Ep.64 呪士姉弟
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「う……ん、ここは一体……」
垂れ下がった頭をあげると首の付け根に鈍い痛みが走った。ぼんやりとする意識を必死に保とうとするミナーヴァは、暗闇に目を凝らした。
『……こちらの魔導士も目覚めましたか』
聞き覚えのある声が暗闇にこだまする。すぐにそれが誰のものか気がつく。
「あなたはネメシス・リーパー? これは一体……私達はたしか先程まで洋室にいたはずなのに」
立ち上がろうとするミナーヴァの足を何かが強く引き寄せた。暗闇で見えない両足は何かに固定されている。
『突然の無礼を許して下さい。全てはリーパー家の為、北の術士は拘束させて貰います』
「どうゆうこと?! 私達はあなた方に敵意はないッ」
拘束を外そうと闇の中を探ろうとするのだが、指先の感覚がまったくない。
「やっぱり先程の飲み物に毒を仕込んでいたのですね」
『先程も申しましたが毒は入れていませんよ。ただし僕の呪術の印は入れましたけどね。ああそうだ。抵抗されると厄介なので、先に両の指は落としておきました』
「な、……ゥッ、痛ッ……い……」
ネメシスの言葉で思い出したように、途端に両手はズキズキと痛み出した。頭の芯まで響くような苦痛、指先から流れ落ちてゆくドロリとした生暖かい液体が滴るのが解る。
『あなた方がここへ来た本当の理由を話しなさい。返答の次第では命までは奪いません』
脂汗が顎の先を何度も伝う。激痛が滴り続けるように何度も頭に響いてくる。
「わ、私達は東国に対話をする為にやって来た……この国に、あなた達に危害を加える事なんて……」
絞り出すように答える。ミナーヴァは激痛に悶えながらも状況を打開する術をなんとか考え出そうしていた。必死で歯を食い縛る。
『先に尋問した男も同じような事を話していました。魔導士とはなかなか意志が強いのですね、まぁ余計に気は抜けませんがね』
「ま、待って、キルビートはッ!?」
『あなたの足下にいるじゃないですか。ああ、そうか暗闇で見えないのでしたね……視覚を戻してあげましょう』
視界が急に明るくなる。やはり滴り落ちた血液が足下に黒い水溜まりを作っていた。苦痛がまた思い出さて目を閉じてしまう。痛みを堪えて必死目を開けたミナーヴァは愕然とした。
「嘘……そんな……キ、キル……ビート?」
『その男はすごく五月蝿かった。わめき声が喧しいので先に逝って貰いました』
見覚えのある奇妙な仮面が球状の物体に被されて転がっていた。ミナーヴァの足下同様に黒い血溜まりを転がる頭部は、すでに固まり始めた血糊で元の色を失くしている。
「な、何て事……」
『口を割らなければあなたもすぐに同じにして差し上げます。さぁ問答の続きを……』
「許さないッ、よくもキルビートをッ」
ミナーヴァの胸元から下がる十字架が光を放った。全身の毛が逆立つ程に迸る電流が周囲に広がる。
『答えは抵抗ですか。時間の無駄でしたね、残念です。もう終わりにしましょう』
ネメシスの声が再び聞こえると辺りは再び暗闇に包まれた。全身から溢れたミナーヴァの魔法は闇に掻き消されると同時に、自由が奪われたように硬直したのであった。
『タナトス姉さんを家まで帰してくれてありがとう。それではさような……』
最後の言葉が聞こえる刹那、乾いた音が辺りに響き渡るのであった。
◆
「ネメちゃん何してるの?! 二人とも早く起きて」
また聞き覚えのある声がする。
「タナトス……? 私は、どうして……?」
気がつくと先刻の洋室のソファーに腰を下ろしていた。悪い夢に魘されたように重い頭に手をやると、先程までの出来事が思い出された。ミナーヴァは両手を確認する。両手の指は何の問題もなくそこに在った。
「どうして……そうだッ、キルビートは?!」
「ううぅん……あ、あれ? いつの間にか寝ちゃってたのかな」
奇妙な仮面を外した優男は大きく欠伸をしている。ホッと肩を落とすミナーヴァだった。
「どうして二人に呪術を掛けたの!? たとえネメちゃんでも二人に危害を加えたら許さないよッ!」
タナトスの怒鳴り声に驚く二人。普段ぼんやりとしている彼女の意外な姿に目を見張っていた。
「タナトス姉さんは無用心なんですよ。いきなりこんな怪しげな二人を連れて帰ってきて、しかも北の術士だなんて」
闇の中で聞いた声の主、ネメシス・リーパーも負けじと言い返している。
「二人は友達だから大丈夫なの! ネメちゃんは友達いないからわからないかも知れないけど、友達には優しくしなきゃいけないんだよ?!」
「友達、友達って……そんなんだからタナトス姉さんはいつまで経ってもまともな呪術一つも使えないんじゃない?」
言い争うリーパー姉弟は今にも掴みかからない様子で騒がしい。見たこともないタナトスの表情は、16歳のどこにでもいる普通の少女なのであった。呆気に取られた二人は、つい今しがたの仕打ちを忘れて少しだけ笑ってしまう。
「ほら、ちゃんと二人に謝りなさい!」
「……人がせっかく心配してあげたのに。ご迷惑かけてどうもすいませんでした。はい、これでいいんでしょ?」
ふてくされたようにネメシスは頭を下げる。不満そうにそれを見るタナトス。
「今のは一体なんだったの?」
ようやく口を挟めたミナーヴァが尋ねる。
「さっきのはネメちゃんの呪術【夢喰】。印をつけた人の夢の世界を支配する術だよ」
「さっきのは……夢?」
痛みを思い出す。夢にしてはあまりに現実的な痛みだった。
「あのまま術が最後まで進んでいたら現実になってたよ。私が止めなかったら危なかったんだから、本当にネメちゃんはもっと反省してよね?」
「五月蝿いな、もう謝ったじゃないか。それより、北の御二人の目的は本当に対話だけなんですか? そもそも何を話すつもりなのか、少しでも悪意があればやはりこの場で……」
ネメシス・リーパーはまだ二人を疑っていた。
「ネメちゃんッ! いい加減にしないと本気で怒るよ? 私達はネストリアの偉い人に頼まれたの。これから東国にも危険が迫るかも知れないから伝えてくれって」
「危険って……姉さん、一体何を言ってるの?」
ネメシスはようやく姉の話に耳を傾ける気になったのか、身を乗り出して尋ねた。
「さっきお父さんにも話してきた。東国の偉い人に会う手筈はお父さんに任せたから、とりあえず私は別の準備をしなくちゃ。ネメちゃんにも手伝って貰わなきゃだよ」
「相変わらず話がまったく噛み合わないな。タナトス姉さん、お願いだから順々に話してよ」
ミナーヴァは苦笑いで姉弟を見ていた。やはり家族でも彼女の意図を汲み取ることは難しいようだ。
「タナトス、私達は何をすればいいの?」
「リーパーちゃん、僕も力を貸せる事かい?」
二人ともほとんど同時に口を開いていた。ネストリアの為だけではなく、今は友人の為にも行動したいのである。
「ミーネちゃん、道化師さん。二人ともありがとう。まずは七死霊門の新しい死柱を取りに行こうと思うの。このままじゃ、せっかくレバさんが戻ってきても呪術が使えないからね」
屈託のない笑顔のタナトスはそう言って立ち上がるのであった。




