのは祈祷士の私だけよ」
「ステラ、何言ってるの?! あなたにそんな危険な事はさせないわ……痛ッ……」
傷口は予想以上に深かった。意思通りに動かない身体のアイテルは、再び崩れ落ちる。
「危険なのはあなたも同じよ! 私だってあなたに死んでほしくないの」
「ステラ……」
『まったくその通りだよ。貴重なリーパーの血が死んでは私も困る』
森の向こうから終焉王声が聞こえたかと思うと、再び肉塊の腕がアイテルの首根を捕えた。
「アイテルッ!」
「く、クソ……」
『言っただろう? 君には種の器になってもらうと』
肉塊の長い腕は一瞬のうちに本体へと伸縮する。アイテルの視界にブードゥーの本体と戦うレヴァナントの姿が写った。
「クソ、汚ねぇ真似をッ」
『反逆者、君はまだ発展途上だ。そうやってブードゥーと鍛練でもしていてくれ』
ブードゥーの両腕から繰り出される朱肉の爆撃に、レヴァナントは黒蛇の力で必死で持ちこたえていた。
『さぁ、リーパーの器で何を望む? 【カーリーの種】よ新たな身体だ』
宙吊りで苦しむアイテルにブードゥーの死肉の腕が伸びる。
「アイテル、逃げろ! くそッ、邪魔すんなぁッ」
レヴァナントの行く手を塞ぐブードゥーの猛撃は休めることなく続く。アイテルの口元に肉塊の腕は不気味な球体を押し付けた。その刹那激しい稲光が辺りに巻き起こったのであった。
「ぺッ……! まったく、遅いわよ……」
押し込まれた不気味な球体を吐き出したアイテルは、皮肉にそうに笑って溜め息をつく。稲光は雷撃に変わり次々とブードゥーの肉塊腕を焼き払う。
「これは、ミナーヴァの……」
「レヴァナント! 早く離れなさいッ、破壊雷ッ」
その声に後ろへ飛ぶレヴァナント、轟音と共に目の前のブードゥーに特大の雷が撃ち落とされたのであった。
『北の魔導士? なぜここに……』
「漂流物質ッ! リーパーちゃんのお姉さん、大丈夫ですか?! 僕らは――」
振りほどかれたアイテルの身体を引き寄せる仮面の男は、苦しむ彼女に声を掛けた。
「わかってる、お父様の使いでしょう? 助かったわ……これで後は、お父様に任せておけば……」
アイテルは安心したように目を細めた。しかし思いもよらない人物の姿が見えると、すぐにまた目を見開いたのである。薄紫の長い髪を二つに結び、黒い修道服に身を包んだ姿は、見知った妹の姿とは掛け離れていたのであった。
「タナトスッ!? あなた、その姿……いえ、それよりどうしてあなたが、お父様は?!」
「アイテル姉さん無事で良かった! この服ね、お母さんに貰ったんだよ」
相変わらず話が噛み合わない姉妹に、思わずキルビートまで笑ってしまう。
「そんな事はどうでもいいの! いや、その姿って事は祝詞が……いや、それよりも今はお父様を――」
珍しく慌てる姉の姿にタナトスは楽しそうに笑って口を開いた。
「お父さんは市街の援軍に向かったよ。それでこっちは私達に任せるって」
そう言ってタナトスは腰に携えた短剣に手を掛けた。
「お父さんも今の私なら大丈夫だって言ってた。大丈夫、私もそう思うの。……たぶん誰にも負けないよ」
短剣を抜いたタナトスの横顔はこれまで見たこともないほど大人びている。先刻の弟と同様に、姉もその立ち姿に母の面影を重ねてしまうのであった。




