Ep.4 ブルーアワー
ここ数日続いた干ばつにより乾いた山の岩肌に隠れるレヴァナントは、遠くに輝いて揺れる灯りを注意深く見つめていた。
「あれがヤツらの野営か……」
夜の静寂を裂く話し声が遠くで聞こえる。野盗達の拠点を前にして、彼は先程の会話を思いだしていた。
◆
--数時間前……
「まずは、これを飲んでください! そして、野盗さん達の基地に行ってください。そしたら私の呪術で一発です」
荷物から何やら赤黒い液体の入った小瓶を取り出すと、彼女は差し出してきた。
「い、いや、訳がわからない……それを飲んで何で野盗が倒せるんだよ……」
あからさまな不快感を見せるレヴァナントは身を引いた。
「絶対、懲らしめられます! 私の七死霊門は印をつけた命を捧げれば必ず命を吸いとります。レバさんがこれを飲んで敵地で死ねば、私の呪術は発動するんです!」
彼女の勢いに押されて渋々に謎の液体に手を伸ばす。いかにも毒々しいそれをひきつった顔で見つめるレヴァナントに、彼女は無理やり飲ませるのであった。
「ーーまっず……」
口一杯に広がる苦味とぬるぬるとした舌触り。不快に歪むレヴァナントは嗚咽のような声をあげていた。
「何なんだよコレ……気持ち悪いな……」
苦々しい顔で彼女に尋ねる。
「私の血と体液です。これで印は付きました!」
ニコニコと彼女は返した。
「オォェェェ………」
込み上げる不快感に戻しかけたのであった。
(……マジでコイツ、イカれてやがる)
◆
(おかしなヤツだが、わざわざ死地に乗り込ませる訳には行かないよな……)
思い出した気持ちの悪い味に再び嗚咽をあげると、気を取り直して野営を見据えた。
「さて……どうやって散らすか」
広大な敷地に幾つものテントが張られていた。四方を囲むように簡易な囲いで守られ、矢倉と思われる高台には狙撃兵が目を光らせている。
「裏手から火を点けて注意を引くか……」
ふっと空を見上げる。闇夜はいつの間にか白く、深い藍色に変わりつつある。
「何にしても時間がない、無理のできる夜の内にヤツラを彼処から引き離す」
彼の狙いは野盗の注意を引く事。少なくともヤツラが拠点から居なくなれば上出来なのだ。拠点の空いた間に火でも放ってしまえば、彼女も納得するだろう。
(矢倉の死角になる場所は……)
ブツブツと独り言を漏らしながら野営を注意深く眺める。額にジワリと汗が滲む。
『レーーバ、さーーんッ!』
『準備オッケーーですーーッ!』
突飛な大声に思わず耳を疑った。野営の入り口付近に彼女が仁王立ちに叫んでいたのだ。
「はぁッ?! アイツなにやって……」
慌てるレヴァナントの視線が野営地に戻ると、すでに数人の男達が野営の入り口の方向から聞こえた声に気づいて動き出していた。
『いつでもぉ、いいですよぉーッ!』
ダメ押しの一声で野盗達の意識は、完全に侵入者に向いていたのであった。
「クッソッ、アイツ本当にイカれてやがる」
勢い良く崖を降りる。先程までの緻密さはみじんも感じられず、レヴァナントはただ叫び声をあげて野営に近づいていた。
野盗達も別方向から聞こえだした声に警戒を強め、一斉に武器を構えた。
(……せめて入り口だけには、アイツの方へは向かわせないッ! )
松明を倒しながら武器を拾い上げ、野盗の巣窟に走り込んだ。
「ーーおいッ侵入者だッ!」
たちまち囲まれたレヴァナントは傷を受けながらも、野盗を葬ってゆく。
「俺はこっちだッ」
額に流れたのは、いつの間にか汗から血に変わっていた。数十人の野盗に囲まれた。じり貧の攻防は少しずつ制圧され、やがて一人の野盗の刃が胴を貫いた。
(クソッ……いくら死んでもキリがねぇッ )
後ろからの被弾、頭部を貫ぬかれた。
(せめて、今のうちに逃げてくれよ…… )
手投げ斧が首に食い込む。口の中に血の味が広がる。
異常な生命力を見せるレヴァナントに野盗達は一瞬たじろいだが、攻撃の手を緩めることはなかった。執拗に続けられる銃撃と斬撃で辺りは赤く染まってゆく。
夜はさらに藍色が深くなってきている。もう時間も残り僅かだった。
滲み出るように、徐々に広がる感情。何もかも諦めかけた時、それはやって来た……
突然、野盗達からざわめく声があがる。
「ーー何だ、この嫌な音は!?」
突如として耳障りな不快な音が辺りに響きわたる。同時に野盗達は動きを止めていた。
「ーー何処から鳴ってる?! 取り乱すな探せ!」
悲鳴にも絶叫にも似た、不快な金切り声が辺りを包みこむ。聴覚を引き裂くかのような激しい音は、次第に近づいてくる。
