Ep.61 波打の場所 結 1
「二人とも大丈夫?」
タナトスは心配そうに二人を見た。東国の地に足を踏み入れてから、ミナーヴァとキルビートは生きた心地のしない光景にずっと警戒していた。
「一体なんなのですか……?」
「バ……ババ……化物だ……」
暗闇から突如として現れた高さ数十メートルはあろう怪物。巨大な身体は膝を抱えるようにじっと動かないが、はるか高みから時折怪しげな赤い光が見える。ミナーヴァとキルビートはその大きさに身構えることも忘れて恐れおののいた。
「初めて見るとビックリするよね。これがギオジン全体に張り巡らされた祝詞だよ。見かけと違ってけっこう優しいんだよ?」
そう言うとタナトスは怪物の巨大な足元へ駆け寄った。
「あ……あ、危ないよッ」
「止めなさいッ!」
我に返った二人は慌ててタナトスを止めようと叫んだが、彼女はとっくに怪物に触れようと手を伸ばしていた。その手が触れる瞬間二人に緊張が走る。
「二人共、大丈夫だよ? 祝詞は外敵以外には作動しないから。これは中型の【馬頭】だね。足が早いから乗せて貰おう!」
触れた瞬間、馬頭と呼ばれた巨大な怪物は動き出した。大きなヒト形をした手が動くとの森を揺らす突風が巻き起こる。飛ばされないように木々に掴まる二人がようやく目を開けると、巨大な黒い手がタナトスの前に差し出されていたのであった。
「この子達はギオジン最下層に張り巡らされた祝詞で【牛頭馬頭】。この国は呪術で感覚を変えられているから平面が縦に伸びているの。だからこのまま進んでいてもこの森からは出られない」
タナトスは巨大なその手に飛び乗ると二人を呼んだ。
「平面が、縦に……? それにこんなに荒れ果てた場所に、森なんてどこにも……」
「そ、そうだよリーパーちゃん。さっきからここは建物だらけで……て、ミネルウァさんも荒れ果てた場所?」
「あ、そっか。二人には森に見えてないんだね」
三人の見ている景色は違っていた。タナトスには深い森に、ミナーヴァには荒廃した教会の瓦礫の中に、キルビートにはどこかの街中にいた。それぞれが全く異なる景色の中で、異質な馬頭と呼ばれる祝詞だけが同じように見えていたのである。
「これも土地に仕掛けられた祝詞の一部で、その人の中に潜む恐れが形になるの。中にはこれだけで精神から苦しむ人も居るみたいだから、早くここから出よう。さぁ、早く二人も早く乗って!」
二人がタナトスに言われるがままに黒い手に乗ると、巨体を揺らして怪物は飛び上がった。
◆
「ちょっと、タナトスッ、これ本当に大丈夫なの?! それと一体何処へ向かってるのッ」
予想以上の上昇速度に二人は必死に掴まっていた。タナトスは楽しそうに辺りを眺めている。
「私の家に向かってもらってる! ウチは結構上層だから、脚力の馬頭ならひとっ飛びだよ。ほらみて!」
下を指差す彼女に促されて見ると、さっきまで立っていたはずの地上は遥か遠くにあった。僅か数秒の間に辺りの景色は一変してゆく。
「着きますよッ! 二人とも頑張って着地して――」
タナトスの声が聞こえた次の瞬間、黒い手は三人を空中に放り投げる。
「着地ってッ――」
「ヒイィィ――」
叫ぶまもなく宙に投げ出された。身体が浮いたように感じたのも束の間、今度は上下が逆転するような眩暈が襲う。
「危なッ……て、あれ?」
「うわぁぁぁぁ……あ?」
キルビートとミナーヴァは気がつくと石畳の上に尻餅を着いていた。それを見て笑うタナトスは二人に手を差しのべる。さっきまでとは景色が異なり空はすっかり明るくなっていた。岩山に囲まれた広い敷地に長い階段、その先にはとても大きな門構えの屋敷が見えるのであった。
「あそこがリーパー家だよ。ギオジンの偉い人に会うなら、私の父に聞くのが一番早いと思うから」
ようやく彼女の意図が理解出来たミナーヴァは、荷物を拾い上げるタナトスに尋ねた。
「そう言えばずっと気になっていたのだけれど。あなた、呪術を使うあの長い棒みたいな物どうしたの?」
「あー、お城で最後に七死霊門使った時に折れちゃって……王様のお墓に一緒にお供えしてきました」
唖然とする二人にタナトスは困ったように笑って続けた。
「このままだと私、呪術使えないので……どのみち家には帰らないといけなかったんですよね。折れた事を話したら父に怒られそうだけど……」
笑顔が途端にため息に変わる。叱られる事を恐れている彼女の姿に、ミナーヴァは久しぶりに少女らしさを見たのであった。




