Ep.56 ブルーモーメント
数人の男達が輪を作るように隊形を組んで現れていた。男達の装備からネストリア城を守る兵士だということはすぐに見てとれた。しかも彼等がかなり位の高い兵士だということも、それぞれが纏う強固な鎧から読み取れたのであった。
十戒の如く兵士達の列を切り裂いた1人の老人がゆっくりとした歩調で進む。仰々しい洋装に負けず劣らずな、品位を感じる白い髭を蓄えた人物にミナーヴァとキルビートはおもわず声を荒げた。
「ここは危険です! なぜこのような場所に」
ミナーヴァは慌てた様子で叫んだ。取り乱した姿がいつもの彼女とまったく違う。
「お、お、お、王様……」
キルビートは何度も頭を下げて震えている。
年齢を重ね痩せ細ったその体は、とても勇ましさとはかけ離れているはずだった。しかし内面から沸き立つ王の威厳ある姿に、タナトスは昔姉から教えてもらった威風凛々という言葉を思い出していた。
「王さまは、朝陽を呼べるんですか?」
唐突に現れたネストリアス王に駆け寄ると、タナトスは尋ねていた。
「もちろん、出来るとも。もっともそれには、お嬢さん。君にも手伝って貰わないといけないわけだ
がね」
崇高な気位を感じさせながらも、全てを受け止めるような寛大な眼差しでタナトスを見るネストリアス王は続けた。
「君は先刻、自分の事を呪士だといっていたね。呪術は扱えるのであろう? それならばこの老いぼれ魔導士の力でも、きっと役に立てるはずだ」
王は腕捲りして見せると、痩せ細った腕で力こぶを作る真似をして告げる。
王の羨望の眼差しに応えられないもどかしさからか、タナトスは目を伏せて応えた。自身は特異な呪術しか扱えないのだと。
「かまわんよ。供物として捧げる呪術と、信仰として自身をささげる魔法。異なる二つが重なる時、それは必ず奇跡となる。まるで憎しみを許す天使のように……何十年も前に、とある呪士から聞いた言葉だ。ちょうど君のような綺麗な髪の色をした呪士であったな。これも何かの導きなのかもしれん」
ネストリアス王は白髭まみれの口許を緩め、目を細めるように顔をくしゃくしゃにして優しく微笑んだ。
「で、でも……本当に私は七死霊門以外は、なにも出来なくて」
「人が本当の意味で心から願えば、なんだってできるものさ。私は王としてこの国の民を守りたい。君は、あの若者を助けたいのだろう?」
わずかな沈黙の後、優しい王の眼差しを見つめ小さくうなずいた。
「手順は伝える。なぁに、そんなに気負う必要はない。こんな老いぼれでもこの国を統べる者の責任がある、及ばずながらちゃんと導くさ」
ネストリアス王は優しく告げる。自信のない瞳をふるわせるタナトスは、再びその瞳を見つめ返した。先程まで感じた威厳ある眼差しはとても優しく変わっていた。
「……やってみます」
彼方から断末魔のような恐ろしい声が聞こえる。恐らくレヴァナントと覚しき怪物のモノであると、頭の端は冷静に理解した。彼の顔を思い浮かべると、タナトスは小さく頷いたのであった。
◆
「ゆっくりでいい。私の信仰を感じたら、その手をアレに添えてみなさい」
「わ、わかりました。やってみます」
ネストリアス王は両手を広げて目を瞑る。横に立つタナトスは僅かな変化を見逃さないよう、いつにない真剣な顔でその姿を見つめていたのであった。
ーーア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
断末魔が再び響き渡る。
耳を塞ぎたくなるような叫び声、タナトスにはどうしてか助けを呼ぶ悲鳴に聞こえたのであった。
「王さま。私の呪術は役に立たないかもしれません。でも、私はレバさんを助けたいの」
「わかっているとも。あの若者もネストリアの民も、きっと救える」
ネストリアス王は両手を伸ばすと目を瞑る。眉を落とし不安を隠せない表情でタナトスはその姿を見つめていた。王直属の近衛兵と共にミナーヴァとキルビートは、少し離れているように命じられる。
森の奥が明るくなる。同時に激しい音を立てて真っ赤に染まる。五賢人スルトと怪物レヴァナントの戦いは益々激しさを増していた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ 」
怪物の声が近付いていた、兵士達は一斉に警戒を強める。
「タナトスと言ったね。大丈夫、タナトスの許しがあの若者をきっと救ってくれるだろう。さぁ、始めよう我が最大の信仰をッ!」
星のない厚い雲に覆われた夜空にネストリアス王は両手を伸ばした。僅かに震える指先を見つめ、王が何かを呟く。辺りから青白い光の粒子が波打つように動き出した。
「すごい、綺麗。王さまっ」
城前目前で激しく燃え盛る真っ赤な焔と、闇夜を流れる青白い光の波。神秘的な青い粒はやがて王の両手へと集まってゆく。大波を集めるように宙空を漂う大きなうねりは、吸い込まれるようにひとつの球体を夜空に産み出していた。
「さぁッ、タナトス今だ。君の願いを呪術に込めなさい!」
ネストリアス王は今までとは違い声を荒げた。心なしか苦しそうに息を肩できる姿に、タナトスは気付いていた。
これから起こりうる出来事を、なんとなく理解した気がした。恐らく魔法というのは……魔導士の言うところの信仰とは、つまり……唐突に頭をよぎる真理に頭を振って拒絶する。
「それでも、私の願いは……」
「わかっているとも。誰も君の願いを否定なんてしないさ。さぁ、構うことはない。使いなさい」
荒々しい息づかいとは裏腹に王は目だけで優しく微笑んだ気がした。
「ありがとうございます。絶対止めてみせます、だから、ごめんなさい……王さまありがとうございます」
タナトスはおもむろに走り出していた。主人の意思とは関係なく、怪しい光を放ち続ける2本の鉄柱。唯一無二の自身の呪術の媒介に触れた瞬間、怪しい紫色の光は宙に浮かんだ王の魔法と同じ色に変わった。
印もつけていない。供物も捧げてすらいない。発動するはずのないタナトスの呪術は2本の死柱の間に大きな光を放つ。
「七死霊門、私の欲しいものを出して」
瞬く青い光が溢れ出すように空へ伸びる。細く伸びた光はやがて大きく膨らむと、空はエメラルドグリーンに輝いた。
「見ろ! 夜が明ける、朝陽だッ」
誰かが叫んだ声と共に辺りに伸ゆく黄金の筋、朝を告げる暖かく、力強い光源は暗く沈んだネストリア城を照らしたのであった。