Ep.52 大事な妹
「両手はお前に預ける、俺が奴の動きを止めてやる」
両手を投げ出したままレヴァナントは走り出した。背後から伸びる七つ首の蛇頭が威嚇のように大きな口を開く、音のない叫び声は大気を揺らした。
「……"種"の使い方も知らねぇ雑魚が、弱点丸出しなんだよ」
鬼気迫る勢いのレヴァナントを鎧の男は不機嫌そうに一瞥をくれると、迎え撃つように構え直した。
「その種ってヤツの秘密も、お前を打ちのめしてから聞いてやるよッーー」
黒い蛇頭は大顎を開いて槍のごとく飛び掛かる。
紙一重で全てかわすオルクスは、がら空きの腹部を蹴りあげた。
「打ちのめす? その程度でほざくな」
激痛から僅かな呻き声を漏らす。
「痛ッ……俺だけなら無理かもな、だが今はタナトスの力もある」
突き刺さるオルクスの足に黒蛇が絡み付いた。
「知らねぇよ。雑魚が何しようが、関係ねぇな」
絡み付いた左足から刃が飛び出す。巻き付いた2つの蛇頭は瞬く間に裂けると掻き消された。不死身のはずのレヴァナントの胸に鈍い痛みが走る。
「"それ"は不死じゃねぇだろ? 種は強力な力だが、同時に最大の欠点だ。破壊されれば肉体も壊れる、こんな風になッ」
オルクスは両手を刃に変えると、追撃を狙う蛇頭の首を切り落とした。四つの頭が落ちるとレヴァナントは悶えるように呻いた。
「不死の源さえ切り落とせば、再生も間に合わねぇんだよ。終いだ悪逆無道ーー」
蛇頭は六つの頭をなくして消えた。余命のように揺れる一つ頭を、刃の嵐が迫るのであった。
◆
「それを待ってたぜ、お前に近づけさえすればいいんだよッ!」
血反吐を噛みしめるレヴァナントは顔をあげた。
勝ち誇っていたオルクスの表情が固まる。何かを察したように視線を落とすと、異変に気がついた。切り裂いたはずの足に絡み付いた蛇は、頭だけを残して大きな下顎が食い込ませている。
「クソがッ! 小細工を……」
「あとは任せたぜッ、最強呪術!」
ほんの一瞬の僅かな隙、白い手甲を着けたレヴァナントの手が伸びた。血塗られた重厚な胸甲に触れると、彼の顔は再び不気味な怨霊に変わった。
「『供物の割には良い働きであったぞ。あとは任せよ、繋縛手甲、禁縛』」
オルクスの身体から飛び出した刃は、たちまちに消えた。苦しそうに胸を抑えると膝から崩れ落ちる。
「ガハァッ……ぎ……ッ……」
呼吸もままならないオルクスの顔色は、みるみるうちに青ざめてゆく。
「『貴様の心臓が動くことを禁じた。我が禁縛は死ぬ迄解けぬ』」
「ッ……ぁっ……」
両手で苦しそうに首を抑えたまま、鎧の男は倒れた。息遣いが途絶えると辺りは静けさをとり戻したのであった。
「フゥー……なんとか、辛勝ってヤツだな」
「『何を言う、この程度の雑兵など敵ではない』」
右と左で違う顔をしたレヴァナントは独り言のように呟くと、踵を返した。空を覆っていた厚い雲はいつの間にか流れ、朧な明かりを覗かせている。月明かりが照らすネストリア城へ続く橋、そのすぐ近くに扉と並ぶタナトスが見える。
「……そうだ、まだアイツも残ってたな」
レヴァナントの視界に乳白色の巨体な髑髏が映る。アイテル・リーパー、一時はタナトスの味方をしたが、奴等が雇った呪士に違いわない。
「アンタはどうすんだ? 城を襲う気なら見過ごす訳にはいかないぜ」
レヴァナントの問い掛けに髑髏の掌に乗った彼女は微笑みを浮かべた。解せない表情を怪訝に見つめ返すと、アイテルは口を開いた。
「ずいぶんな余裕ね、もう勝ったつもりなのかしら?」
「……なんだと?」
アイテルが怪しく微笑む。彼女は指を指している促している、振り返るレヴァナントの視界に飛び掛かる鎧の男が映るのであった。
◆
大剣を拾い上げたオルクスは一瞬にして距離を詰めると、即座に振り抜いた。反応の遅れたレヴァナントは回避も防御もできないまま、黒い刃を浴びる。
「さっき言ったろう? 種持ちの弱点は心臓じゃねえ……なんせ不死身だからな」
黒色の一太刀はレヴァナントと残された最後の蛇頭の首を跳ねる。同時に扉が閉まる音が聞こえた、七死霊門の効力が切れたのだとすぐに理解した。
はね上がった頭は宙空を舞う、まだ少し意識が残っていた。
……タナトスが必死で何か叫んでる、聞こえないな
意識が遠くなるのがわかる。廻るように流れる景色に抗うことも出来ない、ずっと失くしていた死がすぐ側まで来ていた。
……奴は次にタナトスを襲うかもしれない。いや、きっとアイテルが守ってくれるはず。彼女は"大事な妹"と言っていた
天地が逆転したこの景色は、ほんの僅かな時間なはずなのにとても長く感じる。地面に落ちるまでの時間が永遠のように長い、これはいつまで続くのだろうか。
……大事な妹か……結局、もう一度会うことも叶わなかったな。こんなことなら不死身のままでも会いに行けば良かった
視界が真っ暗に切り替わる。地面に落ちたのか、意識が途切れたのかわからない。暗闇の先に浮かぶのは過去の面影、最後に別れた頃の幼いままの少女は愛らしい笑みを浮かべていた。
……レイス、たった一人の俺の家族、大切な妹
思い出の中の少女の顔が泣き顔に変わる。枯れ果てていた感情が汲み上げ、生への執着が溢れて止まない。まだ死ねない、死にたくないのだ。
【ーー生が産み出す苦しみを、お前に与えてやろう……】
またあの声が聞こえた瞬間、俺の意識はそこで途絶えた。
◆
「レバさんっ!」
はね上がったレヴァナントの首、不安そうな表情で見つめるタナトスは必死に名前を叫んでいた。
「これが不死者の死だ。貴重な体験だろう、なぁレヴァナント・バンシー?」
オルクスは大剣の血糊を払うように振るうと、上機嫌に高笑いをあげる。首を失くした身体はグラグラと痙攣しながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……終わりね。さぁ、タナトス、あなたはこっちへ来なさい」
髑髏の手を動かすと、アイテルは嫌がる彼女を掴む。それぞれの視線が首無しのレヴァナントから外れた刹那、地鳴りのような声が響くのであった。
ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……
「……レバさん……?」
タナトスの声に促されるように、視線が再び集まる。首から噴き出す鮮血はどす黒く変わり、辺りに広がってゆく。
「なんだ……これは……?」
異変に気がついたオルクスは大剣を構え、アイテルは巨大な髑髏を僅かに後退させた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
溢れ出るナニカはレヴァナントの身体を包み込むと、たちまちに膨れ上がる。人外の身体を型どって変わるその姿は、邪教の使う術と似ていた。
「まさか、転生変換術だと……有り得ない、何故お前が使える」
再び湧いた厚い雲は月明かりを隠す。
形成されたおぞましい姿は夜の闇に溶け込んで隠れた、異形の全身から溢れだした狂気だけが辺りを包むのであった。
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