Ep.107 雲の上のクレアボヤンス
夕刻を迎え蒸し返しの熱気が漂う湿林にうめき声が響き渡る。
「くっそぅぉぉ――」
「段々回すスピードが遅くなってるぞ。あと千回で交代してやるから、休むなよ」
錆びだらけのハンドルを必死に回し続けるレヴァナント。涼しげな顔で彼に声を掛けるアーレウスは空を見上げる。沈み掛けた陽光に辺りは少しずつ暗くなってきていた。アーレウスはランタンに火を灯す。
「見て見てっ! こんなに沢山取れたよ」
林の奥から駆けてきたタナトスは得意気に麻布袋を掲げて見せる。ビチビチと不気味に蠢くその袋を見るや、アーレウスは顔を綻ばせて言った。
「凄いじゃないか。今夜はご馳走だな」
小屋から出てきたカジナドは大きな釜を携えている。彼はタナトスを呼び寄せると袋の中身を釜にぶちまけて喜ぶのであった。
「くっそッ、なんでよりにもよってこんな重労働……しかも、食事はまたあの蛙かよ……」
寄せた眉頭に深い皺を浮かべてレヴァナントは独り言るのだった。
西国製の兵器は主に燃料として地下の天然資源を活用している。しかし、天然資源が殆ど無い南国ではそれを賄う事が出来ない。大戦終結後にアーレウスは飛空艇を秘密裏に運び出すと、カジナドという一人の科学者に改修を依頼したのであった。
自称南一の技術者兼博識者だと名乗るカジナドの手により、飛空艇の動力は電力で補うように改造された。こうして再び空を駆けるようになるのだが、彼は一つだけ打算を見誤っていたのである。小型船とはいえ巨大な鉄塊を空に浮かべるためには膨大なエネルギーが必要であり、それを供給する為の手段は至って原始的な方法しかないのであった。
「よぉし、いいぞレヴァナント。このまま二人で発電し続ければ、往復分エネルギーは確保出来る」
「ま、マジかよ……これじゃアーレウスの修行よりよっぽどキツいぜ……」
レヴァナントは悲観的に溜め息をつくのだった。
◆◆
すっかり日も暮れて湿地林は漆黒に包まれていた。焚き火を囲う四人の影は四方に伸び、暗がりの向こうからは獣達の声が耳朶をうつのであった。
「ティナちゃん遅いね」
焚き火に小枝を投げ入れながらタナトスが呟く。小さな破裂音と火花が揺れる様子を眺めていたレヴァナントは夜空を仰いで言った。
「明日の朝には飛べるんだろ? それまでにティナが来なかったらどうするんだ」
不恰好な大樽から掬うアーレウスは、暫し揺れる酒を見つめながら応える。
「知らん。朝までに来なければ置いていくだけだ」
既に酔いつぶれたカジナドは大きなイビキをかいて寝入っている。
「昼間の続きだけど、特区は本当に空に存在するのか? まだにわかには信じられないんだが」
「普通に考えたら有り得ないだろうな。だからこそこの国のごく一部の人間にしか特区の存在は知り得ていない」
アーレウスは酒を口に運び、余韻に浸るような息をついた。
「四大国家が戦争を初めて数年が経った頃、南の国力は目に見えて低下していた。個の武力に秀でたこの国の騎士達は、列強諸国の一枚岩の戦術に次第に苦戦を強いられる形になった」
木製のこれまた不恰好な器でレヴァナントも酒を汲むと、一口にそれを飲み干して言った。
「確かに……俺も一度だけ戦地で南の剣士達と対峙したが、一人として雑兵とは侮れない強さだったのを覚えている」
頷くアーレウスは続ける。
「やがて事態を深刻にとらえ始めた南国の参謀達は打開策としてある策略を取り決めた。それが大戦初期、秘密裏に交わされた北との同盟だ」
「ちょっと待った。同盟が明らかになったのは、たしか大戦も終盤だろ? 何故それまで南と北は対立している様に装ってたんだ」
「装うか……外部から見ればそう映るのかもしれないな。確かに同盟の密約は二国間で交わされてはいた。しかし、ある事情によって北はそれを公にはしなかったのさ」
レヴァナントは食い入るようにアーレウスを見る。焚き火に小枝を投げ入れて遊んでいたタナトスも顔を向けていた。
「当時の北は同盟など望んでいなかった。なぜならそれは北にとって不条理な取引で、南の参謀達の強欲から生まれた歪んだ関係だったからな」
「なんだよ、そのまどろっこしいもんは。いったい、どういう事なんだよ」
話の根底を急かすレヴァナントに、アーレウスは嘲笑うようなかすれた声でかたるのであった。
◆◆
「お前達は北から来たんだろ? それならあの国を守護する五賢人の事も知っているよな」
アーレウスの声に頷くレヴァナント。聞き耳を立てていたタナトスも忙しなく縦に振っていた。
「【戦渦のオーディン】という人物を知っているか?」
彼の言葉に二人はほとんど同時に首を横に振る。
「オーディンは北でも随一の武闘派魔導士で知られた元五賢人の一人だ。実はこの人物、同盟前からすでに南と繋がっていた。北の情報を教える見返りにオーディンは大量の武器を南から手に入れていたのさ。彼から手に入れた情報を元に南はある軍事拠点を建設する。それが特区【天眼】空に浮かぶ難攻不落の巨大要塞だ」
「天眼……いや、いくらネストリスの魔法だって、そんな、空に要塞を築くなんて……」
レヴァナントはにわかに信じられないといった表情で首を傾げる。
「デュランドールに在る街には大抵、大聖堂が数件ある。元々無宗教のこの国に何故、そんな建物が幾つも点在するのか……そして、騎士達は理由知らされる事なく大聖堂を守れと命じられるのか……」
「まさか、大聖堂が天眼の柱になっているとでも……?」
アーレウスは残りの酒を飲み干して頷いたのであった。