Ep.61 波打の場所 中 1
「少し刺激が強いかしら? これがこの国の祝詞、入国者への印よ」
真紫の長い髪をかきあげると、アイテル・リーパーは僅かに笑った。
理解を越えたその光景は後を続く二人に衝撃を与えていたのだ。この世のモノとは到底思えないその景観は視界と脳髄を軽く凌駕していた。
「なんだよ、なんなんだよこれは……」
ボロ布を纏うレヴァナント・バンシーは視界に写し出された情景に言葉をなくしていた。
「これは……まさに桃源郷ですね」
同じようなボロ布を巻き付けた痩せ細った男は言う。しかしレヴァナントとは異なり、彼は涙を流して何かを喜んでいた。
「フフフ、喜んで頂けたようね。 これが東のギオジン、呪術の大家の情景よ?」
アイテルはまた何かに浸るような気味の悪い笑みを浮かべて囁いた。
「これが、ギオジン、? 俺たちは、一体何をされて……」
そう呟いたレヴァナントは自身の身体に迫る違和感に言葉を詰まらせた。内側から何かに搾り取られるような圧迫感。命のすぐ近くで、弄ぶようにちらつく焦燥感。気のせいではない。これは紛れもなくこちらに向けられた負の感情だ。
「くそっ、このクソ姉野郎ッ……! お前だましやがったな」
「待つのですよレヴァナント氏……アイテル様はきっと施しを下さる」
身をよじるレヴァナントをバステトは宥めた。この場を納める術を請うように、視線だけアイテルへ向けた。
苦しむレヴァナントに目を細めるアイテルの顔からは、先程までの微笑は消え去っていたのであった。
◆
「くそっ、さっきから一体何なんだよこの不快な音は」
両手で両耳を抑えても、耳の奥から続く不快な音は断末魔のように絶え間なく続く。レヴァナントは東国に降り立ってからずっと気が狂いそうな絶叫に悶え苦しんでいた。
「音など……どこからも聞こえませんが?」
耐えきれず両膝を落としたレヴァナントの背中にバステトが不思議そうに手を置いた。
「そっちの不死者には私達には聞こえない、正確に言えば感じ取れない東国を視ているのよ」
「感じ取れないとは?」
アイテルは辺りを一通り見渡すと、苦しむレヴァナントに視線を落として口を開いた。
「ギオジンの祝詞はその生物の内の裏側を炙り出す。それがこの小さな島国に掛けられた小さな祝詞であり、偉大なる防衛なの」
再び周囲を見渡したアイテルは冷たく笑って続けた。
「あなた達二人にはまったく違う光景が見えているのよ? 彼は地獄の光景が見えているのかしらね、あなたはどう?」
「わ、わたくしにはこの世の極上。まさに天の極と見受けられます!」
バステトは至極の表情で答えた。その顔にアイテルは再びため息のような短い相づちを述べると、苦しむレヴァナントへ視線を戻した。
「あなたは今、自分でも知り得ない内なる欲望の世界を視ているのよ。これを取り去る打つ手はない」
「ふ、ふ、ふッふざけんっな、ぁ……俺は、こんなところで、こんなことで……」
必死に絞り出した威勢は途切れる呼吸に勢いを失う。レヴァナントは苦しみながらも抵抗の意思を瞳に灯す事しかできない。
「そう……それなら、私が助けてあげるわ」
膝を抱え苦しむレヴァナントへアイテルは見下ろしながら続けた。
「あなたが望むならここから先を続けてあげましょう。けれども、無理強いはしないわ。あなたが決めなさい」
アイテルは冷たく一瞥をくれると、レヴァナントの答えを待つように腕を組んだ。
「く、く、くそう、まだ……まだ、死ぬわけにはいかねぇんだよ?! レイ……ス、妹に、タ……ナト……ス、アイツにも礼も言ってい、ねえ」
苦しむレヴァナントは両耳を引きちぎらんと力を込める。
「そう。なら、これを飲みなさい。私の呪術の印よ」
手渡すアイテルの瞳は冷たく輝いた。
「こ、こんなもん、印ってことは、お前の……呪」
「信じるしかないんじゃないかしら? 私は一応にてをさしのべたわよ? それとも、妹の印しかのめなくて?」
アイテルは再び笑う。その顔は確かに笑っていたが、瞳だけが暗く沈んでいた。
「くっくつ、くく、く、クソッ……」
レヴァナントは苦しみながらもそれを受けとると、一息に飲み下したのであった。