Ep.57 英雄と大罪人
「よかった、気がついたのね。キルビート! タナトスが目を覚ましたわ」
聞き覚えのあるその声が、ミナーヴァのものだと気がつくまで少し時間がかかった。金色の髪を揺らす彼女は慌ただしく扉を開けて何か叫んでいる。
すぐにまた見知った仮面の男が近付いてくる。あちこち包帯まみれのキルビートに、泣き声混じりで何度も名前を呼ばれた。
「あれ? ここは……」
「ネストリア城の執務室よ。あなたはずっと眠っていたの、まる二日間もよ? 本当に心配したのだから……」
「リーパーちゃん、本当に、本当によかったぁ」
騒がしく泣き崩れる仮面の男と眉を上げる金髪の少女は、タナトスのすぐ側で声を荒げている。しばし混乱するタナトスは困ったように起き上がった。着いた右手は思いの外、うまく力が入らない。
なんとかベッドから上体を起こして部屋を見渡すと、次々と部屋に入ってくるネストリアの兵士達が頭を下げてくるのが見えたのであった。
「えっと、これは一体なに? 私は……そうだっ!、朝日っ、レバさんは?! 王さまは?」
捲し立てるように尋ねる。ミナーヴァは瞳を伏せたが、すぐに気丈に視線を戻して口を開いた。タナトスの肩にそっと置かれた彼女の手は優しく、それでいて少し震えていた。
「ネストリア城は、この国は救われました。タナトス、あなたのおかげよ。ただ、その代償は少なくなかった」
ミナーヴァの言葉に視線を下げる兵士達、彼女と周りの様子にえも言えない不安がタナトスの胸を過る。
「まずレヴァナントは無事よ。あなたが呪術で呼び寄せた朝日を浴びると怪物はすぐに消えて、いつもの彼の姿に戻っていた。そのまま気絶していた彼は今、別の場所にいる。五賢人スルト様はレヴァナントとの戦いで重症、今も別室で治療を受けている」
何かを躊躇うようにミナーヴァは歯切れ悪く話していた。キルビートが不安そうに何度も2人を見返しては聞いている。2人の仕草に胸騒ぎのようなざわめきを覚えるタナトスは、話の続きを急かした。
「……ネストリアス王は、自らの信仰を使い果たして名誉の死を遂げました。少なくともあなたと王のおかげで、城に避難していた国民は救われた。だから……」
「……やっぱり、王さまの魔法、信仰を使えってゆう意味。とにかく必死だったけど、なんとなくあの時気がついたんだ。ミーネちゃん達が使う魔法の源、信仰ってつまり……」
堪らず顔を落とすタナトスは静かに震えた。
ネストリアが誇る奇跡の力『魔法』、自らの生命力を信仰力として様々の奇跡を起こす力。供物として他者の生命を捧げる呪術とは全く性質の異なる、自己犠牲の賜物であると、あの夜タナトスは感じ取っていたのであった。
「大丈夫。私達、国選魔導士は元より覚悟の上でこの信仰を捧げています。この国を守る役目を、私達は喜んで引き受けているのですから」
そっと手を離したミナーヴァは、タナトスの瞳をまっすぐ見つめて語っていた。彼女の瞳の奥に硬い覚悟の色を感じる、堪らず視線を逃がすタナトスであった。
◆
部屋の中は沈黙が包み込んでいた。ミナーヴァの強い信念に何も返す言葉が見つからないタナトスは、複雑な心境で口を紡いでいたのであった。
とても長く感じた沈黙は、時間にすればすぐに破られた。一人の兵士が慌ただしく部屋へ駆け込んでくると、ミナーヴァに一礼して口を開く。
--報告します。五賢人トール様がご到着なされました
ミナーヴァが「ありがとう」と応えると、再び敬礼した兵士は小走りに部屋を出ていった。部屋の外からざわつく声が聞こえたかと思うと、また扉が開く。
「トール様よくぞ御無事で」
執務室に現れた人物に深々と頭を下げるミナーヴァと兵士達。やたらと大降りな衣服を纏う小柄な男性は頭をあげるように促すと、部屋の中をあちこちと見渡す。ベッドで呆けているタナトスを見つけると、男性は足早に近付いたのであった。
「はじめまして。私は五賢人、界雷のトールと申します。この度は我がネストリアをお救い頂き感謝致します。主亡き今、代わりに謝意をお伝えさせて致します」
五賢人トールと名乗る人物は容姿に似つかわない丁寧な言葉使いで深々と頭を下げる。ミナーヴァと同じように艶めき輝きを放つ短い金髪、タナトスとほとんど変わらない背丈。一見すると子供のようにも映るその容姿に驚いていると、ミナーヴァが自らの師を紹介し始めた。
改めて頭を深々と下げるトールにタナトスは答える。
「私は何もしてません、王さまの力を借りただけです。それに元はといえば私達が招いた事で……」
「それでも貴女はこの城を国を、民を守ってくれました。ネストリアス王は自らの意思で、この国の為にその尊い命を捧げられたのです。呪士である貴女が北の国を救ってくれた事実は称賛されて然り、まさに奇跡を起こしてくれた英雄でしょう」
トールの言葉に何度も首を横に振り否定するタナトス、見かねたミナーヴァが再び優しく手を置いた。
「トール様の仰る通り、タナトスは誇るべき行いをしたのよ」
諭すような優しい声に応えられないタナトスは、たまらず再び顔を伏せるのであった。
「しかしながら、現在この国の置かれた状況は非常に悪い。賊によってネストリアス王が討たれたとなれば、これまで休戦協定を結んでいた諸国はどう目論むか。十中八九、この期を逃すまいと攻め込んでくるでしょう。そうなれば崩れ掛けのネストリアは持ちこたえることができず崩壊してしまう、それだけは絶対に避けなければなりません」
トールは顎に手を置くと考え込むような仕草で切れ長の目を閉じた。幼く見える容姿には似合わない彼の仕草を見ていると、タナトスは思い出したかのように口を開いた。
「そうだっ、レバさんは? ミーネちゃん、レバさんは今どこにいるの?」
「それは……」
答えを渋るように口籠るミナーヴァを何度か問い詰めると、代わりに隣に立つトールが話し始めた。
「貴女のご友人は今、我々で拘束させて頂いております」
「トール様ッ……」
止めに入ろうとするミナーヴァを、片手で制してトールは続けた。
「レヴァナントさんと言いましたか、彼は地下牢にて厳重に取り押さえられています。残念ですがこの国の脅威となりえた大罪人を、見過ごすわけにはいかないのです。どうか理解して頂きたい」
「そんな?! レバさんはそんな人じゃない」
「タナトス、落ち着いてッ」
抱き締めるように制止するミナーヴァを振り払い、タナトスは怒鳴り付けるように強く叫んだ。
「レバさんと会わせて下さい!」
タナトスの激昂する姿を顔色一つ変えず聞いていたトールは、静かに応える。
「ならば一つ、提案があります。これから話す内容に貴女が納得して頂き、我々の望み通り行動して頂けるのであれば彼の解放を約束致しましょう」
「何をすれば、レバさんを解放してくれるんですか?」
トールの冷たい瞳を見つめ返す。彼が再び口を開こうとした瞬間、執務室にひときわ大きな慌てた様子の兵士の声が響いたのであった。
--報告致しますッ! 地下牢獄に拘束していた悪魔が姿を消しましたッ、例の不死身の男の姿も見当たりませんッ!
重苦しく部屋を包む沈黙は、途端に騒然とかわるのであった。




