Ep.101 トラウマと勝算
レヴァナントとタナトスの二人がフィロドロンを訪れて半月以上の月日が流れていた。
連日過酷を極めるアーレウスの鍛練に次第に慣れたレヴァナントは、昨晩の疲れも見せず空腹で鳴る腹を抑えながらティナと共に小屋への帰路についていた。
「レヴァナント、あなたって本当にタフね……良くあれだけ動いた後なのに」
呆れた笑いを見せるティナはそう言うと、崩れた髪の編み込みを直しながらレヴァナントの後ろを歩いていた。
「何言ってんだよ、動いたからこそ腹減るんじゃねぇか。お前だって毎朝山盛りでおかわりしてるクセに……ッ痛たぁ?!」
レヴァナントの背を叩く彼女は顔を少し赤らめて睨む。すぐに笑い合う二人は遠くで揺れる白い煙に気づいた。今日も朝食の支度が出来ているのだなと、どことなく心が穏やかに変わる瞬間であった。
「二人ともおかえり!」
扉を開くと普段とは違う光景に二人は目を丸くして固まる。いつもなら調理台で腕をふるっている師は壁にもたれてうたた寝をしていた。かわりに御勝手に立つのは薄紫の髪を一つに束ねたタナトスなのであった。
「なんでお前が作ってんだ?……って、アーレウス熟睡じゃねぇか」
「師匠が人前で熟睡なんて珍しい……なんか、災害でも起こる前触れみたいに不気味……」
二人は怪訝な顔でアーレウスとタナトスを交互に見る。タナトスは味見をして頷くと、事情を話し始めたのであった。
「おじさんがね、今日は私に任せるって。作り方はちゃんと教わったし、ここ最近農場のおばぁさんにも色々教えてもらってるから安心して!」
彼女はそう言って胸を叩くと、二人の目の前に皿を差し出す。そこには、とても美味しそうには見えない茶色い塊が山盛りに盛り付けられていた。
「さぁっ、二人とも沢山あるからおかわりしてね?」
「あ、ああ……」
「あ……あり、がとう」
引きつる顔を必死に抑えながら二人は皿を受け取る。ツンと鼻を突くその香りは間違いなく何かが焦げていた。
「……んん? おお、お嬢ちゃん出来たのか。悪いな急に頼んでしまって」
「構わないよ? はい、これがおじさんの分」
二人と同様に山盛り塊を差し出すと、アーレウスは事も無げに受け取った。小さく頭を下げた彼は躊躇なくそれを口に運ぶのであった。
「し、師匠……何の迷いもなくアレを……しかも黙々と食べてる……」
「……マジかよ、ひょとして味は本当に良いのか? よし、それなら俺も――」
レヴァナントはスプーンを取ると、大きな一口を口に放り込んだ。しかし、口に入れたまま硬直した彼の額からは、滝のように汗が流れ始めた。
「――カッ、辛ッれぇッ! ゴホッ、ゴホォ」
「レヴァナント?!」
苦しむレヴァナントは水の入った龜に一気に仰いだ。舌を出して苦しむ彼にタナトスは首を傾げて見ている。
「何これっ?! 辛いなんてもんじゃないわよ?!」
一口舐めたティナが驚きの声をあげる。
「騒がしい奴等だな……食事くらい静かに食えないのか?」
涼しげな顔で食べ続けるアーレウスは、空になった皿をタナトスへ渡し「おかわり」と告げた。嬉しそうな顔で彼女はまた大量の塊を盛り初めている。
「そんな、師匠はなぜ平気なんですか?!」
「……ウソだろ、普通こんなの平然と食べられるか?」
山盛りの二皿目を受け取ったアーレウスはまた平然と食べながら口を開いた。
「そりゃあ辛いぞ? だが食事も身体を作る修行の一つだ、出されたモノから逃げるわけにはいかない。ほら、お嬢ちゃんを見てみろ?」
彼は顎でタナトスの方を指す。見れば同じような山盛りの皿を目の前に置いて手を合わせていた。
「いただきますっ、うーん、美味しいっ! 大成功だね」
満足そうに次々と食べ続けるタナトスの姿に、二人は唖然とするのであった。
「流石は死神の娘だ。常日頃から鍛練を欠かさない様だな」
感心するアーレウスは負けじと大皿をたいらげてゆく。
「タナトスの場合は……ただの、味音痴だろ……」
