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Ep.186 再生


「う、ううん……」


 深い眠りの底で、少女はもがいた。身体を揺すられる感覚に、意識が浮上しようとする。寝苦しさに眉をひそめ、重い瞼の奥でまどろんでいた。


『……、いいかげん起きろ』


 耳元で、聞き覚えのない声が囁いた。その声は、なぜか身体の奥底まで響き渡り、無視できない強い力を持っていた。


『……、起きろ、今度は汝の番だ』


「もう……、まだ、寝ていたいよぉ……」


 声に抗うように、無意識に片手を振る。空を切った手が、ふわりと柔らかな何かに触れ、そこで止まった。その柔らかな感触に、微かな違和感が脳裏をよぎる。


『汝の番である。今が現し世に戻る機会だ』


 再び響く声に、少女の意識は急速に覚醒していく。


「え……。あれ、私、こんなところで寝てたの……?」


 ゆっくりと身体を起こすと、視界に広がっていたのは漆黒の闇だけだった。これまで見たこともない光景に、少女は戸惑いを隠せず、小さく首を傾げた。心臓の音が、ドクドクと不規則に脈打つ。


『汝には礼を言わねばならぬな、暗い世界ではあったが、実に彩りの溢れたものであった』


 闇の中から、声の主がゆっくりと姿を現した。それは、目隠しをした幼い少女の姿をしていた。その存在は、どこか現実離れしていて、幽玄な雰囲気を纏っていた。


「あなた、ひょっとして、九死霊門?」


 思わず口から出た言葉だった。しかし、少女の姿は、まるで霧のように淡く揺らぎ、次の瞬間には音もなく消え失せた。


『それは術式の名だ。まったくあの男同様、揃いもそろって同じような事を言う奴らだな』


 声だけが、また響いては消え、そしてすぐにまた聞こえてきた。その声は、どこか呆れたような、しかし微かに愉快そうな響きを帯びていた。


『まあ、それでも妾に世界を見せてくれたのは汝が初めてだな。かくも異質な継承者よ』


「???」


 言っている意味が全く理解できない。少女はわざとらしく、大きく首を傾げて見せた。その仕草は、幼い子供が無邪気に疑問を呈するようだった。


『……まあ、良い。土産は身体に残しておいた、使い方は汝に任せよう』


 最後の言葉が響き渡ると、少女の身体に、これまで感じたことのない奇妙な感覚が宿った。それは、まるで新しい力が目覚めたかのような、漠然とした予感だった。



 タナトスは深い闇の中、ゆっくりと意識を取り戻した。周囲を見渡すが、視界を埋め尽くすのはただ漆黒の闇だけだ。まるで深海の底にいるような静寂が、彼女の耳の奥で響いていた。


「気がついた?」


 すぐ側から、優しい声が聞こえた。その声は、遠い記憶の底に響く懐かしさと、つい最近、絶望の淵から彼女を救い出してくれた温かさを併せ持っていた。心が震え、自然と口から言葉がこぼれる。


「お母さん?」


 ゆっくりと顔を上げると、そこには彼女が心の中でずっと描き続けていた母、ユクスの姿があった。ユクスは変わらない優しい微笑みを浮かべ、まるで何かを指し示すかのように、静かに片手を差し伸べている。


「タナトス。あなたはまだやることが残ってるわ。出口は教えてあげる、あなたを待ってる人たちがいるからね」


 ユクスが指し示した先には、巨大な扉が一つ、静かに佇んでいた。重厚な木目と、荘厳な装飾が施されたその扉は、この暗闇の中で唯一、別世界への入り口を示しているようだった。


「お母さん、あの扉が……」


 タナトスが振り返ると、そこに母の姿はもうなかった。代わりに彼女の視界に飛び込んできたのは、扉の横に立つ、一つの人影だった。そのシルエットは、見慣れた、しかし今はもう会えないはずの人物のものと重なる。


「よう。なんか、久しぶりだな」


 その声は、懐かしくも暖かく、そして少しばかり照れくさそうに響いた。タナトスは声に導かれるように、その人物へと一歩一歩進んでいく。


「案外、元気そうだな?その様子なら大丈夫そうだ」


 声はいつもと変わらない、どこかぶっきらぼうでありながらも、聞く者を安心させるような響きを持っていた。胸の中にこみ上げてくる感情は、喜び、安堵、そして少しの切なさ。自分でもそれが何なのか、うまく言葉にできなかった。


