Ep.97 おつかいの合間に
木製格子で囲まれた草原には多種多様な家畜が放し飼いにされていた。獣達を管理する老夫婦はすぐに近くに建てられた小屋で暮らしている。
連日、農場を見に来ていたタナトスはすでに何度かその家へ招かれていた。今日も快く彼女を迎え入れた老夫婦は、初めて会う同伴者にも声を掛けてくれたのであった。
「今日はお友達も一緒なのかい?」
「うん、今そこで知り合ったばかりだけどね」
「……」
タナトスに半ば無理矢理連れてこられた黒髪の少女は口を一文字に紡いだまま、珍しいモノでも見るように老夫婦の家を眺めていた。
「まぁまぁ、賑やで良いじゃない? さ、あなたも上がりなさいな。ちょうど昼食の用意していたところなのよ」
老婆はそう言って二人を屋内へ手招く。待ってましたと喜ぶタナトスは、立ち尽くす少女の背を押して中へと進むのであった。
◆
「おばあちゃんのご飯はね、なんだかホッとする味がするんだよ?」
「……ホッとする?」
老婆の手料理を美味しそうに頬張るタナトスに進められ、少女は恐る恐る口へと運ぶ。一口食べるとそれまで寄せていた眉を綻ばせ、二口、三口と続けていた。夢中に食べる少女の姿を老夫婦は穏やかな微笑みで見守っていた。
「この子、よっぽどお腹が空いていたんだねぇ」
「たくさんあるから、ゆっくり食べな」
二人は我が子を見るような慈愛に満ちた表情を浮かべて声を掛ける。
「ねぇ、あなた名前はなんて言うの? 私はタナトス・リーパーだよ」
「タナトス……リーパー……」
タナトスの名を口にした少女は手を止め、少し考えるように間をおいた。
「……通名は【食者の剣イーター】……名はテュポン」
聞き取れないようなか細い声でボソボソと少女は名乗った。彼女の言葉に老夫婦は驚いたように声をあげるのであった。
「こりゃあ驚いた。そんなに若いのにまさか騎士様だったなんてねぇ、なぁ婆さん?」
「ええ、立派な事だねぇ」
騎士が名乗る通名を口にした彼女は、老夫婦の言葉に黙って頷くと食事を続けた。
「珍しい名前だね。えーっと、じゃあ【ポンちゃん】だね」
「ポンちゃん……」
タナトスはまた勝手に呼び名を口にした。老夫婦までもが可愛い名前だと笑っている。
「あれ? ポンちゃんって凄く綺麗な目をしてるね。本物の宝石みたい」
テュポンの金色の瞳を見てタナトスは騒いだ。深い色味の奥の極彩色は、吸い込まれそうな不思議な輝きを放っていた。
「よぉし。それ食べ終わったら、今日も餌やり頼むとしようか」
老夫がそう言うとタナトスは嬉しそうに返事をする。彼女に促されるテュポンは黙ったまま小さく頷くのであった。
◆◆
「よぉし、今日は負けないからね」
「……?」
腕捲りをするタナトスを怪訝そうに見るテュポン。老夫婦から渡された大きなバケツと、白濁した液体の入った見慣れない容器。二人は柵の中に更に小さく囲われた檻の中に入る。
「ポンちゃん……油断してると危ないよっ?!」
「何が……?」
足を踏み入れた瞬間、檻の奥から大量に蠢く黒い何かが二人を取り囲む。
「何……これ?」
「今日も、沢山来たっ!」
黒い影あっという間に二人の退路を塞ぐと、一斉に飛びかかるのであった。
「アハハっ、くすぐったいよぉ」
「な、何よ、これ……?」
二人の持つ餌をめがけて飛びかかってくる小さな動物達。羊や馬や牛、はたまた見たこともないような種類の獣の子供達に二人は堪らず倒されるのであった。
「この獣達どうしてこんなに……やだ、ちょっとダメ、待って……」
「ダメだよポンちゃん! ちゃんと餌入れ掴んでないとあっという間に……あっ、うわぁ――」
大量の獣に押し潰されるように二人はその勢いに叫ぶ。あっという間に手持ちの餌を奪われると、獣達は二人の顔を舐め始めた。くすぐったいようなこそばゆい感触にタナトスは笑いながら言った。
「アハハっ、すっごく可愛いでしょ?!」
獣の涎でベタベタの頬をぬぐいながらテュポンは呻いた。やがて餌が無くなったことに気がついたら獣達は二人をそのままに何処かへ去っていった。
「一体何なのよ、これ……」
「ポンちゃん髪の毛ボサボサだよ! ハァーっ、楽しかったねぇ」
楽しそうに笑うタナトスは満足そうに息をついた。そんな彼女の様子をテュポンは呆れたように見ていると、ふと目が止まる。ボサボサに逆立ったタナトスの髪の毛は獣達から抜け落ちた毛で倍以上に膨らんでいた。とぼけたその姿に思わず口元が緩む。
「あっ、ポンちゃんやっと笑った。ね? 楽しかったでしょっ」
驚いたように口元へ手をやるテュポンは、確かに緩んだ口角を擦る。いつの間にか楽しんでいた自分自身に驚いた様に目を丸くして、彼女はタナトスに告げたのであった。
「……タナトスだって、ボサボサじゃない」
「そんなことない……ああっ、本当だ!? どうしよう、コレとれるかなぁ」
二人は互いの姿を見て笑い合うのであった