Ep.62 不死身の使い道
『あなたの供物を捧げなさい。求める力は手に入れられるわよ』
耳元で囁かれた。声の主は解っていた、無意識に身構えてしまうのは経験からかもしれない。
「くそ、何しやが……」
俺の腹が裂ける。大量の出血と臓物が吹き上げた。これは化物の攻撃を食らったものではない、何かが俺の腹を破っていたのだ。
『不死身ならノーリスクでしよ? それの名前は【腹切裁断】』使い方は教えてあげるわ』
頭の中を嫌みな声が広がる。呪いの印は、あの時飲ませた物か。
「くッそぅ……痛ッ、てぇなぁッ?!」
腹が裂けると何かが伸びた。臓物がはみ出した感覚、死線で感じた嫌な痛みが呼び起こされる。痛みはすぐに治まる、レヴァナントの腹部は血糊を残して元に戻った。裂け目から飛び出た臓器は形を変えて動き続けていた。
「気持ち悪ぃな。いきなり何すんだ?!」
傷の治りの速さから今が夜である事が解るが、空はまだ太陽が燦々と照りつけている。目の前の情報はまるで信用ならないようだ。
『お望み通り武器を出してあげたのよ。それでさっさと倒しなさい』
再び耳元で囁かれた。しかしどこを見渡してもアイテルの姿は見当たらない。再び臓器に目をやると動きを止め、半月状の分厚い刃に変わっていた。赤黒い刃に決して触れてはいけないと本能的にわかる。細長い柄を掴むと見た目に反して異様に軽い事に驚いた。
「あの時の印で呪術使いやがったのか……何のつもりかしらねぇけど、無いよりはマシか」
レヴァナントは体勢を低く構えると、狙いを定めて駆け出した。生い茂る木々を縫って巨大な白い怪物を間合いに捉える。
『その呪術が使えるのは一撃だけ。ただし……』
相変わらずアイテルの声が囁いている。バステトを追い回す牛頭の死角から飛び出したレヴァナントは、隙だらけの太い首筋に赤い刃を振り下ろした。
『その一振に斬れないものはないわ』
振り抜いた刃の反対を巨大な頭が跳ね飛ぶ。一撃の元に白い怪物は崩れ落ちたのであった。
◆
「やりましたな、レヴァナント氏。こんな大物をよくぞ!」
「ああ、嫌なヤツの力を借りてやっとだけどな……」
頭を落とされ、地面に崩れ落ちた白い怪物は僅かに痙攣していた。握りしめていたはずの半月状の刃はいつの間にか消えていて、代わりにベッタリと血糊だけが右手を汚している。
「ちょうどいいサイズじゃない。さ、早くそれを使って私達の足を作ってくれる?」
茂みの奥から現れたアイテルがバステトに指示すると、彼は至極の幸と言わんばかりに返事を返した。バステトの玩具解蘇剖によって白い巨体はあっという間に肉塊へと変貌してゆく。
「リーパー家の呪術ってのは全部あの気持ちの悪い印をつけるのか? まあでも、また助けられた事には感謝してる」
アイテルは先程と同じように何も言わず、ただ冷たくレヴァナントを見つめていた。
「出来ました! ご覧ください、高速機動歯肉車ッ」
バステトがこれでもかと言った表情で二人に叫んだ。彼の横には四肢を異様に伸ばした蜘蛛のような気色の悪い肉塊が佇んでいたのだ。
「気持ち悪いけれど、進むのには良い足になりそうね。さっそく私の指示する場所へ向かって頂戴」
アイテルは肉塊に飛び乗る。怪訝なレヴァナントもバステトに促されるままそれに応じるのであった。
「二人ともどうせ今、この国の景色は見えてないでしょう? 景色なんてどうでもいいから、まずは崖を探しなさい」
「承知致しました、アイテル様」
バステトは嬉々として肉塊を動かし始めた。
◆◆
延々と続く不気味な森を、気味の悪い肉塊は進む。レヴァナントは何度か聞きたい事を口にしかけては、冷たくあしらわれた先刻を思い出して躊躇っていた。
「言いたい事があるなら言葉にしたら?」
見透かしたようにアイテルが口を開いた。紫色の髪が風に揺れてなびいている。その後ろ姿は、なんとなく見覚えのあるような気がした。
「ああ、そうさせて貰うよ。一つだけ聞かせてくれ、タナトスの事だ」
彼女はこちらを見るともなく、yesともnoとも言えない言葉を呟いた。
「お前が俺を連れていく目的は、タナトスにとって有益なものなんだよな?」
「ええ」
短い言葉で彼女は答える。聞きたいことは山ほどあるが、レヴァナントは言葉につまってしまっていた。
「七死霊門に関係あるってことはわかってる。その先が聞きたいんだ。俺がお前にとって何の価値のない人間だとしても、タナトスの役にたてる素質はあるから連れてきた。そうだろ?」
アイテルは何も答えない。回答を諦めたようにレヴァナントは目をつむる。
「……そうね。足を用意出来た対価くらいなら教えてあげるわ」
アイテルは微かに呟いた。その声に顔をあげると、彼女はこちらを見るともなく語り始めていた。
「前にも話したけれど、あの子の力は規格外。たった一人の人間程度の命で扱える力じゃない」
静かに語り始める彼女の声が少しだけ和らいでいるように感じる。
「あの子が真実の自分を受け入れたら世界は終わる。けれど、タナトスがそれを選らばなければ逆にあの子の命が終わる。【九十八代ユクス・リーパー】……私達の母親はそれを選ばなかったから向こう側に帰っていった、そして命を落とした……言っている意味わからないでしょう?」
「わからない……だから知りたい、教えてくれアイテル」
レヴァナントは頭を下げた。普段の彼ならこんな異常な人物に気を許すはずもないのだ。それでも頭の中はすがる当てが彼女しかいないのだと理解していた。
「……ふん。部外者にリーパー家が心配される日が来るなんて、ずいぶんな落ち目なのかしらね。それならもう一つ教えてあげる、あの子の力は貴方の死が引き金で発動しているワケじゃない。ましてや印なんて必要ない、本当は条件なんてないのよ。あの子は私達リーパー家の人間が仕掛けた祝詞でそう信じ込まされているだけ。あの無慈悲な扉は全て、タナトスの意思で開かれている」
「なッ……それはどうゆう事だ、七死霊門はリーパー家秘伝の呪術なんだろ?」
「あの子はリーパーであってリーパーではない。扉の向こう側の住人……」
アイテルの口から語られたリーパー家の真実に、レヴァナントは言葉を失くしたのであった。