Ep.11 白狼のローブ
静けさの中で遠くに聞こえる鳥達の囀ずり、太陽は高々と昇り少しずつ周囲を暖めてゆく。昨晩の宴の余韻が僅かに残る集落は静かに朝を迎えていたのであった。
「それじゃあ、俺達もそろそろ行くか」
身支度を整えたレヴァナントが眠そうに目を擦る少女に声をかけた。ノロノロと荷物をまとめるタナトスはあくびを噛み殺しながら口を開いた。
「リジェさん達に挨拶してきます」
昨晩2人はリジェ夫妻の家に泊まっていた。
廊下に出るとすでに窓の外で、数人の男達が狩りや仕事の準備をしている姿が見えた。とても昨日の今日で助けられた人質とは思えないと、集落の男達の逞しさに感心するレヴァナントなのであった。
「2人とも早いわね。もう立つの?」
寝室と思われる部屋からリジェが顔を出していた。
「リジェさん、お世話になりました」
タナトスはまだ半分寝ぼけたまま頭を下げる。
「待って、2人に渡したいものがあって。昨日の夜から用意していたの」
リジェはそう言い放つと、扉を開けたままに自室へと戻ってゆく。部屋のなかで誰かと話しているようだ、旦那のアイザックも早々と起きていたようである。
「……いいわ、2人とも入って」
扉に手を掛けるレヴァナントはチラリとタナトスを覗き見た。まだ目を擦りながら首が揺れている。
「タナトスにはこれよ」
部屋に入るとリジェは手にもった白いローブをタナトスに被せる。ようやく目が覚めたタナトスは何事か呟きながら驚いていた。
「あなたが破ってくれたのとは色が違うけど、これは白狼の毛皮で編まれたローブなの。白狼も今では絶滅してしまったけれど白い毛の獣はこの辺りでは神格化されていて、降り掛かる災いを祓ってくれるのよ」
純白の毛皮のローブは見た目よりもとても滑らかなさわり心地で、タナトスはすぐに喜んではしゃいでいた。
「レヴァナントには、アイザックの使い古しになってしまうのだけれど。彼が徴兵された時に支給された戦闘服。その格好じゃまた野党に間違えられるわよ?」
防刃用の太い繊維が編み込まれた黒い服。肩掛けのソードホルダーと腰巻きのガンホルダーのベルトを一緒に渡された。
「徴兵されてもドジな僕は、すぐに怪我で帰されたからほとんど新品と変わらないはずだよ」
腕の傷をおさえて苦痛の声を漏らしながらベッドの上で上体を起こしたアイザックが、自嘲気味に笑って呟いた。
「ありがとう、助かるよ。ようやくまともな成りになった」
「レバさん出会った時からずっとボロ布しか着てないですからね」
ケラケラと笑うタナトスを軽く小突く、リジェとアイザックもくすくすと可笑しそうに笑っていた。
◆
「近くに寄る事があったら、必ず立ち寄って。いつでも歓迎する!」
リジェが叫ぶと集落の人々も声をあげて見送ってくれていた。2人は手をあげて返すと山越えの道を目指して歩きだしたのであった。
途中、昨晩通った長い吊り橋に差し掛かる。昼間の渓谷は雄大な自然が広がっていた。夜闇の中では不気味に思えた景色に、2人は声をあげて感心しながら進む。リジェから貰った白いローブを着込んだタナトスは、揺れる吊り橋を楽しそうに駆け回っていた。
「なぁ、あの時なんで機嫌悪かったんだ?」
レヴァナントは不意に彼女に尋ねてみたくなった。リジェ夫妻が敵に襲われた事が関係あるのは理解していた。しかし呪術を使っている時の彼女は他人の生死など、まるで興味が無いような希薄さが感じられる。そんな彼女が明らかに怒りを表していた事にレヴァナントは疑問に感じていたのであった。
タナトスは少し黙ると、何か言葉を探すように話し始めた。
「うーん、そうですね。リジェさんの旦那さん、えっと……アイ、ザ……アザック……」
「アイザックな!」
また人の名前忘れやがった……呆れ顔でレヴァナントは聴いていた。
「そう、アイザックさんが私を庇って撃たれた時、なんだか凄くモヤモヤしてしまって。昔から人が死ぬ事には、なにも感じなかったんですけど。あの時はアイザックさんには死んでほしくないなって思ったんですよね。だから迷わず毒の廻った腕を切り落として……」
ブツブツと考えるように話す彼女は時折に首をかしげながら、自分自身でも理由がわからないように話している。その感情を言葉にする事に悩む彼女に、眉根を下げたレヴァナントは茶化すように声をかけた。
「それが普通なんだよ。そう思ったら俺が死ぬことも躊躇してほしいもんだな」
大袈裟に呆れたような仕草をするレヴァナントに、タナトスはすぐに答えるのであった。
「ダメですよ! レバさんにはこれからも呪術の為、たくさん死んで貰わないとッーー」
