Ep.63 末弟の呪士
石畳の長い階段を進む三人は、それぞれに何かを呟いていた。
「さあさあ、もう一息ですよ! 二人とももう少しで私の家までつきますから」
白い三つ編みを揺らすタナトスは、楽しそうに先頭をかけ登る。
「ちょっと、この階段はいつまでつづくの?」
二番手につけたミナーヴァは、先を進む少女に息をあげながら声をかける。
「こ、これ、リーパーちゃん、き……きついよぉ」
一番後ろで必死にかけ登るキルビートは、既に限界に達しそうであった。
「あ、そっか。二人は祝詞の効果で辛いんだね?」
タナトスは何かを呟くと登ってきた階段をかけ降りた。最後尾のキルビートとその少し先を登るミナーヴァに順々に触れると、背中を押すように共に階段を登り始めたのであった。
「これで二人も早く登れるよ」
少女の僅かな助力で疲弊していた足が不思議な程軽く動く。気づけば二人とも長い石階段をかけ登っていた。
「何ですかこれは……?」
「あ、あれ? さっきまであんなに辛かったのに」
あっという間に登り終えた階段を振り返る二人は驚いた。
「この階段、祝詞が仕掛けてあるからね。私はリーパーの家の住人だから作用しないの。二人は今私と一緒に登ったから平気なんだよ」
先程からタナトスがしきりに口走る『祝詞』とは恐らく呪術なのであろうと二人は解釈していた。この国に足を踏み入れてからというもの、全てのモノにその不可思議な力が宿されている。神の国と揶揄された『ギオジン』、その通り名はこの国の特異な性質を表しているのかもしれない。
◆
「これが、あなたの自宅なの?」
「うわぁ……こりゃあ、すごいなぁ。豪邸どころの騒ぎじゃないよ」
北のネストリス出身の2人には、見慣れない建造物を見て驚いた。
「そんなに立派な家じゃないよ? さぁ、早く入ろう」
そう言ってタナトスは再び二人の背中を押し、立派な門の前で止まった。二枚扉の屈強な門構えは見覚えのあるような。立ち止まる三人を招き入れる様に、扉はゆっくりと開く。
「待って……誰かいる」
ミナーヴァは開かれてゆく門の向こう側に人影を見つけると二人に告げた。完全に開いた門の向こうには邸宅と思われる建物へ石畳が続いていて、三人の視線の終着点には何者かのシルエットが映る。
「あれは……『ネメちゃん』だ! ただいまーッ」
タナトスは親しげに手を振ると、石畳を駆け出した。再び走り出したタナトスに困惑する二人は、慌てて後を追うのであった。
◆◆
「はぁはぁッ……タナトス、急に駆け出さないで」
「や、やっと追い付いたぁ……」
ほんの数十メートルといった距離にも関わらず、
先刻の石階段同様に二人は息を切らしている。先を行く彼女にようやく追い付いた。
「そうだった、ごめんなさい! 二人は祝詞が効いていたんだっけ」
両手を合わせて頭を下げると、タナトスは隣に立つ人物を紹介し始めた。
「この子は弟のネメちゃん。私より3つ年下の末っ子長男です」
タナトスとそう変わらない背丈の少年は、二人を見ると軽く頭を下げた。
「タナトス姉さん、こちらの方々は?」
「私の友達だよ。北のネストリスから来てくれたの」
姉の言葉に少年の表情が僅かに変わった。彼はあきらかに緊張を匂わせたが、すぐに柔らかな笑顔へと変わった。
「……そうでしたか。僕はネメシス・リーパー。タナトス姉さんがお世話になりました、立ち話もなんですし我が家へご案内致します」
紫色の髪を揺らす少年は、大きな瞳を細めて二人に告げる。朗らかな笑みを浮かべてはいるが、彼の目の下に深く刻まれたくまが何処か不気味さを感じてしまう。
「友達を家に呼ぶって、初めてだから緊張するなぁ……」
タナトスだけは上の空でそわそわとしている。
◆◆◆
「タナトス姉さん。まずはお父様に帰宅の挨拶を済ませてきたら? ……御客人の二人は僕が応接間へご案内しておきます」
ネメシス・リーパーは手際よく三人を迎え入れた。突然の来訪にも関わらず淡々と事を運ぶ姿に、姉弟でもこれ程違うものかと感心する二人。言われるがままに彼の後に続いた。
「挨拶済んだら私もすぐに行くからね」
そう言って手を振るタナトスは三人とは反対側の長い廊下へ消えていった。外側から見た以上にリーパー邸はかなりの広さのようである。ネメシス・リーパーは二人を引き連れてしばらく進むと、ずらりと並んだ部屋の一つの扉を開いた。
「こちらへどうぞ」
開いた扉の向こうにはこれまた立派な洋室が広がっていた。ネメシスは二人に大きなソファーを進めると、入ってきたばかりの扉から出ていった。
「ネメシス君はしっかりした弟さんだね。しかしこの部屋もすごいなぁ」
キルビートは洋室を見渡しながら呟いた。
「そうね。だけどなぜかしら。どこか不気味といえばいいか……」
高級そうな装飾の品々はたしかに怪しげなデザインをしている。それに加えてミナーヴァは、先刻一瞬だけ見せた彼の変化が気になっていたのである。二人がしきりに部屋の中を見回していると、再び扉が開いた。
「……失礼します。長旅でお疲れでしょう、よろしければ召し上がって下さい。この国ではとてもポピュラーなお茶です」
洋室に戻ってきたネメシスは二人の前に小さなカップを並べると、銀製のポットから何かを注ぎ入れ初める。僅かに登る蒸気にほんとりとした甘い香りが部屋に広がってゆく。
「これはこれは、ありがとうございます。うーん、とってもいい香りだ、さっそく頂きま――」
「キルビート、待ちなさい……」
カップに伸ばした彼の手をミナーヴァは止めた。そして極めて小さな声でキルビートに告げる。
「たとえタナトスの身内でもここは呪士の国なのよ。迂闊に信用するのは……」
彼女の意図を察したのか、キルビートは残念そうに手を引いた。
「ご安心下さい。毒は入っていませんよ」
二人のやりとりを察したのか、ネメシスは自身のカップにも同じ液体を注ぎ入れるとひと息にそれを飲み干して見せた。
「警戒なさるのは当然でしょう。しかしタナトス姉さんのご友人とあれば、僕に敵意はありませんよ」
そう言って笑みを見せると彼は続けた。
「そんなことよりも、よろしければ姉さんの旅についてお聞かせ頂けませんか? 久しぶりに見た姉さんはすごく変わっていた。僕も姉さんの活躍ぶりを知りたいのです」
ネメシスの言葉にしばし顔を見合せる二人。緊張がほどけたように微笑みを浮かべると、進められたカップに手を伸ばした。
「ええ、私達が知る限りでよければ――」
二人がカップに口を着ける姿を、ネメシス・リーパーは静かに見つめていた。そして今度は、はっきりと冷淡な笑みを浮かべるのであった。




