Ep.58 仕組まれた種
タナトスが目を覚ます数時間前、ネストリア城地下牢の片隅でレヴァナントも意識を取り戻していた。点々と備えられた燭台では頼りない小さな炎が揺らめく。時折聞こえる激しい風の音は、誰かの呻き声のように鳴いていた。
「ここは……」
冷たい石床に項垂れていたレヴァナントは顔をあげた。薄目に辺りを見回しながら身体を動かそうすると不意に腕を後ろに引かれた。両手首に嵌められた手枷から伸びる太い鎖、無駄だとわかっていたが力を込めて引いてみる。鎖は見た目よりとても頑丈で、彼の自由を奪うであった。
「手枷に鎖、ここは何処かの牢獄か? 俺はいったい……あの時、確か邪教と戦っていて……」
思考を巡らせようとする度、割れるような頭痛が何度も邪魔をする。しかたなく、その場に寝転び額に手をおいて天井を仰ぐ。頭痛の他には身体に異常は感じられないなどと考えていると、断片的な映像が頭を過った。
廃墟と化した街をなぎ払い、瓦礫の山を進む。黒い炎を操る男を切り裂く無数の大蛇、厚い雲の隙間から眩しく輝いた日の光。聞き覚えのある声が自身の名前を呼んでいる……
「全部、俺が……やったのか」
意識がはっきりと覚醒すると全身に痛みが走った、何処にもケガは見当たらないが酷く痛む。苦痛と共に込み上げる感情を吐き出した。
「……ッ、クッソオオオオッ」
後悔や焦燥感、複雑に混ざり合った感情は己が罵声となって口から溢れ出る。何度も頭を石床に叩きつけた。
「そこのお方、ずいぶんと苦しそうですね。良ければ気晴らしに某と雑談でもしませぬか?」
声の聞こえた暗闇の方へと顔を向ける。離れた所にうっすらと浮びあがるシルエット。壁に背をもたれ座り込むような何者かは、レヴァナントの応えを待たずに続けていた。
「某も今、大変に厭世に苛まれているのです。生き恥をさらしながら、この身は死ぬことも出来ない。不死身の身体というものは、なんと不自由で不合理なモノでしょう」
「不死身……?」
男の声に反応したレヴァナントは身体を起こす、ジャラリと重苦しく冷たい音が石床を叩く。
「某は元々しがない医者見習い。与えられたブードゥの力に魅了され、まるで自身が本物の悪魔に生まれ変わったように踊らされた。この国の魔道師に敗れ今は自らの愚かさを痛感したと同時に、憑き物が取れた様に清々しい心持ち。しかし不意に頭を過るのは某が行った愚行、蛮行の数々……」
「まてよ、お前も不死身……? 邪教の仲間なのか?」
暗闇の先で聞こえる男の声に問いかけた。
「敗れて捕まった其はもう無価値。ただの【種持ち】の役立たずですよ」
「種持ち……いったい何なんだッ、教えてくれッ! 不死身とは、あの化物はッ! 俺に掛けられた呪いの正体はいったいなんなんだ?!」
饒舌に続けていた男の声は突然止まり、牢の中に沈黙が広がる。暗闇の奥で何かが動き、同じように手枷に繋がる鎖が擦れる音が聞こえる。
「貴殿も種持ちなのですか?」
冷たい石造りの牢獄の片隅にロウソクの弱い灯りが、頬のこけた男の顔を浮かび上がらせたのであった。
◆
「なんでもいい、あんたの知っている事を教えてくれッ! 種ってなんなんだ? どうすればこの不死身の呪いを外せるッ?!」
抱いていた疑問が噴き出すようにレヴァナントは口早に捲し立てた。立ち上がり男の方へと近寄ろうとする事を手枷に繋がった鎖が阻む、頬のこけた男は飛び出した両目をギョロギョロと動かしていた。
「頼むッ、教えてくれ! 俺はどうすれば、この不死身から解放される--」
首を左右に降っている男の姿にレヴァナントの口が止まる。男は視線を鉄格子へ向けると小さく呟いた。
「……盗み聞きは誉められた行いではありませんよ。それとも、貴女が某に死の救いを与えてくれるのですか?」
格子に視線を向ける、細長い影が伸びるようにこちらに近づいてくるのが見えた。足音もなく迫る影に身構えると、影とは真逆の方向から声が聞こえたのであった。
「……ごめんなさい。私もあなたの話に少し興味があっただけよ。安心なさい、聞いたところで何かするつもりはないわ」
現れた意外な人物に思わずレヴァナントは彼女の名を叫んだ。
「アイテル・リーパー……どうしてお前がここに」
「終焉王に雇われた呪士ですか。貴女は何が目的で手を貸したのでしょうか、某には検討もつきませんね」
