Ep.55 テュホニウス
「ーーオルクス王子!」
五賢人スルトの叫ぶ声に、大剣を振るう鎧の男オルクスは僅かに反応を見せた。チラリと視線を投げると、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「チッ……五賢人のジジイまで出てきやがったか、めんどくせぇのが増えたな……」
レヴァナントの体から伸びる黒い蛇達は僅かな隙を見逃さず、オルクスの両腕に絡み付くとキツく締め上げた。骨が軋むような鈍い音が聞こえてきそうなほど、数十匹の長い胴体は鎧で守られたオルクスの腕にめり込む。
「ーー悪逆無道ッ!」
オルクスの全身から再び幾重もの刃が飛び出す。絡み付く蛇達は粉微塵に切り裂かれた。しかし灼眼の怪物はまったく微動だにすることなく、追撃とばかりに両肩の黒蛇を伸ばして動く。
「……後がつかえてんだ。さっさと終わらせてやる」
網目のように迫り来る黒い蛇達を容易く捌くと、オルクスの大剣はレヴァナントの首根をはねた。
「クソがッ、まだ不死の力を残してやがったか」
切り離されたはずの頭部は、真っ赤な輝きを放つ灼眼をいっそう煌めかせた。断面から滴る赤黒い液体が胴と首を繋ぐと、瞬く間に再生される。呻き声とともに、もはやヒトとは思えないほどの大きな口を開く。大蛇のように大きく裂けた異常な口元から、燃え盛る火炎を吐き出されたのであった。
《ーー素晴らしい成長だ。けれど、まだ完成とは言えないな……》
独り言のような男の声が、どこからか響いた。
声が聞こえたか途端、激しい炎は勢いを失くして消え去る。黒い刃を盾に怪物の炎に耐えていたオルクスは、生まれた一部の隙に再び剣を振り上げた。
《ーーバアル・ゼブル退きなさい。彼は我々の同士だ……》
再び声が聞こえるとオルクスは不機嫌そうに舌打ちを鳴らし、渋々と振り上げた大剣をおろした。
「クソッ……いいところで邪魔しやがって。終焉王ッ! これは貸しにしといてやるぞ」
「あれが……終焉王……? 回廊の悪魔が言っていた、邪教の王……」
聞き覚えのある名前にミナーヴァは反応する。彼女の言葉にその場に居合わせた皆の視線は、黒いローブの人物に集まるのであった。
◆
オルクスが不機嫌そうに叫ぶと、彼の背後には錆び付いた扉が浮かび上がっていた。気味の悪い音をたてて扉は開くと、暗闇の広がる中から黒いローブ姿人物が現れ出る。そしてまた不快な音をたてながら閉まると、不可思議な扉はすぐに消え去るのであった。
「あなたも良くやってくれました。ネストリアはもう充分でしょう、残念ながらバベルは魔導士達によって捕らえられてしまったようです。けれども、今回は彼の成長が何よりの成果と言えるでしょう」
黒いローブのフードを目深に被った人物はそう言うと、異形の怪物と化したレヴァナントに歩み寄る。
不用意に近づく黒いローブの人物に気がついた怪物は、敵意を抑えられないといった様に体から伸びる蛇達が一斉に牙を剥き出した。
「まだ本来の力には遠く及びませんね。彼をここに残して我々は去りましょうか、少しばかりは彼の成長の糧になる」
黒いローブの人物が片手で空をなぞると、再び奇妙な扉は浮かび上がる。
「それでは、ネストリアの皆さん。我々はこれで失礼させて頂きます」
「待てッ! 逃がすわけにはーー」
五賢人スルトは杖を握り締めると、黒炎の魔法を唱えた。その場に静止していた怪物は、その力に反応するように再び動く。黒い蛇達は全てスルトへと標的を変えるのであった。
「ーーその名を反逆者。彼の中に眠る偉大な力は、愚かな神々をも凌ぐ……」
黒いローブの人物は呟くと、開かれた扉の中へと消え去っていった。
「……こんなクソみたいな国、次は必ず滅ぼしてやる。クソジジイに首を洗って待っていろと伝えやがれ」
鎧の男オルクスも追いかけるように扉の中へと進んだ。
「待ちなさい、オルクス王子ッ! 何故、こんな行いをーー」
スルトの声は飛びかかる黒蛇に阻まれるのであった。
◆
「ミーネちゃん、道化師さん、こっちこっちっ! 早くっ、手を貸して」
スルトに襲いかかる黒蛇達に気をとられていたミナーヴァは、離れた場所から聞こえた声を探して辺りを見回した。
「あそこ! リーパーちゃんはあそこですよ」
先に気がついたキルビートは、城前橋から少し離れた方を指して叫んだ。2人の視線の先には怪しい光を放つ二本の死柱に、必死にしがみつくタナトスの姿があった。
すぐさま駆け寄る2人に、タナトスはいつになく慌てた様子で口を開いた。
「七死霊門を止めなきゃっ! レバさんは呪術の力でおかしくなってます。力の源を絶てばきっと元に戻るはずです」
必死で死柱を動かそうとするタナトス。しかし術士本人の意思とは逆に、呪術は一向に止まることはなかった。
「他に何か、レヴァナントを止める方法はないの!? このままじゃ、城の中の人達だって危ない……」
「僕も、スルトさんに加勢します……痛ッ……」
ミナーヴァもキルビートも先の回廊での戦いでの消耗は予想以上に激しかった。先程から何度も試みてはみたのだが、魔法を扱える体力はもう残ってはいなかった。
「そうだ! 朝ですっ、朝日を浴びれば私の呪術も、レバさんの不死の力も消えるはず」
「そんな朝日なんて……日のでまではまだ、かなりの時間がある……」
焦慮する3人の耳に激しい戦いの音が聞こえる。レヴァナントとスルトの闘いは激しさを増すばかりであった。
……
……
「……朝日か。それならば私が何とかしよう」
3人は一斉に声のする方を見る。そこには思いがけない人物が佇んでいた。




