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ナイトメア  作者: ナリ
2/17

二章

 次の日も当たり前のように学校に登校した俺は教室に入ると真っ先にナリナが目に入った。 周りのワイワイ喋っているクラスメイトを気にも留めずに自分の席で茶色いカバーがかかった本を読んでいたのだ。 いつから無愛想になったのかは忘れたが今のナリナに友達といえるほどの奴はいないだろう。 まぁ、女同士の会話はできないということは昨日のナリナとゾンビ談議をした俺には簡単に想像できる。 しかし、このクラスでも目立たないというか浮いているナリナを普通に戻すというのは並大抵の努力じゃ無理な気がするぞ、リョウ。 リョウはまだ登校してきていないけど。


 俺はコツコツと自分の席に着くと鞄から教科書類を鷲づかみにして机の中に押し込み、今しなければならないことを全て終えてからナリナのほうを向いて朝の挨拶をした。


「よぉ」


「おう」


 本日最初の会話は一瞬にして幕を閉じた。 ナリナは顔を上げずにまるで朝食を食べながら新聞を読んでいるおっさんのように返事をしただけで喋りかけてくる気配はまったくない。 昨日の笑顔はもうなく、あるのはいつもの眉間のしわだ。 あ、そうか、ナリナがいつも眉間にしわを寄せているのは目が悪いからなんだ。 きっとそうだ。


「両目とも視力に問題はない」


 そうかい。 俺は運動会前日に張り切り、当日に運動会の中止を知ったかのような脱力感に襲われてアゴに手を突いた。 視力に問題がないんならなんで眉間にしわを寄せているんだろう。 昨日の笑った顔が頭から離れないが、今のナリナの顔を見ているとあれは俺の妄想が生み出した幻覚ではないかと錯覚しそうになる。


 しばらくボーっとしているとドタドタとリョウが学ランのボタンを全開にして教室に滑り込んできた。 リョウは額の汗を拭いながらドカッと席に着くと隣にいたナリナの髪がさらっと動く。


「いやー、オレとしたことが目覚ましを止めてから二度寝をしてしまうとは不覚。 母親に起こされなかったら昼過ぎまで寝てるとこだったぜ」


 なぜに自分の失態をこうも大きな声で言えるのだろうか。 時計を見ると9時になる5分前。 9時ちょうどに担任の英語担当のおばさんであるスズキ先生が入ってくるのはお決まりだ。 はぁ、今日もまたありきたりな学校生活が始まるのか……。



 なんで俺の見る世界はこうも平凡なのだろう。 もうちょっとスリルがあってもいいじゃないか。 この俺と同じ考えを持った女はスリルを求めて危ない男に引っかかったりするんだろうな。 いや、そんなことより。 テレビゲームにハマる者として誰しもがその世界に入りたいと思うだろう。 もちろん俺もその一人であるが、リアルに考えてみよう。 仮に42.195キロメートル譲って自分がファンタジーの世界に入り込んでしまったとして、そこで生き延びることができるのだろうか。


 モンスターを倒すことになった俺は異常に親切な老人あたりから初期防具と古びた剣を貰い、いざその鎧を着てみた。 が、なんら変わった筋トレすらしてない俺が鎧を着て満足に動けるとは思えない。 さらにさらに剣の訓練なんぞしてないのにいきなり剣を渡されても困る。 うむ、断言しよう。 そんなファンタジーアドベンチャーな世界に入り込んでしまったら、俺はおそらく最初に出くわすレベル4あたりのモンスターに瞬殺されるだろう。


 かと言って突然研究施設から謎のウィルスが漏れ出し、町中の人間がゾンビ化してなぜか自分だけ奇跡的に感染しなかった場合も俺はちっとも嬉しくない。 ナリナなら喜んで斧や鉈を振り回してゾンビの頭をぐちゃぐちゃに吹き飛ばしそうだが俺はどうすることもできないね。 とりあえず逃げ回ってゾンビのいないことまで生き延びようとはするが、とっさの思いつきで状況を打破したりできないし、そんなセンスもない。 まぁ、この世界ならナリナが生き生きしそうだな、うん。


