Ep.172 沈むまでは
天命騎士ブレイズの騎士剣からは、巨大な剣刃が伸びていた。深く腰を落として構える彼は、黄金に輝く切っ先を怪物へ向けて狙いをつける。
「なんだかわからねぇが、ブレイズ、お前も北の魔法が使えるのか?」
周囲を吹き荒ぶ突風に堪えながら、レヴァナントは問い掛ける。初めて目にする第一席の剣技に、ティナは茫然として言葉を失っていた。
「僕の母は北国の出身でね。魔法について良く教わっていたんだよ。自分の剣技に限界を感じていた僕がこの国で第一席まで上り詰めたのは、母から授かったこの助言があってこそさ」
ブレイズは力を込めるように剣を強く握りしめる。細身の彼の全身は隆々とした筋肉が盛り上がっていた。
「まさか、煉気因子?! ブレイズ様もその細胞を持っておられたのですね」
彼女の声に頷くブレイズは、自嘲気味に笑って口を開いた。
「この力も父が企てた計画の一部だったなんてね。正直な所、そんな力に頼る自分自身が恥ずかしい限りだ……だが――」
黄金に輝く巨剣は更に膨らみ上がる。天にも届くほど鋭く伸びたそれは、蠢く赤黒い怪物へ突き立ててられる。
「忌まわしきこの力も、この国の行く末が為に使えるのであれば誇りに思える」
ブレイズは剣を突き立てる。赤黒い塊は禍々しいその口を広げ、嘲笑うかのように刃を見据えている。ぶつかり合う巨大な二つの衝撃は耳を塞ぎたくなるような不協和音を奏でるのであった。
◆
「すごい、あの巨体に押し負けてない。流石、ブレイズ様ッ!」
黄金の刃は渦巻く怪腕とぶつかり合う。拮抗する押し合いは宙空にとどまり、残響だけを辺りに撒き散らしていた。
「いや、奴はブレイズに攻撃されながらも、まだ再生を続けている。このままじゃあ、いずれ向こうの力に押しきられちまう」
「それならせめて、私達にも何か出来ないのかしらっ!?」
冷静なレヴァナントの考察にティナは取り乱す。彼の言葉通り、膨らみ続ける化物はその怪腕を更に複数絡めて太く変わる。
徐々に崩れる拮抗にレヴァナントは、沈む夕陽を睨みながら食い縛った。
「あと少しなんだ、ブレイズ……もう少し、もう少しだけ耐えてくれ」
力のバランスは唐突に崩れる。捻れ渦巻く触手の様な腕がブレイズの黄金の刃へ絡み付いた。切っ先から砕け散ってゆく巨剣は徐々に地上へと押し戻されてゆく。
「まずい、このままじゃブレイズ様までッ――」
無慈悲に膨れ続ける怪物の姿にティナは叫ぶ。夕陽が沈むまではあと少し猶予がある。レヴァナントは必死に堪えていた。
『よそ見してんじゃねぇぞ、デカ雑魚野郎ォッ――』
勇ましい叫びと共に絡み付いた怪腕が引きちぎられる。巨剣の周囲を飛び回る漆黒の鎧騎士は全身を刃と変えて斬り裂いた。叫び声のような悲鳴が木霊する中、黄金の刃はその勢いを取り戻して再び輝く。
「オルクスッ!」
「あの野郎……これ以上ない場面で、やってくれるじゃねぇかッ!」
レヴァナントは不意に笑みを溢す。オルクスの刃が怪腕を斬り裂くと、赤黒い怪物の身体は苦悶を訴えるように靡いた。
「――今しかねぇッ」
駆け出したレヴァナントは暮れゆく夕陽を横目に切りながら叫んでいた。
「ティナ、剛剣だ! 合わせて、鞘で打てッ! 扉が開いたら全員下がれ――」
彼の声は残響のなかで彼女へと届く。言葉の意味はわからない。それでもティナはその言葉を信じて渾身の突きを放つのであった。
「――絶対、貴方も戻って来てよね」
撃ち放たれた猛烈な突きはレヴァナントの背を押す。巻き上げられた旋風に身を委ねると、天眼よりも遥かな空へと浮かんでいた。
「確かな、約束は出来ないな……ただ、この場の全ては護れるさ」
暮れゆく夕陽が黒い水平線に沈む一瞬、目映い緑色の閃光が広がった。レヴァナントは右手に構えた短剣を掴むと叫ぶのだった。
「これで終わりにしてやる。ここから先、お前らの好き放題にさせてたまるかよ――」
構えた短剣を左の胸に当てる。暮れゆく陽光は水平線に吸い込まれて横へと伸びる。