『レバさーんッ、もう大丈夫でーす!』
『戻ってきてくださーいッ!』
遠くで手を振るタナトスの姿が見える。レヴァナントは勢いのまま走り出した、流れる景色の中で野盗達の姿が映っては流れてゆく。
音に気をとられていた野盗達は、次々に苦しみと恐怖の表情を見せている。
現状を把握できないレヴァナントに、悲鳴をあげる一人の野盗が目にとまる。野盗の身体はたちまち裂け、血飛沫が舞い上がった。
おぞましい惨劇に訳もわからず、彼はタナトスの声のする方へと必死に駆けぬける。
野営の囲い門入り口。済ましたような自信の浮かぶ顔で、タナトスが立っていた。
此方に気がつくと手を振ってなにか叫んでいるように見えたが、そんな彼女よりも先に目を引いたモノに気をとられた。
高さ数十メートルを越えるであろう、この世のモノとは思えない巨大な鉄格子の両開き扉が聳え立っていたのだ。
良く見れば扉の両端に彼女が抱えていた長い棒のようなモノが地面に突き刺さっている。開かれた扉から伸びる赤黒い大きな腕が、野盗達を瞬く間に引き裂いてゆくのである。
「ーーウワァァァァアッ」
「ーーバケモノだぁぁぁぁッ」
鋭利な爪が一閃と動く度、野盗達の悲鳴が聞こえてくる。
十本以上の不気味な手は触手のように蠢き、捕まえた人間を引きちぎっては次の獲物を狙う。
巨大な爪で引き裂かれる裂傷音が金切り声と混じりあい、更なる不快感を増していた。
立ち上る生々しい血の匂いと土煙で、視界はますます悪くなる。
まるで地獄のような光景に、彼女の横に立つレヴァナントは少しも動けなかった。
「これが七死霊門。裂傷門の破壊力です! 全員ボッコボコですね」
拳で空を切るタナトスは嬉々とした様子でいた。
「こ、これがお前の言ってた……呪術なのか?」
これまで幾つもの戦場を経験したレヴァナントであったが、ここまで残忍な殺戮は見たことがない。底知れぬ恐怖の怪物に、ただ足が震えた。
◆
「あれ……? なんだか静かになりましたね」
気づけば騒がしかった悲鳴が途絶えていた。圧倒的破壊者を前に生き残った野盗達は物陰に隠れ、逃げだす隙を伺っているようである。
タナトスは首をかしげると、手を叩いて頷く。
「よし、【サケルくん】突撃しましょう」
巨大な扉が完全に開く。
今度は中からどす黒い、大きな足が伸びてでた。
「……なんだあのバケモノ」
目の前で次々起こる奇怪な現実に、レヴァナントの思考は完全に停止しかけていた。
門から現れた巨大な怪物は先刻同様、金切り声をあげながら野営に歩みだした。
身体を覆う表皮はただれ、赤黒い血を纏う巨人。頭にはおぞましい口だけが大きく開く。背面から伸びる数本の長い腕が、異形の禍々しさを余計に増幅させている。
「おい……あれは、一体なんなんだ……?」
視線が怪物から離れない、彼女はまだ無邪気な顔で騒いでいる。
「七死霊門は印を付けた命の捧げ方で種類が変わります、あれは裂傷門。斬死、銃死で捧げた命ではこの門が開きます。中から出てきたあの子は好血の魔神、【サケルくん】です。私が名付けました、名前がないのは可哀想ですしね!」
タナトスはウキウキと身体を動かして騒がしい。
「俺の、さっきの俺の死から生まれたのか……?」
「そうです! リーパーの呪術は規格外ですから」
自慢気に胸を張る彼女に、レヴァナントは蒼ざめた表情で怪物を見据えているのであった。
野盗達の恐怖に駆られた叫び声だけが、夜明け前の荒野に響き渡っていた……
◆
それから、数十分後……
あれから野営では声一つあがっていない。
「おい、アイツはいつまで消えないんだ?」
蒼い顔のレヴァナントは野営でいまだ暴れまわる【サケルくん】を指差して彼女に尋ねた。
「……はい、それが。わたしもまだまだ未熟者でして。出すのは上手く出来ても、しまいかたは苦手なんですよね」
照れるように笑うタナトス。眼前の怪物はすべての野盗を虐殺した後、飽きたらないといった様子で死体を引き裂き続けている。
「あ! でも、もう少しで消えると思います」
ほらっと、彼女は遠くに見える山を指さす。気がつくと空は鮮やかな蒼が広がっていた、山の影から一筋の朝日が辺りを照らし始める。
「金切り声が消えた……?」
朝日に照らされた野営は昨夜の惨劇をまざまざと白昼にさらした。同時に耳を裂いた不快な音は止み、【サケルくん】と呼ばれる怪物も消えていたのであった。
「わたしの呪術もレバさんの不死身と同じ。日の落ちてる間しか使えないんですよ」
朝焼けのオレンジ色に顔を染めた彼女は、困ったように笑っていた。