 じゃあ、今やってるような戦争ゲームはどうだ。 まぁ、戦争は俺の知らないところで実際に行われているが平和ボケしてる日本では銃を握ることすらない。 また42.195キロメートル譲って俺が戦場に降り立つことにしよう。 憧れのアサルトライフルを手に持ったはいいが安全装置はどこだ。 このレバーはなんだ。 このスイッチはなんだ。 リロードはどうやってするんだ。 などなどやっているうちに俺は蜂の巣になるだろう。 ゲームならワンボタンで解決するのだが、リアルはそうもいかない。


 と、現実味も混ぜながらいろいろ考えては見たが、それは実現することはない。 現実になっても困りものだが……やはりちょっと現実にスリルが欲しいよな。 どこかに落ちてないかな、スリル。



 俺はスリルがそこらへんに落ちていないか探しているとあっという間に一日が終わってしまった。 6限目の授業が終わり、鞄に荷物を詰め込んでいく。 今日は運動場が野球部に占領されているためサッカー部は休みなのだが部活があるリョウは後ろで何やらブツブツ言っているが関わる必要もないため、無視。 お? そういえば横で朝から授業に参加せずに本を読んでいるナリナは何部なんだ? ナリナは見ての通り授業に参加してない(なのに先生から注意を受けない)ので成績は想像できる。 身体能力に関しては俺より高いことは最近知った。 運動場を意味もなく20週も走るという体育の授業を男女合同でやっていたがナリナは表情一つ変えずにトタトタとあっという間に20週走りきったのだ。 息は荒かったがタイムは俺より早かった。


「ナリナは何部なんだ?」


 中学3年になれば同学年のどいつが何部に入っているかくらい覚えれると思うが、いかんせん。 相手は謎に満ちたナリナだ。 想像するとやはり運動部……バスケ、バレーボールあたりか? それかいつも本読んでるし美術部とか吹奏楽とか。


「………………じ」


 じ? ナリナが何やら言おうとした時、担任のスズキ先生が教室に入ってきたので会話を中断して前を向いた。 なんだ、じって。 ジ・エンド。 いや、今のに意味はないぞ?


 笑顔のスズキ先生の長ったらしい話が終わり、男子学級委員が号令をかける。 俺はそれに従って席を立ち、見えない誰かに頭を下げて別れの挨拶をした。 はい、さようなら。


 振り返るとナリナの姿はもうなく、いたのはいまだブチブチと大きな声で小言を言っているリョウだけだ。


「あーー!! めんどくせぇし、後輩可愛くねぇし、あああぁぁ!!」


 ふむ、毎度のことコイツの声はでかい。 リョウの肩には柔道着がかけられており、これから中学校の中にある柔道場へ向かうことがわかる。 にしてもこのひょろいリョウがなぜ柔道部に入ったかはいまだに疑問だ。


 このまま無視して帰ってもよかったがリョウの実力も見たかったので俺はリョウの後ろ首を掴んで強引に柔道場へ連れてきてやった。 我ながら親切だ。


 そこにはすでに後輩たちが準備体操を始めており、リョウの姿を見るとドタドタとやってきた。


「先輩、今日こそ脱がしてください!」


 なんだ、コイツ。 ゲイなのか?


「頼みますよ、先輩。 クールなあの人の恥らう顔が見たい。 ハァハァ!」


 おい、リョウ。 お前の後輩たちは変態ばかりのようだな。 ていうかクールなあの人って誰だ。 とりあえずコイツらはクールなあの人とやらをはずかしめたいようで、柔道のどさくさに紛れて脱がそうと常日頃狙っているようだ。 大丈夫か、コイツら。 しかも担当の先生はどうした。


「ああ、この柔道部は担当は一応いるがたまに顔見せるだけの無責任な奴だ」


 リョウが似合っている白帯を締めながら言う。 ということはこの柔道部は放置され、コイツらの煩悩が集う男子の巣窟になったというわけか。


 すると柔道場の外からペタペタと裸足で廊下を歩いてくる音が聞こえ、俺は振り返った。 ソイツを見た時、俺はこの柔道部員たちの言っていることに納得できたかもしれない。 そこには紛れもない、柔道着を着たナリナがいた。

