第4話、ひとまずトンズラ
身の毛もよだつ絶叫。ドロドロした赤い手が哀れな犠牲者を包み、杖へと吸い込まれた。人間だったものが引き延ばされ、杖に喰われたのだ。杖についた触媒だろう結晶体が血のように赤く色づく。
一連の行為を目撃した俺は、心臓を鷲づかみにされたような痛みを感じた。圧迫感と、こみ上げてくる吐き気。身体は凍ったように冷え込み、全身を寒気が走った。
おぞましい。『怖い』という感覚をまざまざと思い知らされた格好だ。
……俺も、あの研究所とやらにいたら、いまの男みたいになっていたのだろうか。……冗談じゃないぞ。
女の高笑いが聞こえてきた。改めて見れば、例の杖をもった魔女が大笑いしている。心の底から楽しそうなそれは、つい今し方、一人の命を奪った直後とは思えない。俺の中で憎悪の感情がマグマのように噴き上がる。
何がおかしい……? 何がおかしいって言うんだ!
「これでまたひとつ、魔器が完成したわ」
魔女は杖を見やり、頬ずりしはじめた。
こいつ正気かと思った。ひと一人を犠牲にして、何を笑ってやがる……!
無意識のうちに歯噛みしていた。憤怒の感情に突き動かされかけたまさにその時――
「おい、ジン!」
ベルさんの声。と、同時に身体が抱え上げられた。突然、視界が動き、ジェットコースターに乗ったように景色が流れた。
何が何だかわからないうちに、ベルさんへの抗議の声をあげかけた時、箒らしきものに乗った魔法使いの姿が見えた。
帝国兵――!? 回り込まれていたのか!?
背筋が凍る。とっさにベルさんが俺を抱えて飛ばなければ、奴らに不意打ちされていた。って、ベルさん、俺を小脇に抱えて重くない!?
「ちっ、完全武装の魔術師ってか?」
ベルさんが舌打ちした。
「ライトニング!」
左手から電撃の魔弾が放たれ、魔術師を直撃。たちまち撃ち落とした。だが帝国の魔術師は一人ではなかった。
アイスブラスト――尖った氷の塊が立て続けに飛来。ベルさんは俺を抱えたまま、跳躍の魔法で脚力を強化して飛び抜ける。
「ちと、面倒だ。ひとまず退却だ。ジン、連中の足止めだ。適当に魔法を撃て!」
「お、おう……!」
逃げるのか? いや、ベルさんとて俺を抱えては満足に戦えないか。くそ、これじゃ俺が足引っ張ってるみたいじゃねえか!
「紅蓮の炎、焼き尽くせ!」
ファイアボール(大)の魔法発動。敵が空中に浮かんでいるなら森に引火はしないだろう。まとめて吹っ飛べ!
