Ep.47 一つの決着
激しく破壊された回廊で片膝をついたミナーヴァは息を切らしていた。苦しそうに肩で息を切る彼女は、小馬鹿にしたような高笑いをする悪魔バベルを睨らむのであった。
視界の端に瓦礫の中から這い出たキルビートが、激しく咳き込んでいるのが見える。彼の魔法もとっくに切れており、普段の通り優男の姿に戻っていた。
すでに相当な傷を負った2人は、無傷の悪魔に絶望を覚えていた。
苦しそうな2人を嘲笑うように、バベルは使い魔を次々と産み出してゆく。僅かな時間の間に回廊を埋め尽くす程、奇形の怪物達は犇めきあっていた。
「この城を落とすのもこれくらいで充分でしょう。おや? すっかり息があがっていますね。あなたも某の一部になれば、すぐ楽になれますよ」
回廊に蠢く不気味な怪物達を従え、バベルは狼狽するミナーヴァに近付いてくる。傷付いた身体を必死に動かそうとする彼女であったが、二度にわたる爆発の直撃と度重なる魔法の乱発によりとうに限界を超えていたのであった。
「あんな怪物ども……痛ッ……城内に、放たせてはいけない……」
よろめきながら立ち上がると、震える両手で握りしめる十字架を向けた。視界を遮るように掛かっている金色の長い髪をそのままに、痙攣する身体を必死で奮い起たせる。
「可哀相に、楽にして差し上げましょう……」
禍々しい鎧を纏う悪魔が手を伸ばした。
「ーーその人に触るなッ!」
旋風が怪物の群れを縫って回廊を駆け抜けた。
硬そうな茶けた体毛を逆立てる獣は、憔悴したミナーヴァを掴むと悪魔達から距離を取る。
◆
再び半獣に姿を変えたキルビートの身体も、瓦礫の破片が幾つも突き刺さっていた。渾身の脚力でミナーヴァを助けた彼も、とっくに限界を迎えている。
「このままじゃあ、2人とも殺られてしまいます……悔しいですが、今は退きましょう」
「いいえ。悪魔をこのままにしておけば、王が、民が危ない。私達でなんとかしなければ……」
ミナーヴァは言葉を詰まらせると咳き込んだ、口元をおさえた右手からドロリとした朱が落ちる。
「そんな、僕らだけではとても……」
「わかっています、けれども今は私達しかいない。どんな絶望的な状況であろうと、圧倒的不利な強敵であろうと、今この場で対峙しているのは私達なのです。そして今ネストリア城を襲う脅威を止められるのは私達だけ、変えられるのは私達だけなのですッ……」
ほどけた髪を震える両手でまとめあげる、右手についた鮮血が結わいた金色の髪の一部を染めた。
「それに、"あの2人"ならば、この程度の敵には絶対に屈しない。私も……私だって……2人のように。……いいえ、私は諦めない絶対に……ッ!」
ミナーヴァの瞳に強い光が戻る、それでもボロボロの身体は意識と反対に激しく痙攣していたのであった。
「……確かに……そうですね。バンシーくんとリーパーちゃんならば、仲間を見捨てるなんて絶対にしない。今度は僕も護る側にならなくては……!」
半獣キルビートは大きく吠えていた、月を隠した暗い夜空に遠吠えのような鳴き声がこだまする。
「一度だけです。一度だけなら、私達にも勝機があります……力を貸してください。あなたの魔法で引き寄せて欲しいモノがある」
荒い呼吸を抑えてキルビートに耳打ちすると、2人は互いを見つめると確認するように大きく頷いたのであった。
◆
「おやおや、逃げなかったのですか。せっかくのチャンスを無駄にするとは、まあ某は逃がすつもりはありませんがね」
下卑た笑い声を漏らしながら、奇怪な怪物を引き連れた悪魔は向かってくる。すでに数体の怪物は城内へ向かってゆく姿が見えたが、別の国選魔導士に任せる他ない。目の前の親玉を潰さなければ、怪物は無尽蔵に沸いて出る事を2人は理解していたのであった。
