Ep.19 黒装束と首無し事件
「初めは些細な出来事から始まりました。この港街アマルフのあちこちで、怪しげな装束の集団を見かけたと言う声が民間警備隊に多数寄せられたのです」
イスカリオ牧師は深刻そうに視線を落として続けた。
「その集団はこの街の至るところで、何かの集会を開いている様でした。初めのうちは新興宗教の一種だろうと街の人々はそれほど気にも止めてなかったと思います。しかし、ある一つの【事件】を境に彼等を邪教と呼んで恐れるようになったのです」
牧師の声色を下げると、隣で聞いていたミナーヴァの表情も少し曇った様に見えた。
「どんな事件なんですか?」
タナトスだけは楽しそうに目を輝かせている。
「えぇ……それが……」
牧師は僅かに躊躇いを見せた後、その【事件】について語り始めるのであった。
◆
港町アマルフの片隅。住宅街を抜けた先に小さな牧場があった。牧場の主は老夫婦で、住み込みの従者であるメイソンという男の三人で営んでいた。
子供の居ない老夫婦にとってこのメイソンは只の従者ではなく、本当の家族のような存在だったという。
ささやかな平穏が続くある日、それは突然に訪れた。
その日は朝から牧場の家畜達が荒れていた。不思議に思った老夫婦は、何か変わった事はなかったかとメイソンに尋ねた。メイソンも考えたが昼間の作業中、巷で噂の黒い装束の集団を見かけた事位しか思い当たらない。
結局、牧場の周りに野獣でも現れたのだと疑うしかなかった。
ーー今夜は私が寝ずに牧場の周りを見回ります!
老夫婦はメイソンの言葉を信じて、その晩は彼に任せる事にした。
翌朝、妙に静かな朝に老夫婦は首を傾げて家を出た。いつもなら家畜の鳴き声が聞こえてくるはずの牧場は、不気味なほどに静まりかえっている。
牧舎に入った瞬間、家畜の匂いとは違う噎せ返るような異臭が老夫婦の鼻をつく。老夫婦の不安は一層に高まり、慌てて中を覗き込むとメイソンが1人立っていた。
ーーメ、メイソン、一体何があったんだ……
老父が恐る恐る声を掛け踏み込んだ、メイソンは振り返ると血走った瞳で2人を見て答えた。
ーー野獣が現れて家畜が少し殺られてしまいました。
老夫婦の視界に血塗れの牧舎が映る、無惨に転がる家畜の死骸に老婦が小さな悲鳴をあげた。メイソンは微動だにせず、ただ凄惨な牧舎を眺めている。
野獣に襲われたという割に牧舎の中は荒れていない、しかし転がる家畜の亡骸は頭部だけ千切られて無くなっていた。
ーー死骸は私が片付けておきます。
メイソンは淡々とした口調で告げると、驚きとショックで動けない老夫婦を家に帰るよう促した。彼は首の無い死骸を担ぐと近くの森へと運んで行った。そのまま彼は姿を消したのであった……
老夫婦は突然居なくなったメイソンを探した。彼の行きそうな場所を探してみたり、街の警備隊に捜索願いを出したりもしたが一向に足取りは掴めなかった。
彼の失踪から一週間ほど経った頃、街でも不可解な失踪事件が続いていた。夜な夜な消える人々に警備隊も警戒を強めたのだが、決定的な真相は掴めなかった。しかし、一人の目撃者の証言により事件は不気味な展開を見せた。
『黒装束の集団が人を拐っているのを見た。奴等は拐った人を森に連れ込んでは、首を跳ねて殺している。その中に居なくなったメイソンがいた』
それからというもの街の人々は黒装束の集団を一層に警戒し、彼等を邪教と呼んで恐れるようになったのだった……
◆
……それで街の連中はタナトスの事を警戒していたワケか。
隣で座る黒い修道服のタナトスをチラリと見て納得した様に溜め息をつくと、レヴァナントは怪訝な表情で尋ねる。
「その集団は捕まったのか?」
牧師は無言で顔を落として首を振っていた。黒装束の集団を恐れる街の人々は必要以上に警戒を払っているのだと牧師は続けた。
「そういった理由から私の勘違いで、お二人にはご迷惑を掛けてしまいました。お詫びと言ってはなんですが、今晩は私がお二人の宿を手配させて頂きます」
静かに牧師の話を聴いていたミナーヴァは、立ち上がると2人に頭を下げる。タナトスは小さく「やった」と喜びの声をあげていた。