怪しく艶めく紫色の髪をかきあげると、アイテル・リーパーは不適な笑みを浮かべて牢に近づいた。
「別に目的なんてないわ、ただあなた達の不死の身体に興味が湧いただけ。牢獄に囚われた2人の不死者、その身体の秘密を知りたいのよ。元仲間のよしみで教えてくれないかしら、悪魔隊補佐バベルさん?」
アイテルは口許を緩めたが、彼女の瞳は少しも笑っていない。冷たい視線をバベルと呼んだ男に向けている。
「……この牢獄から出られたとして、どのみち某も消されるだろう。役立たずに貴重な【種】を残しておくほど、王は甘くはあるまい」
「ちょっとまて、解るように説明しろよ。誰だ終焉王って? 悪魔隊? いったいお前ら何を言ってんだ……?」
2人の会話に理解が追い付かないレヴァナントは説明を求めた。「かわいそうね」と呟き、哀れむような視線を向けるアイテルは鉄格子の隙間から細い腕を伸ばしてしおらしく囁いたのであった。
「あなたをここから出す為に、私は来たの。選択は二つに一つだけ。私と一緒にこの国を出るか、朝を待って大罪人として処刑されるか。選ぶのはあなた次第だから、これ以上の選択肢は与えてあげられないわ」
「お前とこの国をでる? どうゆう事か説明しろッ、なんでお前が俺を助ける義理があるって--」
レヴァナントの口を塞ぐように細い指を自身の口許に当てたアイテルは、次の言葉を吐き出させる事を止めた。変わりに口を開いたのは咳払いをする痩せ細った男であった。
「某の本当の名はバステト・ベクトニル。某は悪魔隊補佐などではない、ただの愚かな医師見習い。貴女に手を貸せば、あるいはこの苦しみから抜け出せるかもしれない」
「……そうね。あなたの力はまだ使えそうだし、私の使いとして連れていってもいいわよ? ただしこの魔法の編み込まれた、見た目よりはるかに強固な格子を壊せたらだけどね」
アイテルはまた口許だけの笑みを浮かべて問いかける。完全に2人の話に置いていかれたレヴァナントは怒鳴るように「待て!」と何度も口を開く。
「はぁ、レヴァナント・バンシーだっけ? あなたって結構鈍いのね。一から十まで説明が必要なのかしら?」
「ふざけんな!? まだ何も聞いていないだろ。お前らの目的もッ、お前が俺を助ける理由もッ」
わざとらしく肩を落としてため息をついたアイテルは、目を細めて睨みつけてくる。言葉のないその表情に、どこかあの少女と似た面影が見えた気がした。
「七死霊門はリーパーの秘術であり、私達に掛けられた呪いなの。全ては話せないわ。ただ、あなたの不死の力は強力無比なあの扉を開く鍵だと言うことだけしか」
アイテルの口から飛び出した七死霊門という言葉に懐かしさのような複雑な感情が沸き上がる。レヴァナントは言葉も出ないままに、次の彼女の言葉を待ってしまうのであった。
◆
「……あの規模の呪術を、本当にあなた一人の命だけで発動してるとでも思っているのかしら? 七死霊門は本来、その絶大な力が故に膨大な供物を必要なの」
長い髪を右手でもてあそぶ彼女は、いかにも芝居がかったように続けた。
「さっきの話だけど、種だっけ? 私の読みではレヴァナント、あなたの血に不死の力が宿っていると思うの。そしてタナトスの呪術発動の印、リーパーの血と混ざる事によってその力は驚異的に成長、いや、覚醒したといったところかしら」
アイテルの声は鋭く、それでいて冷たく刺さる。
「終焉王はあなたの種が覚醒する事待っているような口ぶりだった。まるであなたがあの子と出会い、七死霊門を使う事を予め予知していたかのように」
「そんなバカな事……あるわけが無いだろ」
偶然訪れた戦場で不死者となり、捕らえられた街でタナトスと出会う事をまで仕組まれていた。あり得ないと何度も否定するレヴァナントの姿に、今度はバステトが口を開く。
「いや、そうとも言いきれんよ。終焉王は全ての種を産み出した、あのお方の力は人智を遥かに越えている」
「そんな、バカなッ、俺はずっと……これまでの全部が仕組まれていた……?」
力無く声は萎んでいった、高揚していた表情が青ざめてゆくのがわかる。
「レヴァナント・バンシー、もう一度提言するわ。不死の種を私に譲ると約束するなら、私があなたに掛けられた呪いを解いてあげる。私と共に東国へ向かいましょう」
アイテルの瞳は暗く静かに輝きを放っている。答えを迫られるレヴァナントの瞳もまた、影を落とすのであった。




