Ep.156 深紅の宝石
天井近くの壁に並んだ弱い照明の光は、中央に鎮座する巨大な水槽を照す。赤黒い何かが蠢く水槽は一定のリズムで気泡を水面に運ぶ。アーレウスとオルクスの二人は奇怪なそれに気を取られ、いつの間にか背後に現れた存在に気が付かなかった。
「何処から沸いてきやがった?!」
オルクスは大剣を向けて叫ぶ。振り向く二人を見据える獅子兜の騎士は、笑い声の様な吐息を漏らしていた。
「ずっと御二人の後ろで見ていたよ? 不様に壁を這って歩く、隙だらけの間抜けな背後にね」
芝居染みた大袈裟な仕草で騎士は嗤う。アーレウスは神妙な顔で口を開いた。
「そうか、お前がすべての黒幕という事で合点がゆく。あの偽物もお前が造り出していたのか?」
「フフ……流石は戦王アーレウス、状況の把握が早いね。だけど、惜しい。当たらずして、遠からずといったところか」
獅子兜の騎士は薄気味の悪い声で嗤う。アーレウスは顔色一つ変えず、静かに特大剣を抜いた。
「……その容姿も仮の姿か?」
「まぁね、この姿は気に入っているよ。この女はその名に恥じぬ勇猛な精神を持ち、器量も良い……だけど何よりも良かったのは、絶望を知ったときの顔だね。端整なこの顔が醜悪に変わってゆく様……堪らなくそそられた」
獅子兜を脱ぎ捨て嗤う容姿は、共に天眼に乗り込んだ女騎士。第4【勇猛獅子】レオニネルは下卑た笑みを浮かべて二人を眺めていたのだった。
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「そのまま隠れていりゃ良いものを、わざわざ出てきて自己紹介かよ? 死霊鳥の手下はとんだ間抜け野郎だな」
皮肉に笑いながらオルクスは吐き捨てる。彼の挑発に微塵の反応も見せない第4席の姿の騎士は、余裕の笑みを浮かべて応える。
「手下? それはまったくに見当違いだね。君の事も知っているよ……単細胞で短絡的なバアル・ゼブルくん」
「んだと――?!」
「よせ、相手の誘いにのれば思うツボだ」
アーレウスは青筋を浮かべるオルクスを止めると、ニヤニヤと二人を嘲笑う人物をまじまじと見つめていた。容姿は間違いなく第4席であるものの、手持ちの武器は何も見て取れない。騎士剣も持たない状況で二人を相手に余裕を見せる事に、アーレウスは余計に警戒心を高めていたのだった。
「死霊鳥の手下だと思われるのは心外だね。特別に教えてあげるよ、僕の名は深紅宝石。」
「レッドショゴス……?」
聞き覚えのない言葉にアーレウスは呟いた。苛立つオルクスは怒鳴るように口を開く。
「要するに手前ぇも種持ちって事だろ。だから毒の届かない地下でコソコソ動き回ってやがるんだろうが?」
深紅宝石名乗る人物はまた大袈裟に笑いを堪えて見せる。その仕草にまたオルクスは吠えるのだった。
「種持ちだなんて……君らみたいな弱者と一緒にしないでくれよ? 冗談にしても言い過ぎだよ、ククク……」
腹を抱えて笑い出した刹那、その胴体を斜めに閃光が走った。通り抜けたオルクスは大剣を担ぎ唾を吐く。
「丸腰で余裕かましてるわりには、あっけのねぇ奴だな。手前ぇを殺ればどのみち終わりだろ」
「ぎぃやあぁぁ――」
鈍い悲鳴に一拍子遅れて、深紅宝石の胴は真っ二つに崩れ落ちる。呆然と立ち尽くす下半身から噴水のように鮮血が撒き散らされた。
「オルクス、気を付けろ! ソイツも不死身かもしれん」
「んな事はわかってんだよッ! このまま再生不能に切り刻んで――」
振り返るオルクスが黒色の刃を返した時、違和感にその手は止まる。
「なッ……? 奴の姿がねぇ?!」
引き裂いた筈の身体は何処にも見当たらない。その場にぬらりと光る血溜まりを残すだけで辺りは何も変わらない。
「――死霊鳥の話通りの単細胞だね、バアル・ゼブル」
響き渡る声を探す二人は、薄暗い広間を何度も目を配っていた。
「――【カーリーの子種】か……そんなものは既に越えているよ? 僕はそれよりも、さらに高みの存在」
何処からか響き渡るその声は大気を揺らすように木霊するのであった。