プロローグ、ジン生。そして魔王と出会った。
エピソード1です。どうぞよろしくお願いいたします。
いつからだろう。英雄に憧れたのは。
いつからだろう。普通の人間が英雄になることはないということがわかったのは。
振り返れば、つまらない人生だった。
普通の家に生まれ、普通に学校に通い、普通の会社に……いや、普通よりも、ブラックに近いグレーな会社に務め、心と身体を壊した。
そのまま会社を辞めたら、表に出ることはほぼなくなった。引きこもり、ネットやゲームに逃げ、元から多くはない蓄えを食いつぶし、その結果――
死んだ……はずだった。
だが、俺は生きている。
見知らぬ土地、見知らぬ世界で。
時友ジン。二十八歳、独身童貞。
これは、俺が英雄と呼ばれる魔術師となり、そして裏切られる物語だ――
・ ・ ・
――オイラと契約して魔法使いになってくれ。
最初は詐欺かと思った。闇の中から聞こえたその声。単に暗い場所だったわけではなく、目隠しをされていただけだったのだが、とにかく、その時の俺は何もできず、頼るものはなかった。
その声が言うには、俺は違う世界に呼び出されたらしい。……いわゆる異世界。
大帝国とかいう国の連中が、異世界から人や他の生物を召喚し、魔法武器の素材にしているという。
そしてこのままでは、俺もその武器の素材にされてしまうらしい。さすがにそれは願い下げだ。遠くから聞こえたおぞましい悲鳴が、その犠牲者だと聞いてはなおさらである。
この得体の知れない声の主も捕まっていて、そこから脱出するのに、ちょっと力が足りないらしい。
好きにしてくれ。契約でも何でも。この得体の知れない状況で殺されるよりマシだ。
するとあの声は答えた。
――よし、契約成立だ。では、お前の力をちょっと借りるぞ……。
直後、バリバリと物凄い力で金属を引き裂くような轟音が響き渡った。あまりのことに視界が真っ暗で何も見えなかったはずの俺でさえ、身が縮んだ。
破壊、そして悲鳴が立て続けにあがる。
『よくもオレ様をこんなところに呼び出してくれたなァァァ!!』
あの声の主――オイラだったものがオレ様になっていたが、おそらく同じ人物だろう。声に幾分かエコーがかかり、また、聞く者を怯ませる低い声だったが。
『この大悪魔にして、魔王たるオレ様に不自由を強いた罪、思いしれぇぇーっ!!』
悪魔? 魔王? 俺は、とんでもない相手と契約してしまったのではないか? 見えないので状況の理解が追いつかないのだが、あいかわらず金属がきしみ、絶叫と破壊音は止まらない。
さすがにこれは身の危険を感じる。
『おっと、危ない!』
さきほどの声が間近で聞こえた。
『まだ目隠しされていたんだったな。どれ、その縛めともども解いてやろう』
俺に言っているのだろう。先ほどまでの怒号がなりを潜め、声のトーンを落としてくれた。ひょっとして、意外に紳士的なのか、この人は――?
目隠しがとられ、また俺を拘束していたものが解かれた。
目の前にあるのは瓦礫の山。鉄と肉の焼けるニオイが漂い、それまで建物の中だったのだろうが、見る影もない。
戦争があった、と言われれば、即納得できる惨状が広がっていた。動くモノはない。先ほどまで聞こえていた悲鳴も途絶え、おそらくその命も摘み取られてしまったのだろう。
なんともまあ、よくもやってくれたもんだ。
俺はといえば、室内着のジャージを着ていた。肩に埃が乗っていたので軽く払う。ふと、すぐそばに立っている気配を感じて、視線をスライドさせた。
黒い人が、すぐそこにいた。目が赤く光っている以外は真っ黒で、もやのようなものに包まれている。
ホラー映画なら明らかに化け物の類いだろう。だが今はどうやら真っ昼間らしく、天井が失せたこの場には太陽の光が燦々と降り注いでいた。
『ふん、たわいもない。所詮、人間とはこの程度よ』
低い男の声。凄みのあるその声を発した黒い人……人なのかな? とにかく、その黒い人はその赤い目を俺に向けた。
『お前のおかげで、忌々しい天使の檻から出ることができた。礼を言う』
「あ、いえ」
大暴れした悪魔だか魔王だかの黒い人が俺に感謝を告げた。……天使がどうとか言っていたが、俺は本当にとんでもない相手に手を貸してしまったのではないか……?
とはいえ、俺に対する態度は、禍々しさもなく、むしろ普通に礼儀正しさのようなものさえ感じさせた。敵意を向けられないなら、俺も素直になる。
「こちらこそ。助けていただいて感謝しています。その……お手を煩わせたようで、もうしわけないです……」
『お互い、武器の素材にされかけた者同士だ。契約した手前、早々に見捨てたりはせんよ』
声は怖いのだが、物腰は思ったよりソフトだ。やはり、いい人なのかもしれないな。……いや、人じゃないけど。
そういえば契約したけど、とくに何もしていないが、何かしたり対価を払ったりしないといけないんだろうか……?
『それでお前は――』
「時友ジンです」
俺が名乗ると、黒い人の目が礼をするように動いた。
『ベル・ゼブブだ』
ベルゼブブ……はて、そんな名前の悪魔を俺は聞いたことがあるぞ。元の世界では、ラノベやゲームをたしなんだ口である。たしか、七つの大罪とかいう大悪魔の中にそんな名前があったぞ――
『で、ジンよ。お前はこれからどうする?』
ベルゼブブと名乗った黒い人が聞いてきた。これからどうする、か……。
「……どうしましょう?」
ここ、いわゆる異世界というやつですよね……。
「私はこの世界のことを何も知りませんし、当然ながらツテもアテもありません」
『ふむ……。だろうな』
本当、どうしよう。俺は途方に暮れる。
『それは困ったな。……そうだな、お前には借りがある。自立できるまで、オレ様が助けてやろう』
「え……?」
俺は聞き違いかと疑った。だってこの人は、魔王で大悪魔なんでしょ?
「いや、いいんですか? 元の場所に戻らなくて?」
『構わん』
即答だった。いや、しかし――
「ご迷惑ではないですか、そのベルゼブブさ――」
『ベルでいい』
「ベル、さん」
『ベルさん?』
一瞬、俺を見るベルゼブブの目が睨むように動いた。さん付けは、まずかったか? 呼び捨てよりはいいと思うが……。紳士的だからつい気を抜いてしまった。
『いや、ベルさんでいい。ひとまず、よろしくだな、ジンよ』
こっちは呼び捨てなのね。ま、いいけど。
思わず苦笑いの俺。するとベルさんは、黒い人から姿を変えた。
変身、というやつか。浅黒い肌のがっちりした成人男性に。ややパンクな雰囲気をまとう戦闘服っぽいものをまとうベルさんは、すらりとしながら長身。それでいてアメコミヒーローのような逞しい姿となった。……男の俺から見ても、かっこいい。
「さて、ジンよ。いつまでもこんなガラクタの山にいるわけにもいかん。さっさと移動するとしよう。ついでに、この世界のことで、オレ様が知っていることをいくつか教えてやる」
人の姿になっただけで、何というか頼もしさ数十倍。無人島に流された時に会ったら百パーセント頼りにしちゃうようなタイプである。
いや、マジで、異世界にきちゃったけど、頼れるものがあるっていいな。
ともあれ、これが異世界魔王にして、のちの相棒となるベルさんとの出会いだった。
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本日、第一話を投稿予定です。