三章
ナリナの過去を聞いてからも何とか普段どおりに接していると、
「昨日のスティーブン・セガールの映画、観たか?」
「ああ、観た」
「私はああいう渋いアクションが好きなんだ」
「そうかい」
などと無口かと思われたナリナは意外や意外、俺に対して必要性のあまりない会話を向こうからしてくるようになったのだ。 表情は若干明るくなった気もするが気のせいだと言われれば気のせいかとも思う。 しかしなんだ、この光景は教師サイドから見たら微笑ましいこと間違いないが、クラスメイトサイドから見たら誤解を招く以外他ない。
「おい、どうしちまったんだよお前」
放課中にトイレに立ち寄った俺に物珍しそうに聞いてきたのはナマズ顔でクラスのムードメイカーを勤めるコウスケだ。 顔以外、なんら特徴もないコウスケは隣の便器で用を足し始める。
「あのナリナが何でお前なんかに楽しそうに話しかけてくるんだよ。 どんな魔法を使ったんだ?」
どこかで聞いたことのあるような台詞だな。 して俺は硬化魔法を使われた側だ。 そしてなぜナリナが話しかけてくるようになったのかは知らん。
「まさかナリナに話しかけたりしてたら好感度が上がって、向こうからも話しかけてくるようになったとか、ギャルゲーみたいなこと言わないよな?」
……コウスケの台詞に俺の今までの行動の数々が蘇ってきた。 最初に話しかけたのは俺だ。 そしてゲームやったり柔道やったりしていくうちにこうなった。 まさか、これはギャルゲー展開なのか? いやいやいや、待て待て待て、落ち着け。 これはゲームではない、現実だ。 よって選択肢で付き合ったり別れたりするわけではない。 おそらくナリナと俺の距離はもうちょっと縮まるくらいで終わりだろう。 恋人同士になったりすることはないはず。 ていうか、ナリナが恋心を抱くなんていうことは大統領がライフルを持って最前線で戦うくらいありえない気がする。 ぶっちゃけて言えば、ナリナには優しくてイケメンな男子が似合ってるよ、うん。 そんな奴少女コミック以外で見たことないけど。 ちなみに俺は最初ナリナのことを気にも留めていなかったが、コウスケも『あの』ナリナと言った。 たぶん教師側の『あの』ナリナではなく、クラスメイト側の『あの』ナリナなのだろう。 俺はナリナがクラスメイトからなんて言われているのかは知らない。
「ナリナは面はいいんだけどなぁ、性格があれだから……。 隠れファンも多いみたいだが。 しかめっ面のナリナとはよく言ったもんだ」
何か通り名みたいなものがつけられてるぞ、ナリナ。 まぁ、合ってるといえば合っているが。 しかし隠れファンも多いらしいが……誰一人としてナリナにアプローチすらしてないな。 隠れファンの中にはリョウは確実に含まれているだろうが。
「隠れファンを敵にまわしてるからな、お前。 夜道には気をつけるこった」
コウスケはそう言うとチャックを上げて手を洗わずにトイレから出ていってしまった。 おい、待て。 俺は隠れファンとやら達に敵対した覚えはないし、なんで夜道に気をつけなければいかんのだ。 まさかその隠れファンとやらに夜道で背後からサックリということはないよな? ナリナ本人も変わってるがそのファンたちもさらに変わっていたら闇討ちに遭う可能性もなくはない……?
