Ep.111 飛び込む深淵
天地を反された地面の下から吹き出した濁水は瞬く間に湿地林へ広がる。地底に溜まった泥水の飛沫を撒き散らし、怨霊はその全容を表したのであった。
「――そのまま全速力で上昇してくれッ」
飛空艇の車軸にぶら下がるレヴァナントは叫んだ。衝撃に激しく揺られながら飛空艇は高度を上げた。
「凄まじい……流石は、死神リーパーの異能だ」
右翼に掴まるアーレウスは地上に現れた怪物を見下ろして息を呑んだ。巨大な花虫網のような禍々しいソレは、触手を伸ばして鎧達を捕まえると中央に開いた空洞に次々投げ込んでいる。深淵の大口は咀嚼をするかのように蠢くのであった。
「レバさん、あそこを見て!」
レヴァナントから延びた黒蛇に巻き付かれたタナトスは、暗がりの林を指差して叫んだ。
「どうした? あれは……ティナか?!」
何も知らず合流場所へと走るティナは、不自然な赤い光に気を取られていた。蠢く触手は気配を察知したのか、木々を縫うようにそれを伸ばし始めていた。
「最悪のタイミングで到着かよ、仕方ねぇッ!」
レヴァナントは新たな黒蛇を彼女目掛けて伸ばす。しかし、上昇を続ける飛空艇は彼女との距離を離して行く。
「――ちくしょう、この距離じゃダメだ。タナトス、早く扉を……」
タナトスに扉を閉めるよう言いかけたレヴァナントは、眼下に広がる光景を見て止める。林の中にはまだかなりの刺客が潜んでおり、触手はそれを逃しまいと這いずり廻っているのであった。不安そうなタナトスの顔を見ると、レヴァナントはまた口を開いた。
「アーレウスッ、タナトスを頼む」
そう言って黒蛇を動かすと翼の上でタナトスを降ろした。
「全員倒したらすぐに扉を閉めるから、それまで逃げ延びて。ティナちゃんを助けてあげて」
「わかってる。任せとけ」
レヴァナントは背後に八つの蛇頭を集めると、力を込めるようにそれを縮ませる。バネのように絡み合う黒蛇が伸縮すると、飛空艇からその手を離し勢いよく飛ぶのであった。
◆
湿地林を目指していたティナは、紅色が広がる夜空に胸騒ぎを感じながら駆けていた。合流場所で何かが起こっている。一抹の不安にその足は速度を上げていたのである。
「まさか師匠達が襲われてる? いや、そんな事あるわけないじゃない。もしもそうだとしても、師匠なら……それに今はレヴァナント達もいるのだから……」
独り言て頭を振ってみる。それでもやはり何かが起こっていることに間違いはない。ティナは重たい鎧に苛立ちながら、何度も自分に言い聞かせてみる。ほんの一瞬、周囲への注意が遅れた彼女は木々の闇に潜む刃に気がつかなかった。
「――な……ッ?!」
刃はティナの胸を穿つ。暗がりに息を潜めていた鎧達の刺客は一斉に飛び出したのであった。弾かれるように転がるティナは巨木にぶつかりようやく止まる。痺れる頭を動かし、震えた手で貫かれた左胸に当ててみる。
「ハッ……ハァ、ハァ……助かった……?」
分厚い胴甲冑の胸元は触れた瞬間崩れ出した。刺客の一撃を見事に防いだ甲冑にティナは憎まれ口を溢すと、仕立てたばかりの騎士剣を抜いた。
「剛剣騎士パーシバル。自衛と治安維持の為、抜剣する。容赦はしないわよ」
狙いを定まった鎧の刺客達はティナを囲み、一間もおかずに飛びかかる。
◆◆
「くそッ、邪魔すんなぁッ!」
地上に降りたレヴァナントに残党の刺客はすぐに気がついた。七死霊門の怨霊を避けながらも彼の行く手を阻む鎧達に、レヴァナントは苦戦を強いられていた。
「お前らなんかに構ってられねぇんだよッ」
レヴァナントは九つの黒蛇頭を伸ばすと、取り囲む敵を薙ぎ払う。すぐ近くで甲高い金属音が聞こえている、彼女がすぐ近くにいることがわかる。
「ティナッ! そいつらに構うなッ、今すぐここから離れろ」
尚も続く衝撃音に彼の声は簡単に消し飛ばされたのであった。目視できる距離まで近付いていたレヴァナントは何度も声を荒げた。
「聞こえねぇのかティナッ、早くそこから離れろ――」
「この声……レヴァナント?!」
ようやくその声に気がついたティナに飛びかかる複数の影達。迷わず得意の構えを取る彼女は、その剛剣を放った。
「レヴァナントッ、これはどうゆう状況!?」
「話は後だ、とにかく今はここからッ――」
レヴァナントはようやく彼女に辿り着くと、背を会わせて刺客に睨みを利かせる。退路を探す彼の視界に、足を取られる鎧達が映った。すぐに危険を察知したレヴァナントの声よりも早く、背後のティナは悲鳴を上げたのであった。
「――キャァッ、一体今度は何なのッ?!」
「ティナッ!?」
触手で掴まれたティナは猛烈な勢いで本体へと引き寄せられて行く。足を止めていた辺りの刺客達も全て彼女と同じように引きずられて行く、レヴァナントの黒蛇は離れるティナへと巻き付いた。
「くッ……そぉッ! 踏ん張れぇぇ――」
「何なのよこれぇッ!」
引き寄せられる刺客達を横目に、黒蛇に掴まったティナは叫んだ。尋常ならざるその力に必死で耐えるレヴァナントの両手はズタズタに切り裂かれてゆく。
「絶対離すなッ、あと少しだ、もう少しでッ――」
「無理言わないでよッ、もう限界――」
七死霊門の怨霊、カリュブデスは雄叫びのような鳴き声を上げている。引き寄せられた触手達は既にその腹の中へと吸い込まれていた。これ以上もちこたえる事は出来ない、不安が頭を過るレヴァナントは無我夢中で叫んでいたのであった。
「タナトスッ、なんでもいいからッ、別の扉を開けぇ――!」
僅か数秒の事であった。ティナを引き寄せたレヴァナントは触手を切り離すと、黒蛇を使ってカリュブデスから離れた場所へと投げ放った。そのまま触手づたいに引き寄せられたレヴァナントは深淵の腹の中へ吸い込まれていったのであった。
「別の扉っ?! え、えっと……そっか呑み込まれたから……圧迫死だね。それなら、えっとぉ……あ! 羅針門か、開きます」
巨大な扉を勢いよく閉まると、怨霊カリュブデスはその巨体を消したのであった。代わりにいて現れた二枚の扉から二体の怨霊が姿を現した。
「俺の周りに奴等を集めろッ――」
「う、うんっ!」
不気味な狐と狸の怨霊は威嚇の咆哮を上げると、周囲の鎧達を集めた。耳を塞ぎたくなるような悲鳴が一つに集まると、圧縮されたその空間は球体に集まり消滅するのであった。
「いいよっ、もう閉じて七死霊門」
タナトスの声に二枚の扉は同時に閉まる。吹き出していた濁水と共に消え失せた空間には、一人むせ返るレヴァナントの姿があった。
「ゲホッ、ゲホッ……まったく、ステラに感謝だな。この戦闘服、あれだけやられてもすぐに元通りだ。不死の種よりすげぇんじゃねぇか……?」
立ち込めた砂埃を祓うように飛空艇が降りてくる。奇跡的な彼の生還にティナは駆け寄るのであった。




