Ep.6 穢れの山
畦道を進む牛車の揺れるリズムに合わせて、襟足だけ尻尾のように伸びた薄紫色の三つ編みが揺れている。
「西は近代的な国だとばかり聞いていましたけど、こんなに素敵な自然もあるんですね」
両脇に実った青々と伸びた穂を揺らす、心地よい風が顔に当たる。タナトスは大きく伸びて深呼吸をしていた。
「レバさんもこっち来たらどうですか。気持ちいいですよ」
客車の一番前に出たタナトスは、後ろの方に座り込んでいるレヴァナントに声をかける。「俺はいいと」と軽くあしらうレヴァナントは、ウトウトと船をこぎ始めていた。
大きな屋根のついた長方形の客車には、大荷物の商人や農作業へ向かう老夫婦で賑わっている。
「近代国家なんて言ってるけどさ、軍事用品以外はまるで時代が止まったまんまだよ。戦争が終わったんだから庶民にも、その英知を分けて貰いたいもんだね」
牛飼いの主人が手綱を握りしめて話す。
タナトスは牛車に乗ってからずっと運転席近くでこの男と会話を続けていた。もっとも、彼女の関心を引いていたのは、客車を引いて進む4匹の牛達であった。
「おじさん、この子達に名前はないの?」
「お嬢ちゃん面白いこと言うなぁ。家畜に名前なんて普通つけないよ」
手綱の先に揺れる牛の尻尾を目で追いかける。東の国には生息しない、見慣れない獣を飽きない様子で見つめていた。
◆
のどかな農道を進んだ牛車はやがて町を抜け、山間の深い森に差し掛かっている。いつの間にか乗り合わせていた乗客達は目的地でおりてゆき、広い客車にはタナトスとレヴァナントの2人を残すだけになっていた。
「お二人さん! ここで終点だよ」
車輪のまわる音が止む、牛車の主人の声が車内に響いた。声に気づいた二人が顔を出すと、雄大に広がる森の入り口で牛車は止まっていた。
「山の麓までは行ってくれないのか」
レヴァナントが主人に尋ねるのだが、ここまでだと首を横に振っている。
「ここから先は最近あんまり良い噂をきかねぇからなぁ。この辺の人間でも山までは近づかないんだよ」
主人は当惑に眉をしかめて牛車を降りると、2人の方へ近づき降りるよう催促する。
「ほら、1人賃料銅貨一枚。2人で二枚だよ」
あっ……っとレヴァナントの表情が固まる。タナトスは上の空に、キョトンとした顔で主人を見ていた。
「あー……待ってくれ。俺達その……手持ちが無くてさ。どうだろう、手持ちの物で代わりにならないかな?」
あからさまに動揺した様子のレヴァナントに、明らかに怒りの色を見せて主人は迫ってくる。タナトスは何か無いかと荷物を探った。
「あ! おじさん、これはどう?」
客車から飛び降りると、荷物から何かを取り出して駆け寄る。主人が怪訝な顔で覗くと、途端に奇声を上げて仰け反った。
「ヒ、ヒィィィッ、あんた、何だそれ!?」
怯える主人に首をかしげるタナトス。彼女の手には宝石のあしらわれた短剣が握られていた。刀身にベッタリとついた血糊の跡を除けば、かなり高級な代物だろう。先程、野盗の拠点で彼女が見つけた物である。
「遠慮しなくていいですよ! これ中々の値打ちがあると思うんですよね」
無垢な笑顔で短剣を渡そうと近づく彼女に、主人はさらに怯えている。
「おいッ、せめて刃先を向けるなって……」
剥き刃を危なげに持つ彼女を制止させる為、レヴァナントも立ち上がり近づこうとする。客車飛び降りた拍子に羽織っていたボロ布がハラリと落ちた。
「あ、あんたら野盗だったのか?!」
主人の目に映る男は、近隣で悪名高い野盗の服装をしていた。レヴァナントは先刻の戦いの後、返り血で汚れた服の代わりに野営のテントで見つけた彼らの服を拝借していたのだ。
しまったと、レヴァナントは弁明を図ろうとするのだが、すぐさま悲鳴を上げられてしまう。
「か、金はいらないッ! い、い、命だけは……」
牛車に飛び乗ると手綱を勢いよく振るい、主人は一目散に逃げ出した。
「レバさん、その格好じゃあ本当に野盗ですね」
クスクスと笑うタナトスに、頭を掻いてレヴァナントは肩を落とすのだった。
◆
「陽がくれる前に少しでも食糧と水を集めたいな」
前を歩くレヴァナントが木々を掻き分けて進む、少し離れてついて行くタナトスは楽しそうに辺りを見回していた。