背後に気を配りながら教室に戻るとナリナはいつもどおりに席で本を読んでいた。 その横でリョウはナリナに何か言っているようだがナリナは聞く耳を持っていないようだ。 俺は自分の席に着くとリョウの机のほうを向いてアゴをついた。
「何言ってるんだ、リョウ」
「聞いてくれよ、ユウトォ! ナリナが柔道部の合宿に行かないってさ!!」
そりゃそうだろ。 お前らのような変態柔道部員と合宿なんざ俺でも願い下げだ。 第一、女子柔道部員はナリナ1人であって、合宿となれば一部屋に何人も固まって寝ることになるだろう。 ナリナと相部屋の奴が後輩その1,2,3とかだったらどうするんだ。 ナリナに腹を空かせたライオンの檻で寝ろと言っているようなものだ。
「どうしたら合宿に行ってくれるんだよぉ、ナリナぁ……」
もはやリョウは椅子の上で正座しているとナリナはパタンと本を閉じて机の中にしまう。
「合宿は行かない。 キャンプなら行ってもいい」
えーと、用は修行目的で合宿をするのではなく遊び目的でキャンプなら行ってもいいということだな。 しかし、それでは合宿ではなくなってしまうのではないか。
「よし、わかった! 合宿は中止してオレたちでキャンプしよう!!」
目を輝かせてナリナと俺の肩に手を置く。 おい、なぜ俺の肩に手を置く。 俺は柔道と何の関係もないぞ、離せ。
「お前は我が柔道部の救世主になるやもしれん存在だ。 もちろん連れて行く」
お前の言う救世主ってのは柔道の試合のどさくさに紛れてナリナの服を脱がそうとする戦士のことだろう。 俺は変態ではないうえにれっきとしたサッカー部のレギュラーなんだよ。 ていうか9月に空いてるキャンプ場はあるのか。
するとリョウはチッチッチと舌を鳴らす。
「穴場スポットを見つけたんだな、これが。 ここから2時間ほど電車で行ったとこにあるキャンプ場はバンガローがあってバーベキューするとこがあって、ドラム缶風呂があるんだぜ」
まぁ、キャンプ場プラスαな感じか。 で、そこに俺とナリナと行きたいって?
「オレたち3人以外に誰か誘うか? 誰でもいいぞ?」
俺的には監視する対象が増えないほうがいいが、紳士が俺一人では心許ないのもある。 それよりも重大なことを忘れていた。 俺はまだ行くとは言ってないぞ。 だが、ナリナが行くなら俺も行かねばなるまい。 ボディーガードとして。
「で、結局目的地がキャンプ場になったが、ナリナは行くのか?」
「……行く」
それを聞いたリョウの顔が夏を待ちわびていたひまわりのように輝く。 仕方ない、ナリナが行くなら俺も行くしかないな。 サッカー部だけど。
となればあとは人員の確保と持ち物の購入だな。 学校行事以外でキャンプなんてしたことない俺に当然キャンプ用の持ち物があるわけがなく、少ない所持金で買わなければならない。
「オレはもう道具は揃ってるから、人員を集めとくぜ」
「了解。 なら、俺は自分の持ち物を休みの日にでも買いに行くかな。 ナリナは持ち物とか揃ってるか?」
「ない」
キャンプ行きたがってるわりには道具を持っていないのか。 これまた仕方ないな。
「なら、今度の休みに俺と買い物に行くか」
ざわっ 俺がそう言うと周りの視線の全てが俺の串刺しにした。 お前ら、ひょっとしてワイワイ騒いでたくせに俺たちの会話を盗み聞きしてやがったのか? 15歳というお年頃なのはわかるが、全員が全員、俺達の会話を聞くことはなかろう……。
しかし、そんな視線の中でもナリナはゆっくりとうなずき、「行く」と言った。
俺は隠れファンからボコボコにされないだろうかという不安を胸に秘め、最寄の駅でナリナを待っていた。 にしても何なんだ隠れファンって。 学校に暗躍する謎の組織みたいじゃないか。 実際謎だけどさ。
とりあえず今日買う物はメモしてきた。 リョウに聞くところによると大きなもの(テントやテーブルなど)は向こうが用意してくれるらしい。 俺たちが必要なものは水筒や懐中電灯などなどそういう小物類だ。
時計を見ると10時40分。 待ち合わせは11時だから、ちょっと早く来すぎた気もする。 周りを見ればそこら中にカップル。 手を繋いだり腕を組んだり、殺意が湧いてくるな!