タナトスは楽しそうに笑うと吊り橋を駆け出していた。走りゆく彼女を眺めながらレヴァナントはぼんやりと考えていた。
彼女の言うリーパー家後継者としての修行とは、そう言った人間性を捨てる事なのではないのか?呪士として一切の迷いのない非道な殺戮者を育てる、それが後継者としての条件だとしたら……
「レバさーんッ! 早く行きましょー」
軽く頭を振ると、いつの間にか橋を渡りきっている彼女を追いかける。レヴァナントはその考えが杞憂であってほしいと胸にしまうのであった。
◆
岩山を越え下りの獣道を進むと、ほのかに湿気が混じったような生暖かい風が吹き付けてくる。水平線が青く開けて、遠くには波立つ海が望んでいた。
「見てください! 海ですよ」
タナトスが指差す先には大きく広がった海原と、ポツポツと建物が並んだ漁村が見える。
「船の姿は見えないが、桟橋と港らしき物はあるな。やはり密航船の噂は本当だったのか」
海沿いを眺めたレヴァナントは船を探して見回す。しかし、広い海には一隻も船の影は見当たらない。
ひとまず2人は漁村まで降りて住民に聞き込みをする事にしたのであった。
小さな漁村にはあまり人の気配は感じられない。どの屋敷もきっちりと外窓まで閉じられていた。
辺りを見回す2人は、海辺の近くで何か作業をしている老人を見つけた。
「すいません。この辺りで北に向かう船ってでてますか? 」
「ーーおいッ!」
密航船についてあまりにも直球に尋ねるタナトスに、レヴァナントは思わず口を抑えた。
「すまない、この漁村に船はないのか?」
慌てたレヴァナントは老人に再び尋ねる。老人はぼんやりとした目で2人を見ると、口を開いた。
「なんだね、あんたらぁ?」
どうやら耳が遠いようだ。再び尋ねるレヴァナントは先程よりも大きな声で話し始めた。
「あぁ? 船なんてねぇよ。今この村は船長さんが守ってくれてるからなぁ」
ようやく聞き取れた老人の答えは、いまいち理解に苦しむ内容である。2人は首をかしげた。
「その船長さんってのは何処にいるんだ?」
老人に尋ねた瞬間、近くで警笛のような轟音が響いた。思わず耳を塞ぐ2人は音の出処を探して見回す、老人はいつの間にか立ち上がると海に向かって指を指していた。
「船長さんが帰ってきたんだ」
老人の指差す方向を見る。想像もしない物がそこに佇んでいたのであった。
警笛を再び鳴らして此方に近づいてくる船は徐々にその船体を表した。
「な、なんだこのデカイ船は……」
「カッコいいッ!」
慌てるレヴァナントと目を輝かせるタナトス。2人の目の前に現れた巨大な船。
分厚い鉄の鎧を纏ったその姿は、紛れもなく装甲船だった。機銃、大砲、船体に施された数々の武装と甲板にそびえる大型の砲身。
おそらく大戦末期まで活躍したであろう巨大な戦艦は、小さな漁村の港に大波を引き連れて現れたのであった。
ーー船長が帰ってきたぞぉ……
何処かで声が聞こえたかと思うと、締め切られていた建物から多くの人々が港に向かって駆け出している。
「ほら、あそこに船長さんが居られる」
老人の指が戦艦と港を結んだ浮き桟橋を指している。歓声の上がる中、乗組員と見られる男達が次々と下船していた。荷物を運び出している船員達の後に続いて、アイパッチを着け二丁の大型銃を両肩から下げた大柄の男が降りてきたのであった。
「なんでアイツが此処にいるんだ……?!」
レヴァナントが驚きを隠せないといった表情で後退る。その姿をタナトスは不思議そうな顔で尋ねた。
「船長さんって人、レバさんの知り合いなんですか?」
彼女の声にひきつった表情のレヴァナントは首を横に振ると建物の陰に隠れた。追いかけるタナトスは再び尋ねるのであった。
「アイツ、あのバカみたいな重装甲と、バカみないな重火器で武装した姿。アイパッチをしてるが間違いない……」
物陰から桟橋を覗き込むレヴァナントの視界に、その人物をはっきりと捉えた。
「ロック・ブックマン中佐、俺が敗戦前にいた部隊で指揮を取っていた上官だ」
隠れる彼の姿を見て何故か納得したように頷くと、タナトスは口を開いた。
「知り合いなら話が早いですね。私、さっそく乗せて貰えないかお願いしてきますッ!」
タナトスはそう言い放つと駆け出していた。
「な、いや、ちょっと待てッ! 脱走兵みたいな俺が軍に見つかったらヤバい事に……」
レヴァナントの静止は届かず、タナトスはまっすぐ桟橋に走り去っていったのであった。
登場人物紹介3.4
アイザック&リジェ
西の森村で暮らす夫婦。大戦中、旦那のアイザックが徴兵された為、籍を入れてすぐに別居を強いられていた。
村が解放されてからは夫婦で農業を始めたが、食糧の殆どは妻のリジェが狩りをして賄っている。




