Ep.70 七死霊門の秘密 裂傷門
「あそこに……七死霊門の秘密があるの?」
広大な地底湖の中心に、ひっそりと佇む小島のような陸地を見つめてタナトスは呟いた。呆然と眺める彼女に近付いたネメシスは、その時初めて姉の変化に気がついた。
「タナトス姉さん、その姿……そんな、どうして祝詞が……」
「祝詞? それより私、身長すごい伸びたでしょ! ほら、こんなにネメちゃんと差がついた」
嬉しそうに両手で背比べするタナトス。ネメシスはそんな姉を見て何故か驚愕していた。
「そんな、あり得ない……いや、そんなことよりも早く御父様に伝えなければ……姉さん早く家に戻ろうッ」
「ネメちゃんどうしたの? そんなに身長気にしてた?」
取り乱すネメシスは頭を抱え、その場に塞ぎこんでしまった。動揺する彼を不思議そうに眺める三人の後ろから、じっと小島を見ていたフード男が声が口を開いた。
「ついに見つかりましたね! タナトスお嬢様、早くあの扉へ向かいましょう」
「えっと、でもこの湖をどうやって渡るの?」
タナトスが湖を覗き込む、水面に写る自分の姿がいつもとは違う事にようやく気がついたのであった。
「あれ? 髪止めが切れちゃってる……しかも髪の毛まですっごく伸びてるよ!」
嬉しそうに長く伸びた髪を撫でる彼女は、ミナーヴァの元に駆け寄った。
「いくらなんでも、急激に変わり過ぎじゃない? タナトス、あなた本当に大丈夫なの?!」
ミナーヴァは急激に変化したタナトスの容姿に驚き、その身を案じていた。元々実年齢よりもずっと幼く見えていたタナトスは、年相応の顔立ちに変わっていたのであった。
「平気だよ? あ、でもなんか洋服が苦しくなった気がする……もしかして、太ったのかな?!」
すらりと伸びた足が寸足らずになったスカートから覗いている。履いていた靴もサイズが合わないのか、彼女は既に脱いでいた。
「どうしたのですか? さぁ、早くあの宝庫へ」
フード男は何故かタナトスを急かしていた。彼女は水際に向かうと、そっと足を伸ばしてみた。
「あれ……?」
「そんな……ウソ……」
湖の水面の上にタナトスは立っていた。あり得ない状況に驚く四人を他所に、彼女はどんどん足を進める。
「凄いっ! 私、水の上を歩けてるよ」
湖の中心まで駆けるタナトスは、既に遠くに見える岸辺に向かって手を振っていた。驚くキルビートが水面に手を触れて確かめる、透明な冷えた水がただ掌を濡らすだけである。
「皆も早くおいでよ!」
「タナトスっ、何があるかわからないの。一度戻ってらっしゃい!」
ミナーヴァの叫ぶ声が聞こえていないのか、タナトスはそのまま扉のある小島へ足を踏み入れたのであった。彼女を待ち構えていたかのように不可思議なその扉は、ゆっくりと動きだした。
「……ようやく見つけました。終焉王様」
ローブ男のその呟きを、ミナーヴァとキルビートは聞き逃さなかった。
◆
「あなた、今何て言ったの?!」
「今、確かに終焉王って……」
ローブ男を問い詰める二人が歩み寄ろうとした刹那、聞き覚えのある言葉に咄嗟に身構えた。
「転生変換術、『喰黒大百足』ッ!」
目映い光が男を包むと異形の影が水面に写る。黒光りする無数の足爪が二人を襲った。
「何故リーパーの呪士に奴等の仲間が?!」
「ミネルウァさんッ、無事ですか?」
間一髪に初撃を避けた二人は武器を構えた。土煙と巻き上げられた飛沫が収まると、異形の本体が視界に映る。
「こんな怪物、間違いなく奴等の仲間ね。よりにもよってこんな場所で……」
「な、なんて気色の悪い姿なんだ。まるで巨大な百足じゃないか」
蠢く身体は蜷局を巻いて旋回する。ローブ男の身体は地底湖の天井にも届きそうな程、巨大な節足動物に変化していたのである。
「……まずいッ! ネメシス君が危ないッ」
塞ぎこんでいたネメシスは突然現れた怪物に反応できず、鉤爪のような足の間に押さえ付けられていたのであった。
「お前、リーパーの呪士じゃないなッ」
「間抜けなガキだな、ようやく気がついたか?」
壁際に押し付けられたネメシスの両足には異形の爪が喰い込んでいる。苦痛に顔を歪めながらも、ネメシスは口を開いた。
「……さっきの話は全部嘘で、他の守衛はお前が殺ったのか!?」