開いた口が塞がらないレヴァナントは独り言ちたのであった。
◆
タナトスの料理(?)を何とか済ませた二人は、一息つくアーレウスを見て尋ねたのであった。
「どうして今日は師匠が作らなかったのですか?」
「なんだ、よっぽどお嬢ちゃんの飯が気に入ったのか?」
困惑する姿ををからかうように笑う師に、激しく首を振るティナは更に続ける。
「そうではなくて……いつもなら食後すぐにまた修行だと言う師匠が、今日はいったいなぜ……?」
「日中の鍛練は無しだ。一人研鑽に励むもよし、休息に当てるもよし、お前達の判断に任せる。ただし、今夜が約束の期日だからな」
食休みとばかりに横になるアーレウスは、二人を見ずに言い放った。彼の背中を見て息を呑むレヴァナント、打って変わる表情でティナは口を開く。
「私はもう万全です。今夜、必ず極剣へと辿り着きますから」
そう言って自信ありげに微笑んだ彼女は立ち上がると小屋を後にした。見送ったタナトスが振り返りアーレウスに今日の使いを伺うと、「今日はいい」とだけ答えが返ってくる。
「そっかぁ、じゃあ今日は何しようかなぁ……」
残念そうに溢す彼女の隣で、レヴァナントは顔を強ばらせていた。彼の顔色を伺うタナトスに気が付くと、強ばった笑みを浮かべて見せる。僅かに震える右手を掴むと、レヴァナントは重い口を開いたのであった。
「アーレウス……俺もティナと同じでいい」
レヴァナントの言葉にアーレウスの頭がピクリと動いた。
「同じでいい? つまり……お前も俺の極剣と戦るつもりか?」
「ああ……どのみち後には何も残っちゃいない。ここで強敵から逃げるようじゃ、妹を助けるなんて到底叶わないだろ」
二人の視線は張りつめた弦のように拮抗する。先にそれを逃したのはアーレウスの方であった。
「俺はお前に一撃を入れろとだけいった。それをわざわざ、より困難なやり方を選ぶなんてな……その言葉、後悔はするなよ」
アーレウスは再び眠りにつく。震えるレヴァナントは無理矢理に笑うのであった。
◆◆
「ハァー……なんで、あんなこと言っちまったのかなぁ……」
小屋を後にしたレヴァナントは森を流れる小川で汚れた衣服を洗いながら独り言ちていた。勢いに任せて告げた彼の一言は、勝算どころか無謀極まりないただの強がりなのであった。
「元気だしなよレバさん。いよいよになったら、今度こそ私の呪術でパッと倒しちゃえばいいって!」
レヴァナントの後をついて出てきたタナトスは腰に備えた短剣を抜き言い放った。
「馬鹿言うな。それで勝つのはお前で、俺はまた負けるだけだろ」
彼女の気遣いをわからないほど鈍くないレヴァナントは、口を曲げるその様子にわざとらしく溜め息をつく。
「いっそのことさ、呪連門で倒しちゃえばいいんじゃないの?」
彼女の言葉にまた、苦々しい記憶が甦ってくる。
「あのシマだか、スマだか、あんな気持ち悪い奴に巻き付かれるのは二度とゴメンだよ……」
王都で使った呪連門。術者自らが供物の命を奪う事で、遺体に怨霊を降ろす技。怨霊に支配される身体と自らの意思とは無関係に暴走した不死の力に、レヴァナントは若干のトラウマのような気概を抱いていたのであった。
「とにかく。これは俺自身で突破しなきゃいけない障壁なんだ。お前の呪術抜きでもアーレウスに勝てなきゃ……情けを掛けられたまま逃げられるかよ」
キッパリと断る彼の姿に、タナトスは眉をつり上げて騒ぐ。
「この間も言ったじゃん、何かあれば私にも頼ってって!」
「こればっかりは頼りようが……いや、待てよ」
言い掛けた言葉を止めると何かを考えるようにレヴァナントは黙る。ブツブツとまた独り言を始めた彼にタナトスは首を傾げた。
「そうか……その手があった……呪連門……同じ様に……」
「レバさんどうしたの?」
「いや、お前のお陰だ! 少しばかり勝機が見えてきたぜ」
両の拳を握り締め、薄笑いにレヴァナントは頷いたのであった。