「俺は夜になれば空腹でもなんとかなるけど、お前にとったら一大事なんだからな? ちゃんと探せよ」
振り向いた彼はムッとした顔で言う。見慣れない動植物に気をとられる彼女は聞く耳を持たないようにはしゃいでいる。
「大丈夫ですよ。わたし、こう見えて結構体力あります」
グッと握りこぶしを作るタナトスの声と重なるように、低い音が腹の奥から鳴り響く。恥ずかしそうに笑うタナトスなのであった。
「ところで、レバさん。どうして北に向かうのに山越えなんですか? どうせ海路しかないんだし、海岸通りを進んだ方が早くつくと思いますよ」
北の大陸は海峡を挟んだ場所にあり、主な交通経路はほとんどが船に頼るしかなかった。目的地へ向かう為の道順を、レヴァナントから聞いた時から彼女は疑問に思っていたのだ。
「海岸通りは国境を見張る関所がある。どうせお前も通行許可証、もってないだろ? そこで捕まったら近場の収容所に連れてかれちまうだけだ」
呆れた言い草のレヴァナント、「それなら!」っとまたも無茶苦茶な持論を展開しようとするタナトス。適当に流す彼は再び肩を落としていた。
「どうせ呪術で強行突破とか無茶言うつもりだろうけど、凶悪犯が北の大陸に渡ったところですぐに賞金首になるだけだからな?」
前を向き直し、彼は再び足を進めた。
「この山を越えた先に、密航船がでてる村があるって噂を聞いたことがある。そこから渡った方がはるかに安全に行けるだろ」
なるほどっとタナトスは感心したように大きく頷いた。
徐々に勾配を増す山道に足をとられながらも、2人は進む。次第に深くなる緑が空を隠し、薄暗い辺りからはじっとりと空気が重くなるのを感じた。
◆
「レバさん……少し、休みませんか」
あがる息を整えるように膝に手をついた。元傭兵というだけあって、鍛えられたレヴァナントは息一つ乱れていない。
「あぁ、お前は少し休んでろ。近くに川でもないか見てくる」
そう言うと彼は脇に広がる林の中へと消えていった。大きな木を背にして座りこむと、どっと身体が重くなったような感じがする。呼吸を整えるタナトスの耳に、ある音が聞こえた気がした。
「……これって、水の流れる音?」
よろよろと立ち上がり音のした方へと進む。間違いない、音はだんだんと大きくなってゆく。
「やっぱり川だった。……レバさーんッ! 見つけましたよー」
辺りを見に向かった彼を呼びながら、目の前に広がる穏やかな小川に駆け寄る。キラキラと輝く水に手を入れると、冷たい感触が伝わる。タナトスは途端に顔が綻んだのであった。
両手で掬い上げて、溢さないようにそっと口元まで持ちあげる……
ーー止しなさいッ!
突然の声と共に川の水面に何かが当たって跳ねる。じっとりと緑色の液体が水面に広がると、大きなトカゲのような生物がひっくり返って浮かび上がった。
驚いた拍子に後ろに尻餅をついたタナトス。
ガサガサと近くで足音が聞こえた。
「ここの水は危険よ、飲んだら大変な事になってしまう。さぁ、水ならこれを飲んで」
木々の奥から現れた毛皮のマントに身を包む女性は、タナトスに手を差しのべていた。
「あ、ありがとうございます。こんなに綺麗な川なのに危険って?」
女性が手渡してくれた獣の皮でできた水筒に口をつけながら、タナトスは再び小川を見た。
「私はリジェ。この近くの集落で暮らしてる」
リジェと名乗る女性は踵を返して川に近寄ると、打ち上げられたトカゲから矢を抜いて矢じりについた緑色の血を払う。
「この森の水はいつからか穢れているの。毒の水のせいで生態系も変わってしまった、こんな猛毒性のトカゲも前はいなかったのに」
リジェは悲しげな目でトカゲの亡骸を一瞥すると、再びタナトスの元に歩み寄った。
「あなた、迷子? こんな森に何か用ってワケじゃないだろうし……」
不思議そうに眺める女性にタナトスは受け取った水筒を返すと、一息ついて口を開いた。
「わたしはタナトス・リーパーっていいます。旅をしていて、この山を越えた海岸の村を目指してます」
リジェが楽しそうに笑うタナトスをさらに怪訝そうな目で見つめていると、低い唸り声が再び腹の底から鳴き始めた。
「……集落は近いから、何かご馳走するわ」
クスリと嗤うリジェに、照れ笑いのタナトス。弓矢を手に凛とした出で立ちの女性から、少しだけ幼い笑顔が覗いたのであった。