俺も殺意の波動に目覚めようとしていたら、遠くからナリナがやってくるのが見えた。 ナリナは白いシャツに地味な鼠色のパーカーを羽織り、下はダブダブの深緑色の長ズボンだ。 足の裾が長すぎて何重にも折り曲げてあるのが可愛らしいが、全体的にボーイッシュだな。 パーカーも体に合っていないようで、パーカーの裾から指先が出ているだけだ。 俺はというとまぁ、白いTシャツに赤いチェックの上着を羽織ってジーパンを履いているだけさ。
「待ったか?」
ナリナが俺を見上げて言う。 ふむ、普段は制服で実感できなかったが、ナリナはちゃんとくびれているところはくびれているな。 尻も小さいし、今時の娘だな。 もちろんこんなことを口に出せばショットガンの銃口をアゴに突きつけられたゾンビのような末路になるかもしれないので、口には出さない。
「いや、俺も今来たとこだ」
これって恋人同士のデートの第一声だよな。 ちなみに俺は10時半にはここに来ていた。 時間には厳しく育てられたので、時間に余裕を持って行動していることは悲しいことに余り知られていない。
とりあえず電車に乗り、二駅目で下車する。 そこは俺たちの住む街よりずっと賑やかで、デパートや服屋、ゲームショップなど様々な店が並んでいる。 通称『生活支援通り』。 まんまというか、ネーミングセンスを疑うが文字通りここで買い物をすれば普通の生活には困らないというものだ。 大通りだが、ここは車の進入が禁止されており、人が波のように蠢く。
「まぁ、アウトドアショップに行けば全て丸く収まるな。 行こうぜ」
そうしてアウトドアショップに向かうわけだが、やはり周りを見るとカップルだらけで逆に手や腕を組んだりしていないほうがおかしいというほど多い。
今の俺だったら感染するとゾンビ化するウィルスをこの周辺に何のためらいもなく撒き散らすことができるだろう。 そうしたらナリナと一緒に斧や鉈を振り回してやる。
「迷子になりそうだったら、俺の手でもどこでもいいから掴んどけよ」
その場の空気で勇気を振り絞って言ってみるとナリナはうなずきもせずに俺の左手の裾を指でちょこんと摘んだ。 おい、これでは街中を仲むつまじく歩く兄妹みたいじゃないか。 もっとこう、傍から見て羨むようなベタベタっぷりをだな……ってこれ以上調子に乗ったらマジで隠れファンたちにボコボコにされそうだから自重しよう。
人混みを掻い潜りながらやっとナリナを連れてアウトドアショップの前までやってくることができた。 店の前に立つとスーンと自動ドアが開き、冷風が流れてきた。 9月だがまだ気温は高い上にこの人混みの熱気で俺は汗ばんでおり、この冷風はまるで回復魔法のような心地よさだった。 いや、回復魔法とか体感したことないけれども。
「じゃあお互い必要なものを購入後、ここで待ち合わせな」
「了解」
せめてそこは女の子らしく「はい」やら「うん」でお願いします。 そんな願いも虚しくナリナはゴムで結んだ後ろ髪をなびかせながら人混みの中へ消えていってしまった。 しかしあれだなぁ。 ここ数日でナリナは実に絡みやすくなったな。 俺が話しかけるまではライトセーバー並みに危ない感じだったが、今やチェーンソー並みだ。 俺もナリナに慣れたのもあるが守護者として実に微笑ましい限りである。 あとは表情を豊かにして、あの男口調を治せば……グッドだ。 しかし、この2つは難しいんだよな。 なぜ男口調になったのか原因はわからない。 表情が豊かではないのは精神のせいだと思うけど。
俺はメモを見ながら必要なものをカゴに入れていく。 水筒やら懐中電灯やら軍手やらいろいろ。 ふむ、こんなものか。 一応メモに書いてあるものを全部カゴに入れ終えてレジに並ぶ。 レジに並んでいる人は結構おり、この分ではしばらくかかりそうだ。
すると俺の後ろにカゴを持ったナリナが並ぶ。 カゴを見ると水筒や柄の長いライトや折りたたみ式の果物ナイフが入っていた。 して、果物ナイフは買う必要はあるのだろうか。
「ナイフ好き」
そうか。 この娘、普通の女の子ならアクセサリーが好きというところを何食わぬ顔でナイフが好きと変換しているようだ。 それにしても中学生がそんな危なっかしいナイフを買えるのかも問題だ。
徐々にレジに近づき、俺はレジで支払いを済ませる。 結局6000円も出費して軽く肩を落としているとナリナの果物ナイフを持った男の店員はナリナのように眉間にしわを寄せて、それを購入しようとする本人を見た。