「それにしても、お二人は何故この街を訪れたのですか? 見たところこの国の装いでは無いようですし……」
イスカリオ牧師の尋ねる声に、タナトスは嬉々として立ち上がった。
「私の修行と、レバさんは不死……
「コイツを故郷まで送る旅をしてるんだッ! 」
タナトスの声を遮るように、レヴァナントも立ち上がって叫んだ。すぐに片手で彼女の頭を抑えて座らせると後ろを向き、片眉を上げて小さく呟いた。
「……不用意に話すな」
タナトスは不満そうに口を尖らせる。牧師の不思議そうに眺める視線に気がつくと、振り返ったレヴァナントはすぐに明るく濁したのであった。
「まぁ、初めて来た国で何かと不便もある事でしょう。今日はもう遅い、良ければ明日またこの教会に入らして下さい。洗礼を受ければ神々もきっと貴殿方を導いてくれるでしょう」
牧師の優しい微笑みに頭を下げると、ミナーヴァの案内で2人は教会を後にした。
◆
外へ出ると太陽はすっかり沈み、教会の周りは静かに揺れる街灯でオレンジ色に染まっていた。
ミナーヴァの案内で街の商業区域まで進むと、辺りは夜を忘れたように賑わっている。きらびやかな屋台に目移りするタナトス。今度はしっかりと白いローブで身を包んでいるおかげか、街の人々の目からは昼間感じた敵意はまるでなかった。
ーーそこのお三方!食事はいかがですか?
屋台の主人達が進む毎に声を掛けて呼び込む。苦笑いで断るレヴァナントは、行き交う人々の賑わいに面食らっていたのであった。
「あそこに見えるのが私が寝泊まりしている宿です。空き部屋があるか確認してみましょう」
ミナーヴァは背の高いレンガ造りの建物を指差した。2人は言われるがまま、彼女について行く。
「ところで、さっきアンタが言ってた国選魔導士って何なんだ? 北の国では誰もが魔法を使える訳じゃないのか?」
「えぇ。この国では国王と五賢人の定めた者だけが自由に魔法を行使できます。それには相応の資質と信仰心が必要なので、殆どの民は魔法は使えません」
レヴァナントの質問に答えながら、ミナーヴァは金色の髪を揺らして歩く。仏頂面の彼女はニコリともせず、淡々と語っている。
「五賢人の宗派を信仰し厳しい修行を経て、ようやく魔法は扱えます。魔法を扱えない民達を迫りくる脅威から護る事、それが我々国選魔導士に与えられた責務なのです」
はしゃぎ廻るタナトスを捕まえるレヴァナントは、黙って彼女の話を聴いていた。
「先程お会いしたイスカリオ牧師も魔術師ではありますが、牧師達の仕事は信仰を広める為に魔法を使って迷える民の手助けをする事。もしもあの時、聖堂にイスカリオ牧師が現れなければ危うくお二人を始末してしまう所でした」
表情を変えず語るミナーヴァの横顔に青ざめるレヴァナントであった。
宿に着くとミナーヴァは受付に向かう。部屋の交渉を彼女に任せた2人は、押し寄せる疲れにぐったりと椅子にもたれ掛かっていた。しばらくすると慌てた様子でミナーヴァが戻ってきた。
「申し訳ありません、今日は空き部屋が私の取っている部屋と残り1つしか無いようです」
困ったように顔を歪める彼女の姿に2人は不思議そうに首を傾げた。
「別に俺達は一部屋で構わないけど……」
「私達一緒の部屋でいいですよ?」
レヴァナントとタナトスは何も不都合は無いと答える。2人を交互に見返したミナーヴァの顔が、次第に沸々と赤らんでゆく。
「だ、駄目に決まってるでしょッ!? だ、男女で同じ部屋なんて、は、破廉恥な! タナトスは私と同室にしなさいッ!」
ミナーヴァは真っ赤な顔で叫んでいた。先程までの冷静な彼女の面影はまるでなく、羞恥心で赤面する姿に幼さが見える。国選魔導士ミナーヴァ・ネル・ミネルウァ。大人びてはいるが中身は17歳の純真な少女なのであった。
登場人物紹介6
ミナーヴァ・ネル・ミネルウァ
北国出身。17歳という年の割に落ち着いた雰囲気を持つ女の子。「国選魔導士」と呼ばれる北の最高位の魔法使いで、信仰は「界雷神」。胸元にぶら下げた十字架で雷の魔法を操る。
最年少で入隊した天才肌ではあるが、男女の関係や不純な事柄についてはまだまだ幼いようである。