挿絵(By みてみん)

「……お前、柔道部員だったのか」


 ナリナはうなずいただけだが俺の顔はさぞかし驚いていただろう。 それよりナリナ、この柔道部の女子はお前だけのようだが大丈夫なのか? あとリョウがナリナに普通に喋りかけることができた理由が今わかった。 まぁ、体を密着させる競技だが野郎2人の前でスカートをたくし上げるような奴だからいいのだろうか。 ということはクールなあの人というのはナリナのことで、この変態柔道部員たちは柔道のどさくさに紛れて柔道着は剥ぎ、あわよくばその下に着ている体操着までも剥ごうという魂胆か。 けしからん野郎共だ。 もっとやれ。 ていうかコイツら、ナリナを脱がすのを目標に日々精進しているらしいが……まさかナリナに勝ったことないのか?


「ナリナの奴、見かけによらずめちゃくちゃ強いんだよな」


 リョウが言うがナリナも白帯だぞ。 しかしなんだ、俺もナリナの試合を見てみたくなったぞ。 いや、決してナリナの体操服の下が見たいとかそういうのじゃないからな。 一応言っとくけど。


「ナリナ先輩、稽古お願いします!」


 とある2年の部員がナリナの前で軍人でもないのに敬礼した。 どうやらナリナを狙う刺客の一番手のようだ。 しかもナリナはうなずきもせずに畳の上に移動したのだ。 大丈夫か、ナリナ。 相手は後輩といえどお前の頭2つ分くらいでかいぞ。


 ナリナと後輩は定位置につくとリョウが審判をするようで、2人の間に立った。


「はじめっ!!」


 もう説明が不要なくらいの声でリョウが言うと後輩その1は長年封印されていた魔物のように勢いよく雄たけびを上げた。 ガシッ バタン。 アホだ、コイツ。 雄たけびを上げる暇があったらナリナに掴みかかれよ。 後輩その1は雄たけびの途中でナリナに掴まれ、足払いをされて畳に叩きつけられて戦死した。


 後輩その1を秒殺したナリナは乱れた柔道着を引っ張って型を直す。


「次、俺とお願いします!」


 後輩その2が勝負をしかけてきた。 ナリナはまたうなずきもせずに帯びを締めて戦闘体制をとる。


「はじめぇ!!」


 若干リョウの声が裏返ったがスルーして第二回戦を見守る。 後輩その1の殉職で学習したのか後輩その2は開始の合図とともにナリナに向かって走り出したが、ナリナは身をかがめると後輩その2の両足に抱きついて、そのまま固定しつつ体で押して後輩その2を畳の上に倒した。 そしてすかさず倒れている後輩その2の上に寝そべって後輩その2の体をがっちりと固定する。 リョウがカウントを始めると後輩その2はとても幸せそうな顔をしつつバタバタと体を動かして脱出しようとするがそのまま時間が来てナリナが勝利した。 勝敗が決まるとナリナは肩で息をしながら立ち上がり、後輩その2に背を向ける。 ナリナの背中には『殺』という文字が浮かんでもおかしくないくらいのオーラを感じた。 敗北した後輩2は股間を手で押さえながら立ち上がり、ニヤケ面でトイレへと駆けていく。 まったくどいつもこいつも、リョウを含めてバカ野郎ばかりじゃないか。 しかしナリナが上に寝そべって体を密着させてくるなど殺傷能力高すぎだろ。 ただでさえ中学生だ。 もはや核兵器レベルか。


「次は俺が相手です!」


 おっと、後輩その3が勝負をしかけてきた。 しかしナリナも2戦連続で息が上がってきたぞ。 それを見た後輩その3は勝利を確信したかのようにニヤリと笑って構える。 気をつけろナリナ。 コイツはステージの端から波動拳を連発して弾幕を張りそうな胡散臭さが出てるぞ。