「ああそうだが? 呪術の大家リーパーとはいえ、弟子の呪士なんてただの雑魚しかいないんだな。正直ガッカリしたよ」
「なんだと……!」
抵抗するネメシスが両手を動かそうとすると、素早く別の爪がそれを阻んだ。張り付けにさらたネメシスの四肢からは既に大量の鮮血が流れ出ている。
「唯一の不安要素はやはりリーパー直系の呪士の存在だったが、全くの杞憂だった。こんなガキなら恐れる事もなかったな……」
「界雷の大咆哮ッ」
ミナーヴァの雷撃が大百足の頭を穿つ。その衝撃でネメシスを離した一瞬を、キルビートは見逃さなかった。
「ネメシス君ッ、漂流物体ッ!」
光の粒子はネメシスを包むと、キルビートの元へ引き寄せる。苦痛に歪むネメシスはすぐに立ち上がり、大百足を探した。
「やはり北の魔導士も大した事はない。せいぜい、そこで遊んでろ……私の目的は別にある」
大百足は旋回すると、タナトスが進んだ扉へと向かっていった。
「待てッ! 界雷の――」
「ミネルウァさんッ、後ろ!」
キルビートの叫び声にミナーヴァは咄嗟に横へ飛ぶ、無数の足が背後から彼女を狙っていた。
「なにコイツら、気色の悪い。奴の手下なの?」
「わからないけど……転生変換術を使うって事はさっきの奴も、この大きな虫達も」
「ええ、不死の力があるって訳ね」
二人の表情が曇る。ネストリアで対峙した不死身の悪魔を思い出していたのであった。
「ま、まずい、タナトス姉さんが……」
ネメシスは両膝から崩れ落ちる。両足の傷はかなり深いらしく、赤黒い水溜まりに息を切らしていた。
「全ては終焉王様の為。今、目当てのモノを手にして見せましょうッ」
タナトスが扉の向こうへ足を踏み入れてから再び扉が閉まるまでの僅かな時間、大百足はその隙間に滑り込むのであった。
◆◆
扉の向こうは真っ暗だった。なにも見えない闇の中でも、さっきまでいた空間とはまるで別の次元であることはわかる。
「これが終焉王様の探し求めていた、扉の世界……」
大百足は闇雲に辺りを旋回する。一筋の光すら見えない闇の中で、彼は段々と苛立ちを募らせていた。
「なんだここは? おいさっきのメスガキは何処にいる?! 早く次に案内しやがれっ」
先に入ったはずのタナトスの姿は何処にも見当たらない。それどころか入って来たはずの、あの扉の姿も消えていた。無限に広がる漆黒を大百足の怒声だけが響き渡るのであった。
「クソッ! 一体なんなんだこれはッ……うん? しめた、扉が開いてやがる。あのガキ、先に進んでやがったな?」
闇の中に現れた巨大な扉はゆっくりと開いていった。
「ん? なんだ……この嫌な音は……」
金切り声のような不快な音が辺りを包む。扉が開くにつれてその声は次第に大きくなってゆく。
「おい、ガキッ! さっさとこの嫌な音を止め――」
大百足は初めてソレ気がついた。開いた扉の隙間から此方を見つめる巨大な頭。爛れた赤黒い身体は扉をくぐるようにゆっくりと姿を現してゆく。
「な、なんだ……こ、こ、んな……」
赤黒い巨大な口が大きく開く。金切り声は一際大きく鳴り響いた。次の瞬間、巨体の後ろから無数の手が伸びる。
「や、やめろぉ、バ……バケモ……ノ」
巨大な無数の手は大百足を捕まえると一斉にその身体を引きちぎり初めてたのであった。彼の悲鳴は金切り声の中で掻き消され、幾度となく引きちぎられたその身体は闇へと落ちてゆくのであった。
◆◆◆
タナトスの耳には対岸の騒ぎは聞こえていなかった。楽しそうに水面を駆ける彼女は、小島の扉の前に辿り着いたのであった。
「おっきいなぁ。七死霊門の扉と同じくらいかな?」
近付いてみると扉の大きさがよくわかった。数十メートルほど高い両開きの扉を見上げていると、ゆっくりと動き出したのである。
「開くって事は、入っていいのかな?」
タナトスは迷わず足を踏み入れた。
扉の向こうは地底湖があった場所よりもずっと広々とした空間が拡がっており、そこにはまた巨大な扉が幾つか並んでいたのであった。
『タナトス……?』
聞き覚えのある声に呼ばれた。懐かしいその声を彼女は探した。
「もしかして、お母さん……?」
並び立つ巨大な扉の一つがゆっくりと開く。僅かな隙間から姿を表した人影に、タナトスは確信して駆け寄るのであった。