 それでも、タナトスは彼の名を呼ばずにはいられなかった。


「――レバさん!」


代わりのない容姿のレヴァナントに、タナトスは勢いよく飛びついた。レヴァナントは一瞬、迷惑そうな顔を見せたものの、その瞳の奥にはどこか嬉しそうな光が宿っていた。彼はまた口を開く。


「ずっと言えてなかった。タナトス、お前に感謝してる、ありがとう。レイスを、俺たちを救ってくれて。お前はやっぱりすげぇヤツだよ」


レヴァナントは優しくタナトスの身体を支える。彼の胸に顔を埋めたタナトスは、言葉にならない嗚咽を漏らしていた。


「レバさん、私、うまくやれなかったみたいだけど、レイスちゃんは無事だったんだね。よかった、本当に良かった……」


「ああ、俺もうまくやれてない。半端者の俺たちだが、どうやらギリギリで未来は繋がってる。そしてこれからもな」


 タナトスが顔を上げると、レヴァナントは不器用に、しかし確かに優しい笑みを浮かべていた。その調子の外れた表情に、タナトスは思わず笑みがこぼれてしまう。涙で濡れた頬に、新たな光が灯ったようだった。


「笑うなよ……、まったくお前は変わらねぇな」


「うん……、レバさんも変わらないよ。どうしてここにいるのかわからないけど、私は、また会えて嬉しいよ」


 その言葉と同時に、重厚な扉がゆっくりと開き始めた。


「まあ、それには色々事情があるんだけどな……」


 暖かな光が、闇の中に一筋の道を延ばしていく。それはまるで、タナトスを迎え入れるかのように。


「タナトス、最後はやっぱりお前に頼らないとダメみたいだ。だから……、頼んだぞ。みんなの願いを繋いで、あの扉を閉じてこい」


 光の粒が伸びると共に、レヴァナントの身体の感触が徐々に薄れていく。離すまいと掴んでいた彼の腕は、まるで光子の欠片のように霞んでいった。彼の存在が、優しく、しかし確実に闇の中へと溶けていく。


「……うん。わかった、わかったよ」


 タナトスは顔を上げず、言葉を絞り出すように言った。その声は震えていたが、確かな決意を宿していた。


「わかったから……、これが終わったら、全部終わったら、また、二人で色んな場所へ旅に行こうね」


「……ああ。約束する」


 レヴァナントの言葉が、光と共にタナトスの心に深く刻み込まれた。光が全てを包み込み、扉はいつの間にか完全に開かれていた。


「約束だよ……。レヴァさん……」


 意識は光の中へ飲み込まれる。



◆◆


「形勢は悪い、西軍に後退を!」


 額の血を拭いながら、ミナーヴァは必死に叫んでいた。突如として現れた不死の軍勢は、圧倒的な力で連合軍を襲い、戦場は混乱の極みにあった。爆炎と硝煙が視界を遮り、悲鳴がこだまする。


「……、う……ん」


 触れていた身体から、微かな振動が伝わってきた。ミナーヴァの視線が、その青い髪の少女の顔に注がれたとき、奇跡は起こったのだ。


「うそ……、あなた、」


「う……ん……、おはよう、ミーネちゃん」


 ゆっくりと立ち上がった青髪の少女は、静かに赤い瞳を開き、周囲を見渡した。爆炎と硝煙、そして戦場の悲鳴が、彼女の耳の奥に届く。ミナーヴァの隣で、ステラが強い瞳で彼女を見つめていた。


「タナトスちゃん、おかえり」


 ステラの声が、戦場の喧騒の中に確かに響いた。タナトスは小さく微笑む。


「ステラちゃん、ただいま。髪止めあるかな?」


 ステラは、細い編み紐を懐から取り出して渡した。タナトスはそれを受け取ると、両手で器用に髪をまとめ上げていく。その指先の動きは、かつてのしなやかさを取り戻していた。


「よし……。後は、私がやるよ。レヴァさんに任されたからね」


 立ち上がる彼女の身体を、黒い修道服が揺れる。その全身から、見たこともないような、しかし確かな光明が溢れ出し、周囲の闇を払うように全てを包み込んでいく。その光は、絶望に打ちひしがれた兵士たちの顔を照らし、希望の光を灯すようだった。


「いくよ、七死霊門(セブンホーンテッド)|!」


 タナトスは両手に短剣を構え、力強く叫んだ。その声は、戦場全体に響き渡り、新たな戦いの幕開けを告げていた。



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