「はじめ!!」


 開始の号令とともに2人はお互いに掴み合うと後輩その3はわざと自分の柔道着を帯から飛び出させたのだ。 きちっと留められていない柔道着は投げにくいことは前テレビで見たような気がする。 せこいがダメ審判のリョウは止めに入らない。 後輩その3はバッとナリナの柔道着を横に引っ張り、ナリナの胸元を大きく出させた。 それを見て外野は「おぉ」と期待の声を上げるが残念なことにナリナの胸には凸の部分が皆無だった。 普段はセーラー服着てるからあんまりわからなかったけど、ナリナって……つるぺただったのか。 しかし結構想像通りでもあるな。 大体スレンダーな少女は胸がないと相場が決まっているのだ。 そんなことより、負けそうだぞナリナ。


 バタン。 その時、ナリナは尻餅をついてしまう。 それを見計らって後輩その3はナリナを押さえ込もうと変質者の顔をして飛び掛ろうとするとナリナはうつ伏せになって自分の襟を掴んで首下でクロスさせる。 これは技をかけられないようにする対策だ。 だが襟を掴んで丸くなっているナリナの上に後輩その3は覆いかぶさるとナリナの両腕を掴んで引き離そうとするがナリナも歯を食いしばって、それを耐える。 傍から見れば少女を襲う変質者だが、これも柔道の一環なのか俺にはわからん。


 そして男女の筋力差が出てきたのかナリナの手は徐々に首下から引き剥がされ始める。 限界が近いことを悟ったのかナリナは上に乗っている後輩その3ごと勢いよく横に転がり、体制を逆転させた。 後輩その3の顔を見て「フッ」と唇を緩めるナリナ。 どうやらナリナを怒らせてしまったようで、それを見た後輩その3は力ずくでうつ伏せになってその場から離れようとするがナリナは後ろから後輩その3の両襟を掴んでギュっと後輩その3の首で絞めたのだ。 これは紛れもない絞め技。 早く降伏しないと最悪死んでしまう技で、見る見る後輩その3の顔がブルーハワイのシロップのような色になってくると観念した様子で畳を手で叩いた。


「そこまで!」


 リョウの試合終了の合図が出されてもナリナは少しの間、その手から後輩その3の襟を離すことはなかった。 どうやら本当に怒っていたようだ。 その証拠に眉間にしわが寄せて……ってこれはナリナのデフォルトか。 後輩その3はゴホゴホとむせながら外野の中へと戻っていった。 そしてもう対戦志願者がいなくなったことを確認するとリョウは腕を組んで「フッフッフ」と不敵に笑う。


「どうやら、このオレが相手をするしかないようだな」


 大丈夫か、お前。 ナリナのスカートのたくし上げを見て股間を手で隠してた奴が。 リョウは腕をグルグル回して定位置につくと外野からリョウを応援する声が響いてきた。


「ガンバレー、リョウ先輩―!!」


「俺たちに希望を!! 夢をぉぉぉぉ!!」


「脱がせーー!! ハァハァ!!」


 まるで血に飢えた猛獣だ。 もはや地獄の闘技場に強制参加することとなったナリナは荒立った呼吸を落ち着かせようと胸に手を当てている。 で、今度はリョウが戦うのだから審判は誰がやるのだろう。 まぁ、後輩だろうが。


「ユウト、お前やれ」


 待て。 俺はサッカーならまだしも柔道の審判なんてやったことないぞ。 しかもなんだよ、今まで騒いでた後輩たちも正座して俺を見つめやがって。 まぁ、最初と最後の合図と技が決まった時と押さえ込んだ時に何か言えばいいんだな。


