Ep.65 リーパー家の宝庫
外から扉を叩く音が聞こえた。一人勢いずいていたタナトスは、ノックの音に気がつくと扉へ駆け寄った。
「北の御客人、失礼するよ」
現れた人物を一目見ると、ミナーヴァとキルビートは本能的に硬直していた。圧倒的な驚異を目の当たりにした二人に、この場を逃げ去りたいような緊張が走る。
「お父さん、これから死柱を取りに行くことに決めたよ。それでその場所、【宝庫】まで送ってほしいんだけど……」
親しげに話すタナトス。黒いローブを頭から被ったその人物は、とても普通の人間とは思えない巨体を屈めて彼女の手を取った。
「御父様、本当に北の術士の話を信用するのですか? お言葉ですがあまりにも軽率な判断なのでは?」
ネメシスが姉の後ろから声をかける。二人が父と呼ぶその人物は、頭まで被ったローブをゆっくりとずらして客を見据えた。
「突然の訪問、大変失礼致しました。私共はネストリアの使者でございます。失礼ですが、貴殿はエレボス・リーパー殿とお見受け致しましたが……」
ミナーヴァとキルビートは跪いて頭を下げる。リーパー家現当主【エレボス・リーパー】。その圧倒的な存在に最大限の敬意を払っていたのだ。
「頭を上げなさい。私はリーパー当主といっても代理だ、そんなに緊張しなくても良い」
野太い声に二人は顔をあげる。そこには先程の巨体の人物が見当たらない。慌てて見渡す二人に、再びエレボスの声が聞こえた。
「こっちだこっち。目の前に入るではないか」
「あ、あなたがエレボス・リーパー殿?」
ローブを脱ぎ捨てた人物は見る影もなく縮んでいた。屈強な顔立ちに深い傷がいくつも刻まれている、それよりも目がいったの四肢のない胴体だけの身体だった。
「この身体、驚いたであろう? 私は先の大戦で四肢を失くした。今はこうして呪術で作った腕と足で暮らしている」
そう言ったエレボスの肩口から黒い腕が伸びる。握手のように差し出された大きな黒い手を、ミナーヴァは遠慮がちに取る。
「かの大戦はお互いに多大な犠牲を払った。北の国もさぞや痛みを負ったことであろう、私からも詫びよう」
「ご配慮痛み入ります。エレボス殿、我々は再び大戦を起こし得ない賊について東国にお伝えに来た次第で……」
「ああ。上の娘と、先程はこの子からも聞かされたよ。事態はギオジンでも拡がってきている。このままにしておけば再び、いや……今度は先の大戦とは比べ物にならない厄災が起こり得るかもしれない。北の御客人、ギオジンの神人達との謁見は私が取り付けてやろう」
エレボス・リーパーの股下から黒い足が伸びる、立ち上がるとまた巨大な姿に戻っていた。
「それはさておき。ずいぶん娘が苦労を掛けていたそうだな。親として感謝を伝えさせて貰う」
「い、いえ、そんな。僕たちはリーパーちゃん、いえ娘さんには逆に助けて頂いてばかりです」
キルビートが恐れながらも頭を振った。
「ご息女の助力無くしては、ネストリアはもっと大きな被害を被っていた。こちらこそ感謝いたします」
ミナーヴァは深く頭を下げる。
「二人とも凄く強いんだよ。あとね、本当はもう一人仲間がいるんだけど、今はその人の事も探していて……」
タナトスは一人姿を消したレヴァナントの事を思い出していた。
「不死の男なら今はアイテルと共にいるだろう。つい先日、ギオジンに帰ると連絡があったのでな。お前の力になる者を連れて来ると言っていた」
「本当に? ミーネちゃん、道化師さん! やっぱりレバさんもギオジンに来てたんだ」
タナトスは喜んで二人に駆け寄った。二人は彼女の笑顔に胸を撫で下ろしたのであった。
「ところでこの子の先程の望み、御客人も手を貸してくれんか? 新たな死柱を作り出すのは、正直に言うとこの子一人では少々荷が重い」
エレボスが二人に尋ねた。頭を下げた父の姿にネメシスは眉をひそめる。
「御父様、このような輩に頭を下げるなんて止めてください。姉さんの手伝いなら僕が……」
「ネメシス」
静かに低いエレボスの一声に部屋の空気が震えたように感じた。
「姉想いなのはいいが、お前だけでは力不足だ。御二人に助力するがいい」
「……解りました」
納得いかないといった面持ちでネメシスは頷いた。エレボス・リーパーの威圧感に関係のない二人まで緊張が走ったのは言うまでもない。
「タナトス。目的地までは使いを寄越そう。くれぐれも無茶はするのでないぞ」
「うん! お父さんありがとう」
娘の言葉に強面の緊張が少し緩んだように見える。呪術大家の現当主も娘には少し甘いようであった。
◆
「うわぁ、何だか懐かしいなぁ。使いってオルトロスの事だったんだね」
「な、なんですかこの怪物は……」
「僕達かなり睨まれてるけど……これ完全に狙われてない? リーパーちゃん、本当に大丈夫なんだよね」
リーパー邸を出ると先程の門前には2つ頭の巨大な狼が待ち構えていた。
「彼はオルトロス。少なくとも怒らせなきゃ噛み殺される事はないですよ」
ネメシスは慌てる二人を見て不機嫌そうに呟いた。
「二人とも早く乗ろう。私、左の頭に乗ろうっと! ミーネちゃんも一緒にこっち乗ろうよ」
タナトスはすでに狼の尻尾に手を掛けている。獣は早く乗れと言わんばかりに低く喉を鳴らしている。急かされるように二人は続いたのであった。
「ところで姉さん、死柱のある宝庫に入った事はあるの?」
ネメシスの問いかけにタナトスは首を傾げる。
「ないよ? 前の死柱はお母さんから貰ったから、今回が初めて」
彼女の答えにネメシスは大きく溜め息をついた。
「あれだけ立派なリーパー家の宝が眠る場所かぁ……なんだか凄そうだなぁ。リーパーちゃんの探してる死柱はその宝庫にあるのかい?」
キルビートはいつのまにか親しげにネメシスに話し掛けている。少しだけ嫌そうな顔を見せるネメシスはちゃんと彼の問いかけに答えた。
「ええ。ただし、宝庫にあるモノには絶対に手を出さないで下さいね」
「もも、もちろんだよ?! そんな僕らは泥棒じゃあ、あるまいし」
慌てるキルビートに思わず笑みを溢してしまうミナーヴァ。
「少しでも触れた瞬間まず助からないので。彼処にあるモノは全てが呪われてますから」
「呪術が掛けてあるって事?」
いつの間にか駆け出した獣の背中の上、ミナーヴァも口を挟んだ。
「宝庫なんて先人達が作り出した都合の良い方便ですよ。たとえ実力者の呪士でも、あの中のモノを扱えるのは限られてる。僕に言わせればあの扉の向こうは怪物の……いや怨霊の巣穴にしか思えない」
呪士でも迂闊に手を出さないモノが眠る宝庫。二人はタナトスの七死霊門を思い出していた。
「大丈夫だよ。良さそうなの見つけたらすぐに帰るし……なんだか、皆でお出かけワクワクするなぁ」
タナトスの頭の中はただ高揚していたのであった。




