Ep.54 逆賊の王子と怪物
溢れ落ちる微かな光に気がついて目を開いた。定まらない視点に広がる高い天井、辺りでは忙しない人々の声が聞こえる。
「……気がついたか、ミネルウァ術士」
聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
「ここは……、私は、そうだ、悪魔は……?」
上体を起き上がらせると全身に鋭く痛みが走る。たまらず手をついて呻き声が漏らすと、声の主は大きな手で私の背を優しく支えた。
「お前達の活躍のおかげで回廊の悪魔は捕らえることが出来た。ネストリアス王も無事だ、本当に良くやってくれた」
五賢人スルトは威厳のある険しい顔を緩めると頭を下げた。途端に言葉に出来ない安堵が胸にこみ上げる。
「よかった……王も無事なのですね。そうだ、キルビート……彼は……?」
ホッと撫で下ろした矢先に浮かんだ心配事に、答えるスルトは無言で促す。目配せされた方を見ると、タオルや包帯を配り忙しない走る優男の姿が映った。
「彼も気を失って運ばれたのだが、目を覚ました途端ああやって皆の手当ての手伝いをしてくれている。見かけによらずタフな男だ」
スルトの言葉に思わず笑みが溢れた、思い出したように顔を引き締めると頭を下げる。
「スルト様、先程の無礼をお許し下さい。緊急事態とはいえ、五賢人に魔法を向けてしまうなんて……」
「なに、気にするな。お前の魔法を避けたからこそ、彼の漂流物体で私はあの場まで引き寄せられたのだろう? あの状況でよくぞそこまで計算に入れたものだ、むしろ称賛すべき事であろう」
スルトは大きく頷くと「頭をあげよ」と私の肩に手をおいた。
「しかし、よくあの距離から私めがけて雷撃を放てたものだな。正確さも然ることながら、威力も申し分なかったぞ。界雷神のヤツも良い弟子を育て上げたな」
「近くにスルト様の生体電流を感知できたからこそです。城内に居られる事が前提の、半分は賭けのような策でした。それに彼の魔法があってこその結果ですよ」
忙しなく働くキルビートに目を配る、彼は怪我人達を楽しませるように芸を披露していた。つい先刻まで死闘を繰り広げていたとは思えないその姿に、ミナーヴァは呆れたように口もとを緩ませたのであった。
《ーースルト様ッ! 》
一人の兵士が五賢人スルトの前に駆け寄ってきた。屈強な体を強ばらせるように敬礼をとると、乱れる呼吸を抑えながら口を開いた。
「ーー報告致しますッ! 城前橋の広場に正体不明の怪物が暴れております」
「城前……敵か?」
「はい! 悪魔と思われる鎧の男と巨大な髑髏、それと……なんと言いましょうか……」
「なんだ、新手でもいるのか?」
兵士は不自然に言葉を濁らせた。スルトの問いを隣で聞いていたミナーヴァも、言い渋る兵士の言葉に表情を曇らせて見つめた。
「それが……言い表す事が難しいのです、この世のものとは思えないと言いましょうか……とにもかくにも、敵か味方かわからない化物が先に申し上げた2人と交戦している様でありまして」
なんとも歯切れの悪い表現で兵士は語る。
「それはきっと、タナトスの呪術でしょう。彼女の術は我々の予想を遥かに越えています」
五賢人スルトと兵士は理解が追い付かないといった様子でミナーヴァを見ていた。
「やはり……彼女は無事です。生体電流は脈々と流れている、そして彼は……」
ロザリオを揺らすミナーヴァは瞳を閉じると一人で頷いていた。手元に感じるタナトスの鼓動の知らせに安堵していたのだが、もう一人の仲間の安否は何度も探しても確信が持てない。
大ぶりなロザリオはレヴァナントの生体電流を探してあちこちと揺れる。しかし、指し示す方向から感じたものは彼のものとは到底思えない、禍々しいまったく別のナニカなのであった。
「これは……どうゆう事なの? レヴァナントの身に何かあった、スルト様ッ、私は2人を加勢します」
立ち上がろうとした瞬間、腰から下に力が入らないミナーヴァは体勢を崩した。それでも無理やりに起き上がると、城の出口を目指してフラフラと進む。
「待て、ミネルウァ術士!」
スルトの制止を無視して、よろけた足取りで走り出すのであった。
◆
刻々と広がる夜闇の中、悲鳴とも雄叫びとも異なるおぞましい声が広がる。城前から延びた橋の向こうで、怪しく光を放つ何かが見えた。
「ハァハァっ……何が起こっているの? タナトス、レヴァナント、二人とも無事でいて……」
息を切らして走るミナーヴァは、時折響く鈍い痛みに耐えながら進んでいた。橋の向こうに広がる闇のどこかで、衝突音のような激しい残響が聞こえる。軋む痛みを堪えながら長い橋を越えると、兵士の報告していた悪魔の姿をその視界に捉えたのであった。