「しゃーねーな。 ……はじめっ!」


 俺が開始の合図をするとリョウは後輩その1のように雄たけびを上げた。 それに連動して外野の後輩たちも歓声を上げる。


「うおおおお!! 後輩たちの想いがオレに無限の力をぉぉぉぉ!!」


 お前たちの煩悩など知らん。 そうしてリョウは石炭が大量に投入された機関車のようにナリナに突進した。 ガツン。 次の瞬間、場は一瞬で静まり返った。 今リョウは畳の上でピクピクと痙攣しながら仰向けに倒れている。 えーと俺の見間違いではなかったら突進してきたリョウにナリナはラリアットをしたような気がしたが。 リョウの突進に合わせて腕を横に伸ばして腕の内側をリョウの首元に当て、リョウはそのままひっくり返った。 えーーと柔道にラリアットはありなのか? 俺にはわからん。 まぁ、あれだ。 リョウは戦闘不能ということでナリナの勝利だ。 よかったな、ナリナ。 脱がされずに済んで。


「……勝負」


 その時、ナリナは俺を指差してそう言った。 待て、柔道経験がない俺に殺戮兵器のナリナが勝負を挑んでくるとは……。 はっきり言おう、勝てるわけがない。 が、それを聞いた後輩たちは戦闘不能のリョウの体から柔道着を剥ぎ、目を輝かせて俺に渡してきたのだ。 おい、滅ぶしかないと思われた世界に突如救世主が現れたかのような顔をするな。 ……だが、しかし、せっかくだから、ちょいとご指導でも受けることにしますかな。 俺は学ランを脱ぎ、柔道着を着ると腕を回したりピョンピョン飛び跳ねて準備運動をする。


「相手が自分より大きい場合、足を掴んで一気に倒せ」


 アドバイスありがとう、ナリナ。 だが、俺が相手にするお前は俺の胸くらいまでの高さしかないんだが。 強いチビ助相手に優位に立つアドバイスをくれよ。


「はじめっ!」


 突然後ろにいた後輩が開始の合図を言い放った。 ちょっとは空気を読んでアドバイスしたりしろよ、バカ後輩ども。 そんなことを思っているとナリナは一気に間合いを詰めてきた。 相手が自分より大きい場合、足を掴んで一気に倒せという言葉をすぐに思い出し、俺は下がってナリナと距離を取ってみるとナリナは深追いは無用と言わんばかりに足を止めた。 しかしあれだ、足を掴まれないようにするのはわかったがどうやってナリナを倒せばいいんだ。 これは戦場で防弾チョッキを着ているが拳銃を持っていない警官のようなまぬけさだぞ。 俺は柔道の技は何も知らない。 真っ先に思い浮かんだのは後輩2との戦いのように倒して背中を畳につけさせて一定時間経てば勝ちという、押さえ込みというやつか。 コレなら体格差で有利な俺はナリナを押さえ込んで動けなくできるだろう。 やってみるしかないか。


 俺はフンっと強く鼻息を出してナリナの襟と袖を掴む。 その勢いをなくすことなくナリナを押し続ける。 ここでさっそく体格差の違いでドタドタとナリナは俺に押されていくと今までポーカーフェイスだったナリナの顔に少しだけ焦りの様子が伺えた。 これはいけるんじゃないか。 勝利の希望が見えてきた俺は後退するナリナの後ろに足を回して躓きさせるといとも簡単にナリナは尻餅をついたではないか。 今だ、押さえ込め!


 うるっ


 俺が飛び掛り、押さえ込もうとした瞬間、ナリナの瞳にうっすらと涙が浮かんだ。 なんなんだ、ちくしょう……。 体が動かねぇ。 なんで雨の日に捨てられている子猫のような顔をしてるんだよ、お前。 俺はナリナの硬化魔法にかけられたようで、うるうるしているナリナに飛び掛れないでいた。 心の中ではわかってるんだ。 わかってるんだけれども体が動かないんだ。 ズドン。 次の瞬間には俺は小悪魔のような顔に変わったナリナに天と地をひっくり返されていた。 わかってたんだ、この涙目が偽りのものだということは。 うむ、どうやら右手首を捻ったようだ。 痛い。