「さぁ、あなたたちも"部品"にーー」
「ーーキルビートッ! 今ですッ!」
バベルが口を開き再び動き出した瞬間、ミナーヴァは叫んだ。
彼女の後ろに立つキルビートは両手を突きだすと、魔法を唱える。
「漂流物体!」
暗がりの庭園に瞬く光の粒が浮かびあがると、粒は波をおこすように広がっていった。みるみる内に波状のナニカは2人の周囲を囲っていった。
「なんの真似です? そんな子供だましが……」
余裕を見せる悪魔は口調とは裏腹に、2人の行動を興味本位に眺めていた。圧倒的な実力差がバベルにこの選択を選ばせることを、ミナーヴァは予想していた。
「もっとです、もっとッ! 集めるだけもっとッーー」
ミナーヴァは首飾りの十字架を握りしめる。光の粒が彼女の周囲を旋回すると、少しずつ辺りに雷鳴のような音が響いた。
「これは、一体なにをーー」
ミナーヴァの周囲は激しく吹き荒れる風に巻き上げられた光が集まっていた、隙間を縫うように稲光が走る。
「確かにあなたの術は強い、私の魔法ではその何十万と言う鎧には届かない。けれど、大気中に浮遊する粒子を集めたこの刃なら必ず届くッ! 」
稲光は集まる光の粒子を取り込んで大きくうねる。
「ーー暴雷鳴旋回ッ!」
雷鳴が轟く、螺旋状の雷は数百の槍となり悪魔と怪物を呑み込んだのであった。
◆
時間にして僅か数秒の内だった。回廊から横に伸びた中庭は昼間のように照らされ、太陽が天地と共に逆転したかのように瞬いた。
「……ハァ、ハァッ……」
持てる全ての信仰力、魔法を操る力を絞り出したミナーヴァは苦しそうに倒れていたのであった。激しい嵐にみまわれたように、ネストリア城回廊の庭にはポッカリと空虚が現れていた。
「ーー素晴らしい力だ。まさか某の使い魔を全て蹴散らし、この肉塊鎧にまで傷をつけるとは」
一角の兜が燃えカスのように崩れた。土煙を切り裂いて、崩れた空間に鎧の擦れる音が響く。
「だがやはりと言って良いものか。力が足りなかった様ですね」
芝居染みた様に鎧男は両手を上げていた、憐れむような声が聞こえる。
「ハァッハァ……、ハァ……」
「消耗した肉体はあなたを取り込めば充分にお釣りが来る。今度こそ、その肉体を捧げなさいーー」
バベルは言葉を止めていた、苦しそうな倒れる金髪の魔導士の僅かな変化を見逃さなかったのだ。荒い呼吸を続ける彼女の口元は確かに笑っていた。
「……ハァッ、ハァ、……正直、ここ、まで上手く行くなんて、期待以上でし、た。あとでキチンと礼を言いますね」
ミナーヴァの呟きを怪訝そうに聞いていた悪魔は違和感を感じた。彼女の放った閃光の後、今も月を隠した夜空は暗い。しかし今、灯りもない中庭で何故彼女の表情が見えるのか?疑問が疑念に変わった時それに気がついたのであった。
「まさか……これは」
《ーーそのまさかだ。我等を、国選魔導士を舐めるなよ! 》
漆黒に思えた夜空は赤黒い炎で照らされる、倒れかけたキルビートの肩に腕を回した1人の男は松明のように燃え盛る杖を掲げていた。
「彼の魔法でこの場に引き寄せられた。この2人の策に貴様は破れたのだッ! 」
黒炎を纏う杖は大剣と変わると、驚愕するバベルを襲う。
「お待ちしておりました……スルト様……」
安心したように目を閉じたミナーヴァの途切れかけた意識に、五賢人スルトの「よくやった」という一声が届いたのであった。
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