鎧の男は何かと交戦しているように剣を振るっている、少しはなれた場所からは巨大な髑髏が跪くように待機していた。
「あれはタナトスの呪術の媒介……」
橋の入り口で深く突き刺さった二本の棒は、怪しい紫色の光を放っている。
《ーーおもしれぇッ、今度こそ破壊してやるよッ》
崩れ果てた建物の残骸の奥から、けたたましく響いた太い声。それと同時に何かが崩れるような破壊音が応えるように鳴り響く。
「いったい何が起こっているの……」
混乱するミナーヴァの視界に、怪しく佇む髑髏が映る。何かを掬い上げるようにひるがえした髑髏の手のひらから、黒い影のような何かが落ちる。2人の生体電流を探して、握り締めていたロザリオが動く。
「まさかっ、あれは、タナトス……?!」
「ーー漂流物体ッ!」
ミナーヴァの後方から光が瞬くと、粒子は集まるように頬を撫でて通り抜ける。
「これは……」
「なんとか、間に合った……リーパーちゃん、無事で良かった」
振り返るとそこには全身包帯まみれのキルビート、右手には黒い修道服の首根っこを掴まれた少女が揺れていたのであった。
「あれ? 私、飛び降りたはずなのに……あ、そっか!道化師さんが引き寄せてくれたんですねっ。ありがとうございます! あれ? ミーネちゃんもいる!」
キルビートが手を離すと地面に降りた少女は喜びを表すように満面の笑みを浮かべていた。安堵からその場に座り込むミナーヴァに駆け寄ると、少女は飛びついてきたのであった。
「無事に呪術解けたんですね! 良かったぁ、姉さんに邪魔されたから解除できてなかったか心配でした」
忙しなくはしゃぐタナトスの姿にしばらく固まるミナーヴァ、視線の先で安堵するキルビートもため息混じりに笑みを浮かべていた。ようやく状況を理解できたミナーヴァは、目の前の少女を強く抱き締めた。
「無事で良かった」
「ミーネちゃんも無事で良かったですっ。それより大変なんです、レバさんが……」
口ごもる彼女の姿に我に返ったミナーヴァは不安を思い出した。レヴァナントを指し示したはずのロザリオは行き先を迷うようにぐるぐると廻る。
「レヴァナントはどうしたのッ?!」
「バンシーくんは何処へ?」
二人の声が重なる、少女は激しい音が聞こえる暗闇の方へと指を差した。
「それがっ、レバさんが突然変になっちゃって、私捕まっちゃって……その後、私の七死霊門も吸収されたらしくて、とにかく大変で……」
理解が追い付かない二人は顔を見合わせたのであった。しばらく続く慌てた様子の彼女の説明は長々と続いたのであったが、「とにかく大変なんです!」という言葉しか理解できなかったのであった。
「と、とにかく、彼は何処にーー」
ーー来やがれ、レヴァナント……バンシィッ!
ミナーヴァの声と重なる様に再びけたたましい叫び声が聞こえると、土煙と突風が舞い上がった。身を寄せる三人のすぐ近くで、大剣を構えた鎧の男と黒い影が飛び出したのであった。
「レバさんっ!」
「あれが……レヴァナント?!」
鎧の男と共に現れた黒い影、触手のように伸びる黒い蛇が威嚇を放つように一斉に口を開く。
「本当に、あの怪物バンシーくんなのかい!?」
両肩から伸びる無数の蛇の頭、背中には翼を模した様に蛇が絡み付いている。ゆっくりとその顔をあげる怪物は真っ赤に燃え盛る焔のような2つの瞳を見開いた。
「ミーネちゃん、道化師さん。レバさんを止めなきゃ、手を貸して」
タナトスはミナーヴァから離れると怪しく光る二本の棒へと駆け出したのであった。
「待って……危ないーー」
駆け出したタナトスに気づいた蛇達が唸り声をあげた。途端に彼女を目掛けて伸びる。
「よそ見してんじゃねぇっ! てめぇはこの"悪魔の王バアル・ゼブル"が消してやるよッ!」
鎧の男の大剣は蛇の群れを斬り裂く。悲鳴のような鈍い鳴き声をあげたかと思うと、切り落とされた蛇は地面を這いずり鎧の男目掛けて蠢いた。
「上等だぁっ! 何度でも殺してやるよぉ」
鎧の男は狂喜染みた笑みを浮かべさけぶのであった。
◆
「これは一体……あれは、もしや」
橋の向こうから駆けつけた五賢人スルトは、眼前に広がる光景に言葉を失くした。
人の域を越えた死闘を繰り広げる蛇のような怪物と、身の丈よりも大きな大剣振り回す鎧の男。そんな激しい戦いの最中、スルトはその名を叫んだのであった。
「オルクス王子……!」
駆けつけたスルトの姿に気がついたミナーヴァは、彼の口から溢れたその名前に驚いた。
「まさか、あの鎧の男が、城を出たネストリアス王の息子……?」
逆賊の王子と正体不明の怪物がぶつかり合う姿を、ミナーヴァは言葉を失くして見つめていたのであった。