二人の魔術師を包み込む巨大火球。ざまぁ! ……と思ったら、片方は黒焦げになって落下したが、もう片方が無傷だった。
よく見ると、薄黄色いリングのようなものが魔術師の手前で盾のように展開されていた。
「魔法が効かない!?」
「防御用の障壁だ!」
ベルさんが加速した。
「あれで攻撃を防ごうって魔法だ。まあ、そんなこったろうと思った。つーことでトンズラだ!」
森の中へと突っ込む。あまりに速くて、俺は目を回しそうになる。……やべ、酔ってきた。
よくこんな森の中をロケットみたいにかっ飛べるな。俺でさえそう思うのだから、箒に乗った敵魔術師が空から追いかけるのは困難だった。
視界から見失ったのだろう。俺たちは大帝国の追っ手を振り切ったのだった。
・ ・ ・
「ジン、大丈夫か?」
ベルさんが俺の肩を叩いた。
座り込んだ俺は、小さく首を振る。
「最悪だ」
酔いは収まってきたが、同時に後悔と怒りが思考を満たしていく。
異世界人が、敵の言うところの魔器の犠牲になった。人の生命力と魔力を封じ込める呪われた武器。犠牲者の苦痛の絶叫は、思い出しただけでも心を締めつける。
そんな光景を目の当たりにしながら、俺は何もできなかった。
助けることも、襲ってきた連中を撃退することさえ。
俺はまだまだ未熟だ。魔法を覚えたばかりのルーキーだ。専門の訓練を受けてきただろう大帝国の魔術師たちと正面から戦える力はない。
ベルさんは、それがわかっていたから俺を抱えて、逃げに徹した。もし、俺がまともに連中と戦う力があれば、大悪魔で魔王のベルさんはその力を発揮して、敵を全滅させることもできたと思う。
「連中は、オレ様たち、施設から脱出した奴を追っているのだろう」
ベルさんが遠くへと視線をやる。
「あの村で魔器にされた奴もそうだったんだろうな。でなきゃ、あの状況は説明がつかん」
「俺たちを追ってる……?」
「あぁ。たぶんな」
ちら、とベルさんが俺を見た。
「お前さんはこれからどうする?」
「……どうするとは?」
「文字通りこれからのことさ。奴らから遠くへ逃げるか? それとも――」
「戦うか、だろう」
戦えるか、という問題がまず先ではあるのだが。俺はベルさんを見上げた。
「今の俺では、奴らとうまく戦えない。圧倒的に経験も、魔法も足りない」
「……」
「だけど――」
このまま逃げ回るというのも癪だ。
「奴らに勝てるように強くなりたい、と言ったら、ベルさんは俺に教えてくれるか?」
「……もちろんだ」
ベルさんはニヤリと口もとを歪めると、俺に手を差し伸べた。
「オレ様も奴らには借りがあるからな。このまま引っ込むのは腹の虫が治まらん」
その手が俺の伸ばした手を掴んだ。
「安心した。オレ様が契約をした奴が腰抜けじゃなくて」
引っ張り上げられる。
「なあに、お前さんは、そこらの雑魚と違って魔法の才能があるからな。帝国の魔術師を凌駕するのにさほど時間はかからんだろう」
「そりゃ頼もしいね」
俺は肩をすくめる。魔王様のお墨付きだ。
それにしても、ベルさんは本当面倒見がいいよな。悪魔で魔王らしいのに、俺みたいな凡人の面倒をみてくれて、一緒にいてくれるっていうのは。
本当、感謝しかない。
彼に報いるためにも、そしてこの世界で俺が生きていくためにも、これからの教えは決して無駄にはできない。
……それはそれとして。
「なあ、ベルさん、あんた、本気を出したら、あの場にいた帝国兵を皆殺しにできたんじゃないか?」
「そりゃな、できただろうよ」
あっさりと認めるベルさん。俺は眉をひそめた。
「やっぱ、俺が足手まといだったか……?」
「まあ、連中と互角以上に立ち回れないだろうなって思ったのは事実だ」
ベルさんは天を仰いだ。
「この際だから、ジン。お前に言っておく。お前どうこうではなく、オレ様のことだ」
「……うん?」
「ここでは、オレ様は本気を出さん」
本気を出さない? 何を言ってるんだ?
「オレ様が強すぎて、本気の力を解放したら、それだけで周囲から目立ってしまう。この地上世界に干渉しているとして、天使どもがやってくるかもしれん」
天使――そういえば、ベルさんはそれらと戦っていたんだっけ。
「別に天使の一人や二人、数十でも数百でも問題はないんだが、極限なく連中が押し寄せるのも面倒だ。……お前さんが自立できるまでいるって約束も果たせなくなるからな」
「ベルさん……」
なんでそう、さりげなく、俺を気づかってくれるんですか、この魔王様は。
「お前さんはオレ様に恩を感じているようだが、オレ様もお前には借りがあるからな。これくらいどうってことないさ」
そう言うと、ベルさんは豪快に笑うのだった。
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本日はもう一話を夜投稿予定です。