第84話、道半ば
一度気になると、意識がそちらへ流れていく。
集中してダンジョン攻略にあたっても、ふとしたタイミングで不安が脳裏をよぎり、その集中力を散らしてしまう。
肩が重い。足が重い。疲れているのかな。何だか、こういうことは前にもあった気がする。
そうだ。朝起きて、会社へ出勤する時のアレだ。ろくな睡眠時間もなく、またも仕事に行かねばならない日々。やる気が失せていく。
時間を意識し、やらなくちゃと思ったあたりで、おかしくなった。
気晴らしをしないと駄目になる。どうするべきか。カスティーゴには、娼館があって、ザーニャさんがいて……いや、もういないんだ。
この世界にあった至福の時間はもうないし、戻ることもないんだ。
俺はいったい何をやっている?
邪神塔ダンジョンを進む。相変わらず、モンスターやトラップが俺たちを阻む。
異世界くんだりに呼び出され、魔法使いやって……。俺は、何で邪神塔に挑んでいるんだっけ……?
自分の存在に多少の箔をつけるため。
攻略されたことのないダンジョンを踏破する。
でも、俺がここをクリアしなくちゃいけない理由じゃないよな……。
ダンジョンスタンピードがあって、周りに大きな被害が出て、人が死んだ。だけどそれは、これまでもそうだった。俺がカスティーゴに来る前からずっと繰り返されていたことだった。
攻略はされていないけど、俺が攻略しなくてはいけない理由にはならない。
ぶっちゃければ、俺じゃなくてもいいわけだ。すでに俺は、大竜討伐に貢献している。それだけでも、俺にとって何もない異世界に、俺の存在は充分箔がついたんじゃないか?
……もう、やめてしまってもいいんじゃないか?
俺の踏み出す一歩は限りなく重くなっていく。まるで水を吸った泥が靴にまとわりついているように。
何のために、こんな苦労をしているんだっけ……?
「――ジン……ジン!」
「ん?」
かけられた声に顔を上げれば、頬にマジックポーションの瓶を押し当てられた。
冷たっ――くはなかったが、反射的にビクリとした。
「疲れたか? それ飲んでおけ」
ベルさんだった。
ダンジョンの中。クーカペンテの戦士たちが周辺を警戒しつつ、休憩をとっている。俺は受け取ったポーションの瓶を見つめる。透明な瓶の中に、水色にも見える薄い緑の液体が揺れている。
「……」
「どうした?」
「いや……俺はそんな疲れた顔をしていたか?」
「ああ、まるで砂漠をさまよっている奴みたいな目をしてたぜ」
腕を組み、近くの階段状の石段にもたれるベルさん。俺は苦笑する。
「砂漠か。……言い得て妙だな」
「広いダンジョンだ。だが、50階も、もう半分もないぜ」
そうだっけ。今、何階だっけか。いつから数えていないか? 20階は超えて……ああ、思い出してきた。確かに25階だ、今は。
「あと半分……」
「もう半分だ」
ベルさんは不敵に笑う。
「ここは面白いダンジョンだ。オレたちは往復しているわけだが、一度通っているはずなのに、まったく違うフロア構成だ」
「まあ、新鮮味はあるな」
俺としては手順や道順がわかっているほうがいいんだけどな。ドッキリもサプライズも、やるのはともかく、やられるのは嫌だ。
「人生は楽しんだもん勝ちだ」
ベルさんは、周囲を眺めながら言った。
「とくに、お前ら人間の寿命は短い。数十年なんて、あっという間だ」
そりゃベルさんは長生きだもんな。俺はポーションの入った瓶のコルクを抜く。
「ベルさんは人生、楽しんでる?」
「ここにオレがいる。それが答えだ」
つまらなかったら、俺なんかと一緒にいないって解釈でいいのかな?
「昔話をしよう。オレがまだ魔王として、天使どもと戦っていた頃だ――」
俺はそれとなく、周りに気をくばる。クーカペンテの戦士たちは、それぞれ離れていてこちらの話は聞こえていないようだった。ベルさんもあまり大きな声を出していないからね。
「悪魔と天使で戦争が時々起こるんだが……それがまた、飽きるほど戦いが続く」
ベルさんは語った。
無尽蔵の物量がぶつかりあい、大悪魔や大天使の一撃が、数百、数千の敵を消滅させる戦い。……スケールでか過ぎて、ちょっと俺ついていけない。
来る日も来る日も天使と戦い続ける日々。終わりのみえない戦い。削がれていくのは心と神経。あまりに長い激闘に、飽き飽きしたというベルさん。
「それに比べたら、こっちはマシだ。だってそうだろう? この塔には終わりがある。あと25階突破したらゴールだ」
「屋上についたら終わりって保証もないけどね」
「言うなよ。お前が言うと、何故か本当になる気がする」
「冗談だよ。俺としても、こんな塔は早く終わってほしい」
マジックポーションを口にする。……良薬口に苦し、とはよくいったものだ。所詮、薬だ。うまくはない。特にこのニオイがそのまま味になっているようなのがいただけない。
「一歩ずつ進めばいい」
ベルさんは口元を歪めた。
「進み続けている限り、いずれはたどり着く」
「そうだな」
「ただ、慌ててはいけない。ゴールが見えてくると、自然と急ぎたくなるものだ。焦りは余裕を奪い、希望は絶望に変わる」
遠くを見る目になるベルさん。
「焦るあまり、見えるものも見えなくなる」
「……今日はやけに説教するじゃないか」
俺は空っぽになったポーションの瓶を革のカバン――ストレージにしまった。
「お前さんが、先を急ぐあまり余裕を失っているようだったからな」
ベルさんが俺を指さした。
「そんなマジックポーションに頼るようなフロアじゃなかっただろう、このあたりは」
「……」
だったかな? 立ちふさがるモンスターを蹴散らして……。――うん、言われてみれば、そうだっかもしれない。
「『人生は楽しめ』か」
俺は天井を仰ぐ。……このフロア、やけに天井が高いな。しかも太陽光ではないにしろ、光が差し込んでいるのか白く見える。
「一歩一歩、確実に。急いで進むのはもったいない」
見えるものも見えなくなる――まったく、比喩だと思ったが、案外見えてなかったな。自分の今いる場所が、ようやく見えてくるなんて。
「時々、立ち止まって景色を眺めるのもいい。進み続けている限り――」
「「いずれはたどり着く」」
最後は俺とベルさんの声が重なった。思わず苦笑する。
「ありがとう、ベルさん」
「いいってことよ、兄弟」
クーカペンテの戦士たちが集まってくる。どうやら休憩時間は終わりのようだ。
さあ、次へ行こう。
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