Ep.163 見馴れた顔
人智を越えた怪物同士の戦いは熾烈を極めて続く。時間にしてそう長くも続いていないのだが、既に辺り一帯は破壊し尽くされていたのであった。
幾度もその姿を変えて凶剣を振るう深紅宝石に対し、タナトス・リーパーの容姿をしたアザートホルスは涼しい顔で猛攻をいなす。
アザートホルスの放つ不可思議な術の数々は驚異的な威力を見せていたのだが、原生生物の如く再生する深紅宝石には目に見える傷を与えられていない。
互いに決め手を欠いた戦いが動いたのは、アザートホルスが腰に下げた短剣に手を掛けた時であった。
「良い余興であったが、これ以上はただ時の無駄であろう」
刃の装飾がきらびやかに輝く。短剣を逆手に持つアザートホルスは、反対の手で指を鳴らした。途端に彼女の元へ掛けよった白狼はその姿を変え、純白のローブに成って纏わりついた。
「それは、素直に僕に取り込まれるという意図ととっていいのかな?」
余裕の表情で嗤う顔には複数の顔が入り交じり歪んでいた。不気味に形を変える深紅宝石を蔑んだ様に彼女は口を開く。
「汝も妾と同じく外の世界から来たのであろう? 生死の概念すらない存在を滅そうと策を講じるのは無意味。この身体も再び飢えだしてきている、終いにしようではないか」
片手で腹部を擦るアザートホルスは、浅い溜め息ながらに告げていた。
「そこまで理解しているのなら解るだろう? 僕の身体は滅びる事はない、無限に続く意識の集合体さ。対して君の身体はどうだ? それだけの力を持ちながら脆弱な人の身体、あまりに勿体無い」
深紅宝石は芝居染みた大袈裟な仕草で続けた。その顔に浮かべた笑みは確かな勝利を確信したかのように綻ぶ。
「君の言う通り、このまま続ければ確実にその身体は壊れるだろう。その結果、君はその内に秘めた力ごと消えてしまう。それははあまりに惜しい……だから、どうだろうか? 僕と意識を共有し、終わりの無い永遠の中でその力を存分に使わないかい」
歪んだ頭部は液状に波打つと、向かい合う少女の顔を型どり話していた。
「さぁ、この手を取って自由にこの世界を――」
タナトスの顔をした深紅宝石は手を伸ばす。笑みを浮かべたかと思うと、その顔は急変するのであった。
「妾と意識を共有するだと? 痴れ者め、立場を弁えるが良い」
「これは……お前、僕に何をしたッ?!」
慌てふためく姿を尻目に、アザートホルスは声を堪えるように嗤っていた。差し伸ばした深紅宝石の右手は指先から黒く変色すると、煙のように散り散りに飛散してゆくのだった。
「どうやら【九死霊門】は他の術に比べると消費が激しいようだ、この程度の尺度しか出ぬか……まぁ良い、特別に格の違いを見せてやろう」
「――やっ、止めッ……」
向かい合う二人の前に現れた黒い扉はゆっくりと現れる。開かれた二枚扉の中から伸びたナニカは深紅宝石の悲鳴すらも呑み込むのであった。
◆
視界の悪い土煙漂う荒野は、突如として静けさを取り戻していた。散らばる瓦礫を避けるようにレヴァナントとティナはゆっくりと近づく。時折背に抱えた妹を気に掛ける、一向に彼女の意識は戻らない事にレヴァナントは眉根を寄せたのだった。
「急に静かになったわね……」
周辺を伺うように見渡すティナは呟く。目前に広がる崩れ掛けた聖骨大聖堂の姿に、戦いの壮絶さが窺える。
「タナトスが本当に九死霊門の力を操っているのなら、結果は間違いねぇよ」
向き直るレヴァナントは確信めいた顔で頷いた。近付くに連れて広がる火の手の熱気、二人の額には粟粒のような汗が浮かぶ。
「――レヴァナント、あれを見て!」
「――そんな、まさか……」
崩れた瓦礫が燃え盛る火柱をたてながら囲う中、不自然な広野が広がっていた。その中心で横たわる蒼白い髪の人影に、二人は気付いた途端に駆け出していたのだった。
「嘘だろッ……お前が死ぬわけ……」
傍らに妹を下ろすとレヴァナントは瞳を閉じた少女に手を伸ばす。側に立つティナは唇を噛み締め、視線は少女に向けられないでいる。
「そんな……おきろよ……? 起きろっていってんだろッ、タナトスッ!?」
少女の肩を強く揺すると僅かに温かみを感じた。レヴァナントは呻き声を圧し殺すように地面を叩いたのだった。
「……妾の休息を邪魔するな」
聞き慣れた声色と、聞きなれない口調。レヴァナントは顔を上げる。少女は長い睫に埋もれた真っ赤に輝く二つの瞳をゆっくりと瞬かせている。
「小僧、意識を取り戻したか……身体よ、汝の願いは確かに叶えたぞ」
微笑むその顔は確かに同じ様に映る。変わり果てたはずの彼女でも、レヴァナントには嬉しかった。泣き声は勢いを増すのであった。