Ep.61 波打の場所 中 2
レヴァナントの視界は途端に急変した。
口の中に広がる生ぬるい液体を、吐き出したい気持ちを殺して飲み込んだ。味わう事を意識しないように飲み下したはずなのに、喉の奥から不快な生臭さが鼻を突いた。
「くそっ、気持ち悪ぃもん、飲ませんな……」
強がりは全て言いきる前に喉が開かなくなり、俺の声は遮られた。
「これでもタナトスの印よりは飲みやすく作ってるのよ」
前髪をかき揚げたアイテルは見下したように笑っている。
「ど、ど、どうしたのです? お気を、気をしっかり持つのです」
脱獄を果たしたガリガリ男、バステトと言ったか……ついさっき出会ったそいつはなぜか俺の心配をしている。
「く、くっそぉ……俺は、俺はぁぁぁッ!」
胸が焼けそうになる。突き上げる痛みが耳から、視界から、身体の内側からくる痛みは限界に達した。
「俺はぁ、おれ……あ、あれ?」
気がつけば苦しみは消えていたのであった。レヴァナントは身体を触り確かめた。
「な……んだ? 急に、痛くねぇ……」
「ふふん。気分は良いかしら?」
アイテルが得意気に鼻をならして言った。何か腑に落ちないレヴァナントはまだ身体を確かめていた。
「お前、一体俺に何をした」
レヴァナントは直感していた。呪士の大家であるリーパーの血筋、それもあの化物染みた七死霊門の使い手の血族。コイツは必ず何かを企んでいる。
「ずいぶんな言い草ね。そこは普通、素直に感謝を述べるところじゃないの? まぁ、現状、貴方は私に生かされてる事には変わらないけど。これからの返答次第では貴方の不死なんて無かった事になるのよ?」
「な、なに言ってる? 俺は……いや、そもそも俺はこんな不死なんて」
レヴァナントは口ごもる。初めてタナトスに言った自分自身の願いを思い出してしまっていたのだ。同時に『あの時』彼女が言っていて言葉を思い出していた。
『レバさんの不死が呪術によるものなら……』
『そうですねぇ、もう一つは奥の手として……』
(タナトスの言っていた奥の手ってひょっとして、コイツの事なのか……?)
「不死身なんて望んでないんでしょう? それなら私に預けてみてもいいんじゃないかしら」
アイテルは全てを見透かした様に笑う。
「無理強いはしないわ。だけど、貴方はこんな所で死ねないんじゃなかったかしら?」
「……ああ。そうだ。俺はまだ死ぬわけにはいかない」
レヴァナントは深く考える間もなく答えていた。
「俺は妹を、救えなかった、迷惑をかけままのアイツを救うまで死ねない」
瞳に強い意志が戻る。死を覚悟した瞬間にレヴァナントは確かに生を噛み締めた。
「威勢はいいのね、不便な不死者さん?」
アイテルは恍惚と眺めて笑う。夕闇が迫る中でレヴァナントは再び倒れた。
◆◆
「くそっ姉野郎ぅぅッ、……う?」
「やっと目覚めましたか! 心配致しましたぞ? 意識がハッキリしたかと思えば急に倒れてしまって。診たところケガや感染症などは見受けられませんでした」
このバステトとか言う男、医者見習いだと言っていた。レヴァナントは警戒しながらも一応礼だけ告げる。
「あらあら? 頭を下げる相手が違うんじゃないのかしら」
揺れる赤い光が焚き火の灯す仕業と気がつくまで数秒かかっていた。レヴァナントは鈍い重みを感じる頭をおさえて辺りを警戒する。
「助けられたのは素直に感謝しておくよ。ただ、お前らの目的がわからないままじゃあ馴れ合うつもりはねぇな」
腰に手を回しても銃も剣も見当たらない。それどころか先ほどまで身体に纏っていたボロ布から、趣味の悪い色合いの異国の装束を着せられていた。
「なんだ、この悪趣味な装束は……」
「これもアイテル様から恵んで頂いたのですよ。我々のような逃亡者が異国で目立たないよう、呪士の装束だそうです」
良く見ればバステトも同じような服装に着替えている。藤紫色と濁った白色の服装は、何処か死装束のような雰囲気を醸し出している。まるでこれから焼かれる死体が最後に身支度を整えられたような、どう見ても普通の人間が着るものではない。
「悪趣味だなんて。それは呪物に着せる上位の装束、これを着ていればあなた達は私の供物として見なされる。身を隠すには都合がいいのよ」
「まさか、本当に供物にするつもりじゃないだろうな?」
アイテルは何も答えず、鼻で笑った。
「ところでレヴァナント氏。貴殿はなぜ『種持ち』であるはずなのに傷がすぐに治らないのですか? 我々の身体は基本的に対価を与え続ける限り不死身のはずでわ?」
バステトはレヴァナントの腕に巻き付いた包帯を指差して尋ねる。まだ完全に日が落ちていない状態では不死の力は発言しない。そう言いかけたが、アイテルが聞いている事に気がついてわざとらしくとぼける。
「こっちの目つきの悪い不死者は夜にならないと不死身になれないのよ。半端な不死身よね、弱点丸出し……」
クスリと小馬鹿にした笑いを取る。アイテルにはすでにレヴァナントの秘密が知られていたのだ。
「それはとてもおかしいですな。某も含め、そんな『種持ち』聞いたこともない……アイテル様のおっしゃる通りそれではあまりに不完全」
「それだよッ、その『種持ち』ってのは一体なんなんだ? お前らの親玉は何を企んでそんな力をばらまいて……」
レヴァナントはバステトに問い詰める。「うるさいわね」とアイテルは舌打ちをすると、口を開いた。
「全く、目つきも頭も悪いのね」
「なんだとてめぇッ?!」
バステトはレヴァナントを宥めると、傷に触ると座らせる。
「まぁでも、私もまだ全容は掴めていない。それについては後でゆっくり聞かせて貰うとして……『種持ち』とはつまり、一つの扉。召還とでも言うと解り易いかしら? あなた達が着ている装束と同じ、呪術で言うところの供物」
「まさしくその通りでございます。さすがはアイテル様、既にそこまでご存知とは」
レヴァナントは二人のやり取りに何度も聞き返す。『種持ち』という1人の不死者に一つの扉。バステトの口からその全容が明かされてゆくのであった。