 か弱き?少女にコテンパンにされた情けない野郎たち(俺とリョウ)は部活終了後に痛めた手首とリョウの首を診てもらうために保健室を訪れていた。 若い女の保健の先生は椅子に座っているリョウの首に湿布を貼って包帯を巻いている。 俺はというと、とっくに手首に湿布を貼ってもらっていた。 しかし保健の先生に本当ことを言わないほうがよかったのか。 俺は保健室に訪れ、最初に言った一言が『ナリナとの試合に負けて負傷しました』だったからな。 もっと遠まわしな言い方で『紳士たるもの少女相手に本気を出せなくて、その隙にやられました』とでも言っておけばよかったのか。 いや、これだと負け惜しみに聞こえるな。 では、『呪文使いのナリナのPP消費技により全身硬化魔法をかけられ、動けないところを通常打撃攻撃で仕留められました』ならどうだ。 うむ、何言ってるんだコイツと変な目で見られること間違いなしだ。


 保健の先生はリョウの手当てを終えるとニヤニヤして腰に手を当てた。 まぁ、野郎2人が少女1人に倒されれば第三者はニヤニヤするだろう。


「それにしてもあのナリナさんと仲良くしてくれるとは、教師達から見たら微笑ましいことです」


 保健の先生からとても気になる一言が放たれた。 『あの』がつくナリナとは一体なんなのだろうか。 教師達からということはナリナは先生たちに広く知れ渡っているということ。 ますます気になってきた。


「ナリナがどうしたんですか」


 これは言ってはいけなかったのか、俺がそう言うと保健の先生は突然表情の変化を止めて嫌な間が空いた。


「うーん、ちょっと待ってね」


 保健の先生は自分の知る情報を口外していいものか考えているようで、アゴに手を当てて唸り続けている。 見かけによらず不器用な人だ。 保健の先生は俺たちに背を向けると茶髪のショートヘアーをわしわしと撫でる。


「ナリナさんと仲良くしてくれてる貴方たちには知ってもらっておいたほうがいいかもしれない」


 どうやら決心がついたようで、保健の先生は俺たちのほうを見る。


「ナリナさんはここ数年、家庭内暴力で大きな精神的ダメージを受けてました。 2年生の時には自殺未遂までして、それから児童相談所の職員が定期的に家に訪れて調査をしていました」


 全てにおいて過去形だ。 それにしてもナリナが家庭内暴力を受けていたなんて初めて聞いた。 噂にすらなっていなかった。 俺は保健の先生が言うことを真摯に受け止める。 どうやらナリナは今父親と2人暮らしで、その父親から暴言や暴力を受けていたようだ。 そしてそれに耐え切れなくなった2年生の時、ナリナは自分の手首や首筋を包丁で切りつけた。 その後すぐに家の外から見ていた通行人により救急車が呼ばれたらしく、傷も浅かったので命に別状はなかったらしいが心の傷は深すぎたようだ。 まるで糸の切れた操り人形のようだったと保健の先生は言う。 そしてそれを知った警察が児童相談所に連絡して、ナリナの療養のために定期的に家を訪問していた。 父親が厳重注意処分。 ふざけていると思った。 なぜナリナが魂のない人形のようにまでされたのに厳重注意だけで終わるのか。


「児童相談所の職員のおかげかわかりませんが、3年に進学してからはちゃんと学校に来るようになりました。 今のナリナさんは見ての通りの性格なので気に障ることがあるかもしれませんが、仲良くしてやってください」


 ナリナがいつも寄せている眉間のしわは家庭内暴力に耐えている時に癖でしていたのではないかと俺は推測した。 何を言われても、何をされても眉間にしわを寄せながらも耐え続け、いつしかそれがデフォルトの表情になってしまったのではないか。 今まで数々の眉間のしわの推理をしてきたが、これが一番しっくりくる。


 この事実を聞いてしまった俺は、この後どういう顔をしてナリナに会えばいいのかがわからなくなった。 今まで普通に話しかけていたのに突然戸惑うような言動になればただでさえ勘のいいナリナはすぐに気づくだろう。 ナリナのことだ、俺の不審さに気づいたら俺と距離を取るはずだ。 そして会話することもなくなる。 ……いつものように接しなければナリナを普通の女の子に戻すことはできなくなってしまう。 リョウが提案したナリナを普通の女の子に戻す計画に俺はリョウ以上に真剣に取り組もうとしていることに気が付き、苦笑した。


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