ナリナは戸惑いも何もなくその若い店員を凝視すると、店員は魔法でもかけられたかのように渋々うなずいて果物ナイフについているバーコードをスキャンしたのだ。 まさか、本当にナリナは魔法を使っているわけじゃないよな? なんでこうもすんなり行けるのだろうか、謎だ。 ナリナの支払い金額は12000円。 俺の倍もあるが肩一つ落としていないのは俺より男らしい。 俺が女々しいだけなのか。
とりあえずこれくらいあればキャンプでもサバイバルでもできるだろう。 俺はナリナの顔を見るとナリナは相変わらず表情を変えずに俺を見上げた。 アウトドアショップの前で時計を見ればまだ12時ちょい過ぎたくらいだ。 買い物も済んだしこれといってもう何もないが、このまま帰るのももったいない。
「飯でも食うか」
「うん」
これからはその返事で頼む。 そして買い物をした後に飯を食う。 もう否定はせん、これは紛れもないデートだ。 はっはっは、どうだ隠れファンたちよ、お前らはナリナに声もかけることすらできんというのに俺は飯を一緒に食べに行くんだぞ、あっはっは。
その時、俺は気分高らかに笑っている場合ではなかった。
「オラ、どこに目ェつけて歩いてんだ、テメェ!!」
そのドスの聞いた声で振り返るとナリナの目の前でいかにもチンピラのおっさんが倒れている なよなよした若者に唾を飛ばしながら怒鳴っていたのだ。 よかった、ナリナに絡んでなくて。 もしナリナが絡まれていても助けられるかわからないというか、怖気づいて何もできない。
周りの人々が冷たい視線を放ってもチンピラはまったく見る気もせずに尻餅をついている男の胸元を掴み、ブンブンと男を揺らしている。
「す、すいませぇん!! 許してくださぁい!!」
半べそをかいて謝っているがチンピラはなおも離そうとしない。 さすがに見てるこっちも苛立ってきたぞ。
「やめろ」
「あぁん!?」
学校でのいじめも誰かが止めに入らなければ終わらないように、このろくでもないチンピラの騒ぎたてを抑えるには誰かが止めに入らなければならなかった。 それはわかってはいるが、どうしてよりにもよってお前が止めに入るんだよナリナ。 おい、周りの大人たちよ、どうしてナリナより先に止めに入らなかった。 そのせいで俺が苦労するんだよ!
「あぁん? このガキ、舐めた口聞きやがって!!」
ナリナに逆上したチンピラは拳を作り、ナリナに殴りかかろうとする。 ちくしょう、俺は特殊能力も何もないただ平凡な少年ゆえにどうすることもできず、本能的にナリナとチンピラの間に立ち塞がり、ナリナの盾となることしかできなかった。
「なんだテメェ……。 どいつもこいつもムカツクんじゃ!!」
この男、様子がおかしい。 目を見れば焦点が定まっていない感じもあるし、手も震えている。 しかし、このチンピラの怒りは確かなもので、その拳は俺へと飛んでくる。
次の瞬間、ナリナは俺の脇をくぐり、チンピラのストレートパンチを両手の平で受け止めると力強くチンピラの手を捻って1回転させたのだ。 ぐるんと地面に転がるチンピラの手首は通常では曲げることのできない方向へと曲がってしまっている。
「ぎゃああああああ!! こ、このガキャ……ぶっ殺してやる!!」
右手首を折られた男は額に血管を浮かばせ、顔を真っ赤にさせながら懐に隠し持った包丁を取り出してきたのだ。 それにより周りの人々は悲鳴を上げてまた一歩後ろへと下がっていく。 にしても周りの助けに入らない大人たちも情けないが女の子に守ろうとして逆に守られている俺もかなり情けないな……。 それより、今は目の前のチンピラをどうにかしなければならない。 殺意の眼光は真っ直ぐにナリナに伸びている。
「おい、ナリナ。 ここは逃げるべきだ」
だが俺の言うことにナリナはうなずきもせずにじっとチンピラを見ている。
「この男の過剰な反応、手の震え、麻薬の症状だ」
俺もうっすらとわかっていたことだが今はこのチンピラの分析をしている場合でもない。 俺は強引にナリナの手を引っ張ると人混みの中に飛び込んで逃走を図る。 ナリナのように平然とチンピラの手首をへし折ることもできないので、ただ逃げるのみだ。 ホント我ながら情けない。
しかし後ろを見るとチンピラも負けじと人混みの中、包丁を振り回して追ってくるではないか。 そりゃ手首折られれば怒るのもわかるけどさ。
