第18話、最高の夜
その人は、ザーニャという名前だった。
長い銀色の髪に、やや垂れた目から感じる柔和そうな表情。すらりとした体格で、外見からは二十代だと思うのだが、落ち着き払った態度、仕草は母性をかもしだし、はっきり年齢がわからなかった。
ただ、とびきりの美女であることに間違いはない。
初めて訪れた娼館。すでにベルさんが下準備を整えていたらしく、あれよあれよといううちに、彼女――ザーニャの部屋に通された。
幸運を、と言い残し去るベルさん。元の世界でもこういうのに縁のなかった俺は、すっかり緊張してしまった。
そんな童貞の俺に、ザーニャは優しく微笑み、まずはお風呂にと導かれた。すぐ隣が浴室になっていて驚いた。
「お風呂があるんですか?」
「ええ、最上級のお客様には」
……ベルさん、いったいあんた、幾ら払ったの? 初の娼館でそれっていいのだろうか?
そういえば、俺、この世界でお風呂って初めてだ。普段は、水に塗らした布で拭いたり、人のいない場所で、水魔法をシャワー代わりにして頭を洗ったりしてはいたけど。
「お、俺は、こういう経験ないんですが」
どもってしまった。恥ずかしい……。
「ええ、誰もが最初はそうよ」
ザーニャ、いやザーニャさんはどこまでも優しかった。年下なのか年上かわからないが、この手の商売は基本若いうちの仕事だろうから、たぶん年下だと思う。ただ、その人間離れした美しさというか、天使のようにも思えて、自分でもよくわからなくなってきた。
そんなわけで、ザーニャさんに身体を洗ってもらう。お肌がふれ合い……正直、たまりません。天にも昇る心地とは、このことか――などと童貞は思いました。
その後、部屋に戻り、俺は脱童貞を果たした。ありがとう、天使様、女神様。
「また来てもいいですか?」
「ええ、私はお店から動けないから、お金が掛かるけれど、来てくれたら嬉しいわ」
ですよねー。そういう店ですし。
「私を指名してくれるお客様って中々いないから。いつ来てもすぐに会えるから」
笑顔で送り出してくれる、ザーニャさん。
また来よう。俺にとって、しばらく忘れていた癒やしの世界がそこにはあった。
・ ・ ・
俺がザーニャさんと素敵な一夜を過ごしている間、ベルさんもまた娼婦を買っていたらしい。……でもベルさんは悪魔――いや深く考えてはいけない気がする。
「たまには息抜きも必要だ」
そういうベルさんには、俺も賛成したい。
「ありがとう、ベルさん。おかげで俺、魔法使いになる前に童貞を捨てられたよ」
「お前は魔法使いだろう?」
何言ってるんだ、と白い目を向けられた。三十まで童貞だったら魔法使いになる……というのはネタというか、割と常識ぶって考えていたけど、こんな異世界でそんな言葉があるはずもない。
「ちなみに、ベルさん。ザーニャさんはとても素敵だったけど……幾ら払ったの?」
「幾らって……知らん」
「え? 払ったんだよね?」
最上級のお客様って、風呂までいれてもらえたんだぞ?
「ああ、オレの持っている宝石をひとつくれてやった。なに、山ほどあるうちのひとつだ。大したことはない」
さすが魔王様。ポケットマネーが半端ない。
「たぶん、お釣りがつくくらいあるはずだが、それはいらんからお前さんにサービスしてやれと言っておいた」
「ベルさん……」
泣ける。何でこの魔王様は……。感動する俺である。初の娼館で最高の思い出をと手配してくれた心遣いに感謝だ。
「まあ、一番高い値段はついていたけどな。あの店で一番の娼婦らしい」
「一番っていう割には、中々指名されないって言っていたぞ?」
そんなに高いのか、ザーニャさんって。いや、一度経験してしまうとそうかもしれないとも思うが。
「確かに高めではあったが、頑張って稼げば一晩買えるくらいの値だったはずだがな」
ベルさんが首をかしげている。だがいいことを聞いた。
「また、彼女と遊べる?」
「お、気に入ったのか? お前さんがこれまで稼いだ分でも一晩くらい余裕で遊べるはずだ。毎晩通いたければ、もっと稼げばいい」
ハハハ、とベルさんは愉快そうに俺の肩を叩いた。こういう後押ししてくれる相棒って最高だよな。
・ ・ ・
翌日、カスティーゴの冒険者ギルド。
いつもの如くクエストを探しにきたら、何やら周囲から視線を感じた。あまり好意的ではない類いの。全員ではないが何人かの冒険者が、俺を見て何やら囁いている。……俺、何かしたか?
ベルさんも首を傾げる中、ギルド職員が俺たちのもとへやってきた。
「ジン、ギルド長があんたをご指名だ」
「ギルド長?」
唐突なその単語に俺は驚いた。冒険者ギルドのギルド長……。いやまあ、いるんだろうけど。俺は面識ないけどね、その人と。
ベルさんは眉をひそめた。
「上級冒険者には、指名依頼が来ることもあるらしいって言うが……」
「何だろうね……?」
呼ばれているのだから、行くけどもさ。俺とベルさんは、ギルド長のいるという部屋へと案内される。
「ギルドマスターのテメリオ・ロバールだ」
その男は、ずいぶんと高圧的だった。四十代、いや三十代後半だろうか。ずいぶんとお腹まわりが出ていて、身なりもそれなりに高そう。冒険者というより、お貴族様のような。
「ジンという魔術師はお前か?」
「そうです」
はてさて、何やら表情が険しく、声にも刺を感じる。
「ザーニャと一晩を過ごした魔術師で間違いないな?」
「は?」
なんでそこでザーニャさんの名前が出てくるの? 俺は面食らった。
「ええ、まあ」
「ここじゃ、娼婦を買うのは問題なのかい?」
ベルさんが口を開いた。ロバール氏はベルさんを見て「何だお前は」と睨んでいた。ギルド職員が、Aランク冒険者であるとベルさんを紹介すると、そうか、とだけ言って、再び視線を俺に戻した。
「ジン……えーとお前はBランクの魔術師だったな。その腕を見込んで、ちょっと魔物退治を依頼したい」
おい、とロバール氏は、ギルド職員に顎で合図した。横柄だなぁ、と思いつつ、職員が渡したクエスト依頼書を見やる。
『蛇神遺跡の調査と、双頭竜の討伐』
何これ? 俺が顔を上げると、苛立たしげに机を叩きながらロバール氏は言った。
「頼むぞ」
拒否権はなしですか。
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