Ep.92 夜半の力試し 上
長くなりましたので分割します。
薄曇りの下、風のない森の中は蒸しかえっていた。昼間のうちにたっぷりと貯めた熱を逃がすような、蒸し暑い不快な夜であった。現役を退いた伝説級元騎士は、蓄えた無精髭を撫でて二人を見る。
「さてと、そろそろ準備はできたか?」
戦王アーレウスは軽く腕をまわしながら尋ねる。重い鎧を外しながらティナはレヴァナントに小さく溢した。
「まさかこんな事になるなんて。流石に実戦まではしないと思うけど……」
彼女の小声が聞こえたのか、アーレウスは離れた場所で付け足した。
「お前らは得意の剣でいいぞ? 飛び道具ももちろんアリだ、全力でやって構わない。ただ、言っておくが俺も手を抜くつもりは毛頭ないからな」
弟子の甘い考えを見透かしたように師匠から檄が飛ぶ。緊張の走る二人はそれぞれの剣に手を掛けた。恐れなのか、武者震いなのか、無意識に震えるレヴァナントの肩を叩き、タナトスは言った。
「いよいよって時は七死霊門でバーンッとやっちゃう?」
「バカ野郎……血の海にでもするつもりか? いや、もしもアーレウスが本当に本気で来るなら七死霊門でも敵うかどうか……」
タナトスは驚いたように男を見ると「そんなにすごいんだ」と感嘆した。
「おーい、そっちのお嬢ちゃんは離れていた方がいいぞ?」
アーレウスの声にタナトスは心配そうにレヴァナントを見た。視線で物語る彼女にレヴァナントは鼓舞するように強がって見せるのであった。
「離れてろ、タナトス。心配すんな、今は不死身だ。レイスの手掛かりは必ず聞き出して見せる」
瞋の剣を抜いたレヴァナントは反対の手を銃へ置く。ティナも腰に下げた歪な長剣を抜いた時、アーレウスはようやくかと口を開いた。
「制限時間は、そうだな……夜明けまで。それまでにお前らのどちらかでも俺に一撃を浴びせられればお前らの勝ち」
「その場合なもちろん、さっきの約束は果たしてくれるんだよな?」
当たり前だと言わんばかりに肩をすくめるアーレウス。
「……師匠は丸腰で戦うつもりですか?」
ティナは剣を構えて口走ると、思い出したかのように辺りを見回す。
「そういや忘れてたな……俺は、ま、これでいいか」
そう言ってアーレウス林の中から手近な長い木の枝を拾い上げる。剣のように木片を正中で構えると何度か試しに振っていた。納得したように頷くと、二人にそれを向けるのであった。
「なんだよ……本気ってのはハッタリなのか?」
「いいえ。剣でなくとも師匠が振れば、それ事態が危険な代物。例えそれがあんな木の棒でもね、油断してると命を落とすわよ?」
冗談かと聞き返そうとするレヴァナントは、その構えに言葉を詰まらせていた。腰を落とし切っ先に目線を合わせるティナの雰囲気は、真剣そのものであった。揺れるような波状の長剣の尖端は獲物を狙いすますように静止している。
「事情はどうあれ、私は自分自身を試すためにここへ来た。悪いけど、おもいっきりやらせてもらうよ」
深呼吸するティナは大きく吸い込んだ息を細く吐き出す。僅かな静寂が過ぎ去る刹那に彼女は動いた。
「――行きますッ」
ティナの初動に遅れるように巻き起こる風は、青い葉を揺らして衝撃を広げた。巻き上がる風圧に堪えるレヴァナントは、彼女の細い刺突剣の行く先を見ていた。
「神速の"速剣"から"剛剣"による強打、威力は及第点ってとこだな。しかし技のキレに関しては今一歩だ、踏み込みがもう半歩遅い」
事も無さげにそれを躱したアーレウスに対し、ティナはすぐに追撃にでる。
「チッ……流石にやりますね、師匠」
追い込むように手数の多い突きの連撃を繰り出すが、それも師匠にはまるで当たらない。息つく間もない二人の攻防をレヴァナントはその場に固まってただ見つめていた。
「――ここッ!」
悠々と突きを躱していたアーレウスについに一撃が届く。仰け反るように宙を廻るアーレウスに確かな手応えを感じるティナ。
「手数が多い分、一撃の重さが落ちる"重剣"を囮に強打を混ぜたか。なかなか考えたな、しかし……」
後方に廻る男はまたも余裕といった表情で着地すると、握りしめた木片を振りかぶる。
「溜め無しでは圧倒的に威力が落ちるな。まだしばらくは、あの鎧着て修行を続けていろ」
アーレウスの強烈な一撃はティナを軽々と吹き飛ばした。
「おい、お前も傍観決め込むなよ?」
一足のうちに斬りかかるアーレウスに、レヴァナントは刃で受ける。