Ep.59 それぞれの出国
強い日差しを阻む雲もなく、ネストリアの城下町は季節外れの陽気に包まれている。茹だるような暑さに挫けることもなく、街の人々は復興に向けた活気が漲っていたのであった。
--おぉいっ! 次はこっちに運んでくれぇ
「は、はぁい……今行きますぅ……」
抱えた資材を落とさないように、額の汗をぬぐうキルビートは苦しそうに息を荒く吐き出していた。そんな彼に涼しげな面持ちで声をかける。
「体はすっかり良さそうね?」
ネストリア城襲撃から数日が経とうとしていた。荒れ果てた空虚の街並みは、また息づく命の声に奮い立つ。それは戦火の後を思わせるようなつたない思いの塊、それでも確かにその地に生きる人々の活気を呼び起こすのであった。
「いやぁ。こんなにもキツいとは思いませんでしたよ、ミネルウァさん」
細い腕をぐったりと投げ出してキルビートは嘆いた。苦悶を見せる彼を笑いながらミナーヴァは少しだけ視線を逃がした、眼下に広がる街並みの再建の様子にどこか胸が踊る。
「それより、明日には立つんですよね? リーパーちゃん、本当に平気なのかな」
資材を投げはらう半裸の優男は遠く視線を投げた。その顔に浮かべた不安と迷いは問いただすまでもなく、答えることもなくミナーヴァは口を開いた。
「東の大国、ギオジン。私はあの子についてゆくわ。あなたはどうするの?」
答えのわかりきった質問を溢すと、優男は「もちろん、僕も行くさ!」と答える。その言葉に自嘲めいた笑みを見せると、労いの言葉を伝えてミナーヴァは続ける。
「あの子には大きな恩があるの。そして今度は、タナトスの願いを叶える番だからね」
返答を待つまでもなくミナーヴァは足早に城へと進む。熱気と歓声が飛び交う城下を後にしたのであった。
◆
「いよいよ明日にはここを立つ。タナトス、準備はいい?」
わかりきった質問をあえて吐き捨ててみる。雲一つない炎天下に暑苦しく毛羽立った白いローブを纏う少女はその声に気付いて振り向くと、屈託ない笑みを浮かべて叫んだ。
「ミーネちゃん! 私、なんなら今日にでもいけるよ!」
「あなたは強いのね」
言葉を待つまでもなく彼女の気持ちは痛いほどに伝わっていた。彼を探しているのだ。
レヴァナントが消えた夜。何者かによって爆破された地下牢は夥しい鮮血で染められていた。破壊された壁にぽっかりとあいた穴の横にそれは綴られていたのだ、赤黒く滲む線は一言だけを語っていたのだ。
【俺は自死を選ぶ。追うな】
血文字は殴り付けるように描かれ、見たものを萎縮させたのであった。そんな情景を思い出しながらミナーヴァは口を開いていた。
「【追うな】って書いてあったのよ? それでもいいの? トール様の要求をそのまま受け入れて」
僅かに浮かぶ後ろめたさを必死に隠しながら、いつもと同じ笑みを浮かべて口を開く。
「大丈夫です! レバさんは言ってましたから。誰も傷つけない嘘なら言ってもいいって。私はそれを信じます、これが私を思っての言葉なんだろうってわかりますから」
少女はひとしきり口早にのべると、何か納得したような表情で再び口を開く。
「あの厳重警護な監獄から抜け出すにはそれなりの力が必要になります。恐らくですが、アイテル姉さんが一枚噛んでいると思います。それなら話しは早い、きっと行く先は東国に決まってます!」
あっけらかんと口を開く彼女の表情には、とても嘘偽りは感じられなかった。それは信じるという愚直な、愚かな、それでいて崇高な意味がまぜこぜにして。いりくんだ複雑な意味が耳までとどくのを、じっと待つミナーヴァなのであった。
「わかったわ。あなたの決意は受け止める。けれども……」
掛ける言葉を躊躇うように視線を逃がしたのであったが、少女の眼差しはまっすぐ私を捉えていたのであった。
「いいえ……行きましょう。東国へ」
耐えきれず答えた私の言葉に嬉しそうに答える少女の笑顔は、とても晴れやかで好奇心に満ちていた。その顔にはとてもこの国の策士が企てた算段を打ち明ける事ができないのだ。彼女の屈託のない感情に気圧されるように顔を伏せてしまいたくなる。
「ミーネちゃん! レバさんはきっと困ってる。だから、助けにいかなくちゃ」
タナトスの瞳は希望の色を輝かせる。ミナーヴァの心中には師から任された密約と、仲間と思う相手への敬意がまぜこぜに迫っていた。ただこの国を守りたい。そんな単純な動機が霞むのを心の片隅に覚えたのである。
「……えぇ。きっと救いましょう」
「うん! 道化師さんも一緒にね!」
少女は楽しそうに跳ねる。その姿はまるで祭りの前の子供のようで、これから向かう意味をまるで理解していない様にも思えた。曖昧な返事を返そうとした時、少女は一言、今まで見せたこともない表情で呟いたのであった。
「私はリーパーの呪士。たとえ世界が敵になっても、私の気持ちで私は進む」
これまで見たこともない冷酷な、言葉に表せない顔でタナトスは呟く。声をあげることが躊躇われるような彼女の顔を見つめていると、また言葉を放った。
「それにね、ネストリアの王さまも言ってたから。自分の思う事を信じろって。だから私は、私の思う事をするよ?」
言葉の裏に延びて行く確かな脅威。ミナーヴァはそれを、感じられずにはいられなかったのであった。