「敵の戦闘力は微弱。 倒せる」
何やら俺に手を引っ張られているナリナは後ろを見ながら人型戦闘兵器のようなことを言っているが足を止めるわけにはいかん。 再びナリナを戦わせれば負傷する恐れもあるし、何より俺の情けなさが際立ってしまう。
「動くなッ!!」
突然生活支援通りに拡声器から大音量の怒声が響いたことに驚いた俺はとっさにそれに従って足を止めてしまう。 だが、振り返ればチンピラはヨダレを垂らして包丁を腰だめに持って突っ込んでくるではないか。 ナリナが姿勢を低くして戦闘体制を取ったのを見て、俺は本能的に後ろからナリナを抱きしめて自分の背中をチンピラに差し出した。
ほら、俺の背中をやるよ。 存分に刺してくれてもいいが痛いのはゴメンだぞ。 ……それは無理な注文か。
カンッ 後ろ向きで何が起こったかわからなかったが、これは包丁がコンクリートの地面に落ちる音だ。 それにより俺はゆっくりと抱きしめていたナリナを解放して振り返るとそこには茶色いコートを着た老人がチンピラの腹にめりこむような強烈な鉄拳を入れていたのだ。 顔が真っ赤だったチンピラは今度は顔を真っ青にしてドサッと地面に堕ちた。
老人は乱れたコートと同じ色のハットをかぶりなおすと俺たちの方を向く。
「大丈夫か、君たち」
「え、あ、ありがとうございます」
何がなんだかわからない俺はとりあえず礼を言うがナリナはその老人を見た途端、血の気が引いたような顔色で俺の後ろに隠れて手の裾をちょんと摘んだ。 一体どうしたのかわからないが、とにかく今は老人に頭を下げ続ける。
「この男は麻薬売買の常習犯でね。 尾行していたとこだったんだよ」
その言葉でこの老人が警察であることがわかり、さらにホッとする俺。 助かった。 一時はナリナが戦いだそうとするしどうしたものかと思ったが……何はともあれ、これで万事片がついた。
すると老人は俺の後ろで隠れているナリナを見つけると偶然街端で知り合いに会ったかのような驚いた顔をする。 この老人とナリナは顔見知りなのだろうか。
「む、お嬢ちゃん……どこかでお会いした気がするな」
ゆっくりと老人は手をナリナに伸ばすと突然ナリナはその手を払いのけて跳ぶように後ろへ下がったのだ。 どうしたのかわからないが荒い息をしながらナリナは徐々に後ろへ下がっていく。
「し、知らない! お前なんか知らない……ッ!!」
初めてナリナが声を荒げてロボットのような口調ではなく人間染みた言葉を放つが、それは微笑ましいものではなかった。 ナリナは右手で額を覆い隠すと歯を食いしばって人混みの中へと消えていってしまった。 ナリナの目はチンピラのように焦点が定まっていなかった気がする。 心配だ。
それを見た老人はやけにごついアゴを摩りながら唸る。
「ふむ、何か気に障るようなことでも言いましたかね」
言っていない、と思う。 しかしこの2人の言っていることを照らし合わせるとこの老人にとってナリナはどこかで会ったような気がする、記憶に薄い存在だがナリナにとってこの老人は何かとてつもない出来事に居合わせたような記憶に刻まれた存在なのだろう。
「いえ、ナリナはそのチンピラに襲われて気が立ってるだけですよ」
「ナリナ? ナリナ……。 あぁ!!」
ナリナという名前に老人はパズルの最後のピースがはまったかのように手をポンと叩いて俺の顔をまじまじと見た。
「ナリナさん、ナリナさん。 ああ、そうかそうか。 いやはやどうしているかと思ったら彼氏を作って遊んでいたとは。 一年前と比べるとずいぶん風変わりしたな。 あっはっは」
勝手に喋って勝手に感心して勝手に笑っている老人。 ……ちょっと待て、今一年前と言ったな。 一年前といえばナリナが自殺未遂をした頃ではないか。 それにこの老人は警察だ。 俺の頭の中でこの老人とナリナが一本の線で繋がった。
「おっと、申し遅れた。 私はノダ。 定年間近の警部だ。 以後、お見知りおきを、青少年」
「ノ、ノダさん、教えてください! 一年前のナリナのことを!!」
気がつけば俺はノダ警部の両腕を力強く掴んでいた。 俺はナリナを普通の女の子にする計画に携わる者として、いや俺自身の意思でナリナの過去が知りたかったのだ。 なぜナリナは今の状態にまでなってしまったのか。 俺はこれからどうすればいいのか、それが知りたかったからだ。